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著書
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14 件中 1 - 10 件目

年度
Year
著書名
Title of the books
著書形態
Form of Book
NeoCILIUS
   請求番号/資料ID
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出版機関名 Publishing organization,判型 Book Size,頁数 No. of pp.,発行年月(日) Date
2017  Islam and Cultural Diversity in Southeast Asia(Vol.2): Perspectives from Indonesia, Malaysia, the Philippines, Thailand, and Cambodia. (ed.by Ikuya TOKORO and Hisao TOMIZAWA)  共著  ISBN:978-4-86337-259-7 
Research Institute for Languages and Cultures of Asia and Africa(ILCAA), Tokyo University of Foreign Studies(TUFS)  , 未設定  , 341p.  , 2018/3/19   

概要(Abstract) 執筆担当部分:The 33rd Nahdlatul Ulama Congress: Ulama-ness and the Rais Aam (pp.35-57) インドネシア最大の宗教団体ナフダトゥル・ウラマー(NU)の第33回大会での指導者選挙をめぐる内紛を通して、NUの抱える組織上の問題を分析した。NUは前議長の時代(1999-2010)に、それまでの約300に加え、200以上もの支部をジャワ島外に創設した。しかし、まだ勢力の大半はジャワ島にある。そのため、選挙では実質が反映されにくく、またそこに政治家の介入もあり、指導権をめぐる混乱が続いている。その一方、学識とモラルを備えたウラマーが総裁(最高指導者)になることが強く期待されている。 

備考(Remarks) すでに日本語で発表した論文に、さらに新しいデータをもとに加筆修正し、英訳した。 

2017  歴史の生成――叙述と沈黙のヒストリオグラフィーー  共著  ISBN978-4-8140-0057-9 
京都大学学術出版会  , A5  , 334p.  , 2018/2/28   

概要(Abstract) 執筆担当部分:第1章「国家・英雄・ジェンダー――カルティニ像の変遷」(pp.23-73)。インドネシア近現代史では必ず言及されるカルティニについて、この1世紀あまりにどのように描かれてきたのかを、執筆者の社会的背景を時代ごとに追った。その結果、カルティニ研究の原点となった書簡集(1911)が恣意的に編纂・改ざんされていないかという出版当初よりの疑問を無視し、また後世の研究者がその史料さえも通読することなく、「つくられたカルティニ像」に依拠していたことを指摘。1989年に出版されたカルティニの書簡(原文)集と、1911年版を比較精査した富永泰代論文(2009)を高く評価した。歴史研究においては、史料批判が原点となることを改めて強調した。 

備考(Remarks)  

2015  アジアのムスリムと近代(3)植民地末期の定期刊行物から見た思想状況  編著   
上智大学アジア文化研究所  , B5  , 108p.  , 2016/3   

概要(Abstract) 序(p.1)および第6章「1920~30年代のインドネシア(オランダ領東インドのイスラーム定期刊行物:IPOに基づいて」(pp.83-108)植民地末期のインドネシアでは、定期刊行物の出版が隆盛した。出版物に対する規制が強化されたにも拘わらず、近代教育の普及、都市中間層の台頭などを背景に、時事報道誌は増加の一途をたどった。オランダ植民地政府のデータ(IPO誌)を基に、その動向を概観した。当初プリブミによる定期刊行物は組織機関誌として出版されたが、次第に一般読者を対象にした情報・報道誌へとその性格を変えていった。イスラーム系の定期刊行物も同様で、特に1930年代中ごろから大幅に増えた。大半は短命であったが、中には全国誌として発展したものもあった。IPOからは、スラカルタ(中部ジャワ)とメダン(北スマトラ)がイスラーム情報の発信地として浮かび上がってくる。 

備考(Remarks)  

2012  アジアのムスリムと近代:1930年代の出版物から考える  編著   
上智大学イスラーム地域研究センター  , B5  , 72p.  , 2013/3   

概要(Abstract) 執筆担当部分、序文(p.1), 「1930年代インドネシアのイスラーム系定期刊行物:『プドマン・マシャラカット』を中心に(pp.49-71)
従来のインドネシア史研究ではあまり評価されてこなかった1930年代を、イスラーム系雑誌・新聞から再検討しようとする試みを提言。1930年代は植民地政府の統制にも拘わらず、定期刊行物の出版が隆盛した。イスラーム系定期刊行物は、政治との関わりで部分的にしか使用されてこなかったが、その内容は、イスラーム改革、女性問題(教育、婚姻、健康など)、国内政治、海外事情と幅広い。この時代のムスリムは何に関心を持っていたのか、激動する世界情勢をどのように把握していたのかを知る手掛かりとして、定期刊行物は大きな可能性を秘めている。 

備考(Remarks) 上智大学イスラーム地域研究ワーキング・ペーパー第19号
単独編集、山根聡、松本ますみと共著 

2011  岩波講座 東アジア近現代史 新秩序の模索一九三〇年代  共著   
岩波書店  , A5  , 380頁  , 2011/5/27   

概要(Abstract) 1930年代日中戦争が行き詰まる頃から、日本はアジアのムスリムに向けて、日本のムスリムへの共感を宣伝するようになった。日本の親イスラーム的姿勢は、インドネシア(オランダ領東インド)のイスラーム系雑誌でもニュースとなって掲載された。当初は懐疑的にみられる一方、中立的な立場でその真偽を確かめようという姿勢も見られた。1939年、国策団体「大日本回教協会」は「回教展覧会」を企画したが、インドネシアのイスラーム組織連合体にも招待状が届いた。この招待に応じるかについてはイスラーム組織間で意見が分かれたが、結局代表団が送られた。2週間余りの滞在ののちに、代表団は帰国し、「帰国報告」が組織の機関紙に掲載された。そこでは、日本人の規律や勤勉さなどを称賛する反面、東京のモスクで礼拝をするのは外国人ムスリムばかりであったこと、日本人ムスリムはまだ数えるほどしかおらず、日本政府もイスラームをひとつの宗教として認めるにとどまることなどが報告された。日本でイスラームが発展する可能性はきわめて低く、日本政府の親イスラーム的姿勢は実質のないプロパガンダに過ぎないことが看破されるかたちとなった。 

備考(Remarks) 和田春樹他編集、山室信一、西村茂雄、宋連玉他と共著
担当部分「日本のイスラーム・プロパガンダとインドネシア・ムスリム」173-194頁。 

2010  Islam in Contention  共著   
Wahid Institute-CSEAS-CAPAS  , その他  , 468pp+xpp  , 2010/12   

概要(Abstract) インドネシア最大の宗教団体ナフダトゥル・ウラマー、創立大会(1926年)から2004年大会での法学決定を題材として、イスラーム法学上の女性の地位、権利などについて考察した。その結果、古典的蓄積の厚い家族法の分野においては、新しい法学見解は出ていないが、女性の社会的役割に関しては女性の活動範囲を広く認める見解が出されるようになっていることが明らかになった。女性の社会的役割に関しては柔軟な解釈が出る反面、女性団体が長い間問題視している「複婚問題」についてはウラマーの見解が変わるのは難しいことがわかる。 

備考(Remarks) 編集:Ota Atsushi, Okamoto Masaaki, Ahmad Suaedy
ほか11名(インドネシア、日本、台湾の研究者)による論文集。
担当部分:Ulama's Changing Perspectives on Women's Social Status:Nahdlatul Ulama's Legal Opinions:285-318pp. 

2010  イスラームの歴史2 イスラームの拡大と変容  共著   
山川出版社  , A5  , 350頁  , 2010/10   

概要(Abstract) 東南アジア海域世界におけるイスラーム化および「再イスラーム化」を、19世紀・20世紀を中心に述べた。1.植民地支配とイスラーム、2.日本軍政の衝撃、3.独立国家とイスラーム、4.進展するイスラーム化、の順序で、制度、運動体、思想の発展を概観した。 

備考(Remarks) 小杉泰(編)、東長靖、坂井信三、小松久雄、山根聡と共著
担当部分:第7章東南アジア・イスラームの展開(203-240頁) 

2009  The Encyclopedia of Indonesia in the Pacific War  共著   
Brill  , A4  , 700  , 2010/01   

概要(Abstract) 日本占領期の対イスラーム政策がインドネシア・ムスリム社会に与えたインパクトを考察。インドネシア・ムスリム組織の動きと、日本の「回教工作」活動をオランダ植民地支配末期(1930年代)からたどった。ジャワで日本軍とムスリム側の間には多くの交渉があり、特務機関である別班の日本人ムスリム小野信次が重要な役割を果たした。そのほかの地域ではアチェ、メダン以外では特に目立った動きは起きなかった。しかしながら、宗教業績機構の設立に向けて提言書が出されるなど、ムスリム側の状況変化(支配者交代)への対応は敏速であった。オランダ時代に政治から遠ざけられていたムスリム指導者は日本占領期を経て、政治の表舞台に登場するようになった。 

備考(Remarks) 1.Peter Post, William Frederic, Iris Heidebrinkなど43名が執筆。
2.担当部分"Islam during the Japanese Occupation", pp.300-311. 

2008  インドネシア 展開するイスラーム  単著   
名古屋大学出版会  , A5  , 482  , 2008/09   

概要(Abstract)  インドネシアで外来宗教のイスラームはいかにして発展し、今日の社会と政治を形づくっているのか。植民地時代から民主化後の現在(19世紀初頭から21世紀初頭)まで、イスラーム法の浸透と解釈による現地化を軸に、ムスリムの知的営為いや政治との関係に焦点をあてて、動態的に描いた。
 序章では、研究レヴューを行い、インドネシア・イスラーム研究の問題点を整理し、特に、研究者が好んで用いる二項対立型の概念規定がイスラームを動態的にとらえることの障害になることを示した。以下前半の五章が植民地期を、後半の五章が独立後の約60年間を扱った。
 第一章では、アラビア語借用語が、ジャワ語・インドネシアの語の中にどのように浸透しているかを示し、特にイスラーム法学関連用語の多さを指摘した。第二章では、19世紀後半のジャワのイスラーム教育の発展を延べ、第三章・第四章では、イスラーム司法制度の形成とそれを機能させる宗務官吏について、第五章では、植民地行政機構外にある民間のウラマー(宗教学者)が20世紀には組織を立ち上げ、ウマット(ムスリム社会)の指導者としての立場を確立していく過程を描いた。
 第六章では、独立インドネシアの政治史をイスラームの問題を中心に概観した。第七章から第十章までは、現代インドネシアでイスラーム法がどのように再解釈されるようになったか、またその再解釈を可能とする方法論をどのように議論したか、さらに再解釈には社会の動きがどのように反映されているかを論じた。 

備考(Remarks) 南山大学学術叢書 

2006  岩波講座 アジア・太平洋戦争7 支配と暴力  共著   
岩波書店  , A5  , 470  , 2006/05   

概要(Abstract) アジア・太平洋戦争は日本がアジアのムスリムと直接向き合った時代でもあった。戦略研究として「回教研究」が行われ、「イスラームを知ろう」のかけ声が叫ばれた。国内では国策機関として大日本回教協会が設立され、ムスリム工作が展開され、当時まだ数少ない日本人ムスリムもその活動の渦中にあった。中国での工作がほぼ失敗すると、日本軍の関心は南方へ向けられ、占領地東南アジアでムスリムを日本の戦争目的に協力させる必要が生じた。しかし、現地のイスラーム事情に関する認識不足からマラヤではスルタン工作で躓き、イスラーム政策はほとんど行われずに終戦となった。一方、ジャワでは長期滞在経験のある日本人ムスリムの情報提供により、日本軍は「キヤイ」と呼ばれる在野の宗教指導者に働きかけて住民の動員を試みた。その結果、オランダ植民地支配下で政治の表舞台から遠ざけられていたイスラーム勢力は、政党、宗教省という独立インドネシアでの政治活動の基盤を築いた。利用されたキヤイたちは、日本軍を「逆利用した」とも言える。しかし、戦後の日本ではこの経験は長い間忘却され、イスラーム理解のための「貴重な」経験は生かされないできた。 

備考(Remarks) 1.倉沢愛子、中野聡、ブランセンジット・ドゥアラ、小林寧子他11名執筆 2.担当部分「イスラーム政策と占領地支配」63-94頁 

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