2024/11/19 更新

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ハヤシ ヨリコ
林 順子
HAYASHI Yoriko
所属
経済学部 経済学科 教授
職名
教授
主な研究課題
長期研究:中部地方の流通経済史

短期研究:近世尾張商業史
専攻分野
日本経済史・近世尾張経済史

学位

  • 博士(経済学) ( 2000年3月   南山大学 )

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    博士

    学位論文名:尾張藩水上交通史の研究

  • 経済学修士(南山大学第87号) ( 1990年3月   南山大学 )

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    修士

  • 経済学学士 ( 1988年3月   南山大学 )

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    学士

研究分野

  • 人文・社会 / 経済史

学歴

  • 南山大学   経済学研究科

    - 2000年3月

  • 南山大学   経済学部   経済学科

    - 1988年3月

経歴

  • 南山大学   経済学部 経済学科   教授

    2024年4月 - 現在

所属学協会

  • 名古屋郷土文化会会員

  • 交通史学会会員

  • 日本古文書学会会員

  • 社会経済史学会会員

  • 地方史研究協議会会員

  • 法制史学会会員

  • 経営史学会

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委員歴

  • 経営史学会   中部部会幹事  

    2023年4月 - 現在   

  • 名古屋郷土文化会理事  

  • 交通史学会会員  

  • 日本古文書学会会員  

  • 社会経済史学会会員  

  • 地方史研究協議会会員  

  • 法制史学会会員  

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論文

  • 名古屋城の描写と意識の変遷ー江戸時代から近現代にかけてー

    城下町と日本人の心性ーその表象・思想・近代化ー   95 - 128   2016年3月

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    出版者・発行元:岩田書院  

    名古屋城に対する市民または旅行者の意識の変遷を、日記、ガイドブック、双六、新聞記事などからみた。江戸時代においては、権力の象徴として描かれていた名古屋城は、明治大正期にも市民に開放されなかった。その頃の市民は模擬天守を建造し、名古屋城に思いをはせた。昭和初期に市民に開放された後、名古屋城には観光資源としての期待がかかった。

  • 近世における城下町内河川の維持ー江戸・京都・大坂・名古屋の場合ー

    城下町と日本人の心性ーその表象・思想・近代化ー   95 - 128   2016年3月

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    出版者・発行元:岩田書院  

    前近代における河川は、水運路として機能していた。その水運を妨げる、塵芥や土砂などの堆積物を除去していた主体と理由は、時代や、地域の事情によって変わる。特に江戸後期になると、それまで除去作業を支えていた水運路からの受益者が困窮し、土砂等の堆積が進むこととなった。一方、江戸のように、飢饉での困窮者の救済事業として実施をしたり、大坂、京都、名古屋のように民間からの景気対策として事業がおこなわれることもあった。

  • 杉浦英一(城山三郎)のキャリア選択の可能性と南山大学経済学部創設(林 順子)

    アルケイア-記録・情報・歴史-』   17号   77 - 95   2022年11月

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    出版者・発行元:南山アーカイブズ  

  • 1969-71年度における南山大学学外オリエンテーション : 経済学部1982年度学外オリへの連続性

    『南山経済研究』   36 ( 1 )   53 - 75   2021年6月

  • 尾張藩における空き俵の徴集とその用途

    『郷土文化』   76 ( 1 )   2021年

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    出版者・発行元:名古屋郷土文化会  

  • 江戸時代における尾張薬種業の発展(2)ー尾張藩領内の薬用人参生産と流通に関する政策ー

    南山経済研究   第34巻第2号   163 - 178   2019年10月

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    出版者・発行元:南山大学経済学会  

    尾張藩が薬用人参の生産、販売に対して行った政策の内容とその目的の変化を、尾張藩財政や幕府の政策と関連させながら明かにした。

  • 江戸時代における尾張薬種業の発展(1)薬種街としての京町の形成

    南山経済研究   第33巻第2号   209 - 223   2018年10月

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    出版者・発行元:南山大学経済学会  

    名古屋城下町の京町が、個々の薬種商が進出する時期を、江戸時代の家並帳(不動産台帳)を利用して整理し、薬種街として発展する時期が18世紀以降であり、しかし個々の商家に盛衰がみられることも明かにした。

  • 陸上・海上交通拠点としての熱田

    Trans/Actions   第2号   54 - 77   2017年11月

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    出版者・発行元:名古屋工業大学産業文化研究会  

    江戸時代において、宿駅として陸上交通の拠点であり、渡し場・湊として海上交通の拠点でもある熱田の特殊性を探る。東海道屈指の大規模な宿駅であったにも関わらず、遠浅という自然条件、さらに陸上う回路が発生するなどの問題に直面していたことが判明した。

  • 幕末から明治初期の名古屋商人の変遷

    南山経済研究   第31巻第2号   67 - 107   2016年10月

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    明治13年の名古屋の、いわゆる“長者番付”に掲載された商家と江戸時代の尾張藩御用達商人との突き合わせをおこない、明治維新時にどの程度の商家の入れ替わりがあったのかをみた。明治13年番付の上位40位ほどまでは、ほとんどが御用達商人であるが、その下には、御用達商人以外の者の割合が多くなり、名古屋の上層の商家に入れ替わりがあったことが認められた。

  • 水野太郎左衛門家を中心とする尾張国鋳物師仲間の支配について

    南山経済研究   26 ( 2 )   125 - 139.   2011年10月

  • 経済学部カリキュラムの変遷

    南山経済研究   25 ( 3 )   29 - 43.   2011年3月

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    出版者・発行元:南山大学経済学会  

    南山大学経済学部の、創設から現在まで50年間のカリキュラムの変遷を整理。情報化、国際化といった社会環境の変化に対応する一方、学問研究の場としての基本機能を維持し続けた経済学部の姿を明らかにした。

  • 近世前期の名古屋材木商犬山屋神戸家の経営

    『犬山城白帝文庫研究紀要』   第2号   23 - 43.   2008年3月

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    出版者・発行元:犬山城白帝文庫  

    愛知県犬山から名古屋に出て材木商を開いた犬山屋神戸文左衛門家の享保期以降の経営帳簿を分析し、同家が材木業から撤退して新田地主化する過程と理由を明らかにした。

  • 伊勢湾における難船とその処理について

    『徳川林政史研究所研究紀要』   第40号   77 - 94.   2006年3月

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    出版者・発行元:徳川林政史研究所  

     本稿は、鳥羽藩を中心に、江戸時代後期に多発した伊勢湾における海難事故の発生原因と処理方法を取り上げた。海難処理に関する浦法を幕府が全国に出したのは元和7年(1621)、鳥羽にも、寛永13年(1636)の幕府の浦法の史料が残存する。以降、数度にわたり幕府より浦法が出されたが、その一方幕末に近づくほど当地の難船史料は増加する。難船に関するトラブルが絶えない原因は、村役人の交代時に本来行われるべき浦法の引き継ぎがなされなかったほか、江戸時代後期の全国的な物流の増加があげられる。そうした中で、救助した村方と救助された船方が心情的に結びつき、荷主よりも彼らの都合を優先するような処理が現地で行われたことも、トラブルの原因の一つであった。村方からしてみれば、処理に時間がかかるほど、荷物の管理をする人足代や、海上に漂流する荷物の回収のため出漁を禁止される漁師の損失はかさんでいくのである。さらに、回収された荷物の検閲に立ち会う領主の役人への接待費も村方が負担する。漂流物を回収すれば荷主から回収額の10%が報酬として支払われるが、村方の負担はそれ以上であった。結果、村方は海難処理の手続きの簡素化を望み、時に、少量の荷物の隠匿など荷主側の利益に反する行動にも出たのである。

  • 近世における御用材漂着の収拾について

    『徳川林政史研究所研究紀要』   第39号   99 - 115.   2005年3月

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    出版者・発行元:徳川林政史研究所  

    上流の山林から切り出された材木の運送路である木曽川では、筏の破砕、材木の流失事故が発生し、材木が河岸のみならず海岸部に漂着することもあった。本稿では、幕府や藩の御用材が河岸や海岸に漂着したとき、それらを収拾する手順と責任者を明らかにした。幕府は漂着した御用材の収拾を、幕領藩領旗本領問わず岸辺の村々に義務づけた。但し実際に流失事故が起きたときに、その旨を村々に通達し発見次第収拾をするよう指示をするのは尾張藩で、漂着材を収拾した村には報酬としてその三分の一を下付した。一般の漂着物の収拾報酬は一〇分の一であったので、御用材が特別の扱いを受けていたのがわかる。一方、流失事故を起こした運送担当者、たとえば木曽川の材木中継地犬山湊と円城寺湊の土豪で筏支配を司る神戸家と野垣家も、流木の捜索や、回収場所から名古屋の材木集積地白鳥材木場までの輸送、材木場での陸揚げを自己負担で行わなければならない。また、結局発見できなかった分については、藩の裁定次第で、運送担当者が補償を命じられることもあれば、補償を免除されることもあった。

  • 近世河川水運史研究の動向と展望-木曽三川を中心に-

    『交通史研究』   第56号   60 - 68.(9 p.)   2005年2月

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    出版者・発行元:交通史研究会  

  • 尾張藩川並支配体制における駒塚奉行と関東百人組

    『東海地域文化研究』   第15号   3 - 13.   2004年3月

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    出版者・発行元:東海地域文化研究所  

     尾張藩の木曽川川並支配の組織が安定するのは天明の行政改革以降のことで、特に江戸中期頃までは役職の新設と廃止、統合とを繰り返した。駒塚奉行は延宝6年(1678)から享保11年(1726)の約50年間のみ設置された奉行で、その性質も特徴的である。宮田奉行の兼任職として設置された駒塚奉行は、駒塚村およびその近辺の四つの川番所を管轄していた。そのほとんどが美濃国尾張藩領に置かれている。駒塚奉行の配下に配属されたのは、元禄14年-正徳5年(1701-15)に御先手組の足軽が置かれた以外は、尾張藩重臣渡辺家の家臣団の一、関東百人組であった。渡辺家は幕下御付属衆、すなわち幕府から派遣された尾張藩の重臣である。関東百人組は元々家康の鉄砲組であり、渡辺守綱が家康によって尾張初代藩主義直に付けられたとき、彼らは渡辺家の家臣とされた。守綱も関東百人組も、家康に軍事能力を高く評価されて尾張藩に付属された者である。守綱の領知の多くは三河にあるが、幕府と尾張藩の領知が混在する美濃国不破一色村にも、延宝9年-元禄3年(1681-90)一時的ではあるが守綱領があったこと、さらに関東百人組が駒塚奉行の下で川並支配を担当していたことから、当時の川並支配には軍事的機能が付せられていたと考えられる。

  • 尾張藩による古家材移送および家作事の管理

    『徳川林政史研究所研究紀要』   第37号   61 - 76.   2003年3月

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    出版者・発行元:徳川林政史研究所  

    木曽川の水運支配に関わる文書にしばしば登場する「間尺場」という語に注目し、その場所の設定の経緯と語句の意味を解明した。「間尺場」とは「間尺改め」が義務づけられた場のことで、「間尺改め」とは、その地域で家作事が行われる際に、使用される材木のサイズや出所等を藩がいちいち改める作業を指す。「間尺改め」の語句が史料に初出するのは宝永4年(1707)で、ちょうど江戸時代前期の新田開発の波に乗って本家から分家した小百姓らが成長し村役人に選出され始める(すなわち村寄合を開けるほどの家屋敷を持てる)時期と一致する。材木は尾張藩の収入源のひとつであるから、材木の流通にも目を配っていたが、家作事に伴い農村部での材木流通が増加したため、藩は新たに間尺改めを始めたのだろう。間尺改めが義務づけられた間尺場の設定は、その後元文年間(1736-40)のことで、木曽川左岸(尾張国側)沿岸部だけでなく岸から約2里離れた村々まで含んでおり、材木流通の広がりを伺わせる。もっとも、農村部の庶民の間で取引されたのは平野部の古家を解体したときに出る古材であり、取引は尾張から美濃の平野部の商人らの間で行われる。支配が及びづらい旗本幕府領が混在する美濃での材木取引に、尾張藩がどの程度関与できたのかが課題として残った。

  • 尾張藩による木曽川川並支配について

    『徳川林政史研究所研究紀要』   第36号   93 - 114.   2002年3月

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    出版者・発行元:徳川林政史研究所  

    本稿において尾張藩の川法とそれを執行する組織を分析した結果、尾張藩の木曽川水運支配は五つの時期に分類できることがわかった。第Ⅰ期(元和元年(1615))においては、木曽山と木曽川が尾張藩領とされながらも、実際の支配は、木曽の土豪であり元々家康の配下である山村家が木曽代官として執行していた。万治2年(1659)尾張藩は付家老成瀬の名をもって初めて木曽川の夜間通行などを禁じた定めを出した。ここからが第Ⅱ期である。ついで第Ⅲ期、寛文5年(1665)山村家の管掌範囲を村方に限定し山林支配を尾張藩が掌握、藩内に川並行政を専門に扱う部門を組織した。寛文9年の川法では木曽川を「尾張川」とし尾張藩領内であることを明文化した。森林資源の枯渇化も叫ばれていたが、この頃はまだ木曽山の保護は徹底されていない。それがなされるのは第Ⅳ期享保11年(1726)の享保林政改革以降である。それまでの川並行政の組織も解体し、再構築された。川並の村々の有力者を流木管理の責任を負う留木裁許人に任命するのもこのときで、広範な地域で組織的な流木監視を可能にした。第Ⅴ期は天明元年に始まる。この年地方行政改革の一環として木曽川沿いにある北方村に村方行政を担当する北方代官が置かれ、常駐することとなり、かつ木曽川中下流域を管轄する川並奉行をも兼任することとなった。同時期、村においては庄屋から川方業務を分割してそれを専門に扱う川庄屋の設立が増えていく。上層部から末端に至るまで現地に密着した支配体制への転換は、木曽川水運、ひいては地域経済の興隆、その一方で深まる各村内の階級分化と対立の激化を受けての現象と捉えられよう。

  • 尾張藩水上交通史の研究(博士論文)

    1999年3月

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    (著書『尾張藩水上交通史の研究』を参照のこと。)

  • 尾張藩における渡船場支配 -水難事故と防止策を中心に-

    『東海地域文化研究』   第9号   113 - 125.   1998年7月

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    出版者・発行元:東海地域文化研究所  

    宝暦7年(1757)、美濃国厚見郡の尾張藩領池之上村の渡船場で転覆事故が発生、2人の船頭と30人ほどの乗客の内、船頭1人と客10人が水死した。この渡船場は尾張藩から支援を受けず村の費用で維持されており、例えば尾張藩だけでなく幕府の支配をも受ける美濃路の起渡船場よりも遙かに小規模なものである。しかし、この事故の2年後、尾張藩は領内の渡船場を調査し、①藩や村が運営に関わる渡船場、②個人が運営する渡船場、③耕作用の船を持つ者がその片手間に渡船をしているような場所に分類し、それぞれに定を出した。①②については渡船の安全運行の厳守を命じ、③については渡船業務を禁止したのである。なお、③の渡船禁止は、言い換えれば、村や藩の監視の行き届かないところでの旅人の自由な渡河を禁止したものでもあり、安全運行だけでなく防衛、治安上の目的も含まれていると捉えることもできよう。(加筆訂正し、著書『尾張藩水上交通史の研究』に掲載)

  • 享保-宝暦期における名古屋商人神戸家の「有物勘定帳」

    『南山経済研究』   第12巻1号   79 - 94.   1997年6月

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    出版者・発行元:南山大学  

     名古屋の材木商、神戸家には総合的な経営帳簿「有物勘定帳」が、18世紀前期のおよそ20年間分残されている。各帳面は、資産勘定と損益勘定の二部に分かれた複式簿記の形式をとっており、三都を除く地方都市の中では先進的な会計技術の導入がみられる。但し、両勘定で出された純損益が一致するのはわずかである。一致しない理由として、事業経営と家計が未分化であることが考えられる。(本研究ノート執筆時は自身で撮影したネガフィルムをレンズで見ながらの作業で、細部の研究にいたらなかったが、近年、紙にプリントしたものを入手することができたため、改めて資料を読み直し分析し直した結果が、学術論文「近世前期の名古屋材木商犬山屋神戸家の経営」である。)

  • 尾張藩円城寺奉行の変遷

    『郷土文化』   第51巻第1号   51 - 56.   1996年8月

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    出版者・発行元:名古屋市郷土文化会  

    張藩は木曽川沿岸の支配を川並支配と呼び、担当の官庁を置いていたが、その変遷はめまぐるしく、官庁や役職の存在は知られていてもその実態は明らかにされていない。本稿の目的は、川並支配担当の役職の一つ、円城寺奉行の実態と変遷の解明である。円城寺奉行は、延宝元年(1673)木曽川右岸、美濃国の尾張藩領円城寺村に置かれた役職で、始めは尾張藩士が任じられたが、その後円城寺村の土豪、野々垣家の当主が世襲した。管下には美濃国尾張藩領の円城寺、野村、鵜沼に置かれた川番所がある。各番所においては、藩領のみならず旗本領に流れ着いた流木の検閲、木曽川を上下する材木の送り手形、木曽川の夜警を担当する。江戸時代中期の一時期、対岸の尾張国北方村に設けられた北方奉行と川並支配を月交代で担当することもあったが、享保11年(1726)には廃されて、北方奉行は尾張側、円城寺奉行は美濃側を常時担当することとされた。

  • 近世尾張における犬山渡船場の運営

    『南山論集』   第24号   1 - 17.   1996年3月

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    出版者・発行元:南山大学  

    木曽川中流左岸の犬山は、鵜飼屋と内田、二つの渡船場が存在する。この犬山は、濃尾平野の東北の際、別の言い方をすれば木曽山への入り口に位置しており、そのため材木輸送の拠点としてまた軍事的拠点として重要視されていた。犬山城の周辺には城下町も形成され、安土桃山期には周辺の商業中心地としても成長した。そのような地において、近接する二つの渡船場の機能の違いを運営の面から明らかにするのが、本稿の目的である。藩営街道である稲置街道に属する内田には、領主より船頭給が出され、船の維持にも援助があった。一方の鵜飼屋には藩から何の補助も無い。この渡船場は、木曽川水運の拠点、特に材木筏の中継場所である犬山湊と同じ位置にあり、渡船場の利用者は主に筏師で、その便宜のために設置が認められたものである。実は犬山城下町に近いのも鵜飼屋であり、筏師以外の町人らの利用があった可能性は高いが、内田との間に乗客の取り合いがあったとの記録はなく、両者の住み分けは問題なく行われていたとも考えられる。

  • 尾張藩船手役所による船方支配

    『経済社会学会年報』   XVII   249 - 264.   1995年8月

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    出版者・発行元:経済社会学会  

    当時、まだ研究が進んでいなかった尾張藩船手役所の組織、支配とその変遷の整理を試みた。組織の長、船奉行は、初め海防を司っていた千賀家が担当し、後に他の尾張藩士も加わって海方と川方に分割され、さらに両者を統合して熱田奉行と千賀家の二人役となり、収まった。末端組織には、船大工の長となる御船大工、知多半島の廻船を統括する廻船惣庄屋、熱田からの出船入船をみる船会所、村に置かれた船庄屋などがある。(加筆訂正し、著書『尾張藩水上交通史の研究』に掲載)

  • 近世における渡船場支配ー尾張藩領内田渡起渡を中心としてー

    『法制史研究』   第43号   243 - 69   1994年3月

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    出版者・発行元:法制史学会  

     木曽川にかかる二つの渡船場、内田と起を取り上げ、それを比較することで、幕府の支配がどの程度尾張藩領内に食い込んでいたかを明らかにした。犬山城下町のはずれにある内田は稲置街道の渡船場で、稲置街道は、江戸や尾張藩領の木曽山に通ずる中山道と名古屋とを結ぶ重要街道であった。尾張藩はこの街道に宿駅を設置しており、稲置街道はいわば藩営の街道ともいえる。そこに属する内田は政治的、経済的、そして軍事的にも重要な地点であったが、幕府の管轄には入っておらず、たとえ幕末であっても、この渡船場に対して財政補助や触出しなどの形で幕府が干渉した形跡はない。五街道に準ずるものとして幕府道中奉行の管轄下にある起渡船場でさえ、直接的に渡船場の運営に関わることはなかった。平時における、末端組織の船庄屋の任免認可、船の運行に関わる財政補助などは全て尾張藩の手にゆだねられていたし、幕末において、幕府が起渡船場に財政支援を出したときでさえ、尾張藩が幕府と渡船場の間に立っており、しかも起に渡された幕府の補助金は、全額ではなかったのである。以上のことから、尾張藩においては、たとえ幕府の道中奉行の支配下にある渡船場であっても、幕府から干渉を受けることはほとんどなかったことがわかった。

  • 近世後期における木曽川河川水運について

    『南山論集』   第21号   27 - 57.   1993年3月

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    出版者・発行元:南山大学  

    木曽川の起には、上記論文1,2でみた渡船場としての機能のほか、物資流通拠点の湊としての機能も備わっている。本稿では、年貢米や商品の輸送手続きと、出荷される商品の種類、量を整理した。起と木曽川下流を行き来する船は、途中の神明津船番所を通過するときに、船荷や量を記した船手形を提示せねばならない。その手形を帳面に記載したのが起の船庄屋林家に残る「下船神明津手形留」である。江戸時代後期において、起の船持は木曽川沿いの商人の商人と取引関係を持ち、河口の桑名、四日市を中継にして名古屋をはじめ伊勢湾岸一帯へ商品の移送をしていた。その一方で、武家階級の年貢米の移送の負担も負っていた。年貢米には、藩に納入される蔵米と家臣が給知から集める給人米があり、史料から、前者の輸送を受ける船持が少なかったことが判明した。その理由として、①藩の御用ということで商荷よりも低い定額運賃しか支給されなかったこと、②蔵米の量が大量で、他の商荷を運賃積みすることで不足する運賃を補填することもかなわなかったことが挙げられている。武家階級が自身で定めた低額運賃による交通輸送が、他階級の高額運賃の負担によってまかなわれている状況は渡船場や宿駅の利用でみられるが、年貢米輸送においても、同様であったことがわかった。

  • 江戸時代後期における徳川幕府・尾張藩の渡船場支配

    『南山論集』   第20号   89 - 113.   1992年3月

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    出版者・発行元:南山大学  

    木曽川は、東西の防衛ラインとして御三家の一つ尾張徳川家に幕府より支配が任されていた。木曽川にかかる起渡船場も当然尾張藩の管轄下にあるが、一方、起を含む街道の美濃路の支配の頂点には、幕府道中奉行があった。本稿では、渡船場を通じて幕府が藩領にどの程度干渉し得たかをみるものである。平時の渡船運行に必要な船人への給与や、日常に使用する船の新造修復費用は尾張藩が行った。幕末における軍隊の移動にかかる費用については、船庄屋が収支の明細をつくり、不足金の手当を藩に願い出るが、支給は願い出た金額の80%程度にとどまった。幕府からの支給も若干あったが、それは尾張藩を通じて支給され、額も十分とは言えないものであった。

  • 近世後期渡船場をめぐる出入りについて

    『南山論集』   第19号   49 - 70.   1991年3月

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    出版者・発行元:南山大学  

    美濃路、木曽川起渡船場の支配を司る「船庄屋」の相続をめぐり頻発した船方騒動の内容とその原因を探る。渡船場は元々、本陣、問屋、庄屋等を勤める加藤家の管理下にあったが、街道に関わる諸事務が増加したため、1641年、庄屋と船方支配を脇本陣の佐太郎家に任せた。その後を佐太郎の家筋の者たちが継いでいったが、脇本陣の経営の悪化、借金の積み上がりにより相続が困難になったため、村方の相談の末、1720年、借金の返済と船方支配と脇本陣を林家に任せ、庄屋は別の者が担当することになった。ここに「庄屋」から分離した「船庄屋」という役職が誕生する。林家に借金の返済と脇本陣の経営が任されたのは、船方支配の担当者に、大名のために他所船を提供するときの船の貸借に差益が発生したり、所有する馬船の船役銀を免除されるという特権があったためである。その利益や特権を狙って、はじめ本陣、問屋の加藤家が、その後18C後半から19Cにかけては庄屋が、他の船持と手を結んで林家に圧力をかけた。船庄屋の船方支配が、元々本陣や庄屋の手にあったということが彼らの論拠である。彼らの要望を林家も受け入れ、一時、船庄屋が庄屋と林家の二名になるときもあったが、庄屋と船持の間にも利益配分をめぐってのトラブルが絶えず、結局船庄屋は林家の一人役に帰することになる。

  • 起宿船庄屋に関する一考察(修士論文)

    1990年3月

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    学術論文「近世後期渡船場をめぐる出入りについて」「江戸時代後期における徳川幕府・尾張藩の渡船場支配」「近世における渡船場支配ー尾張藩領内田渡起渡を中心としてー」の内容を含む。

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書籍等出版物

  • 『尾張藩水上交通史の研究』

    ( 担当: 単著)

    清文堂  2000年12月 

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    総ページ数:280p.  

    渡船場に関する研究はこれまで、その軍事的、言い換えれば関所的な機能を中心に論じていた。確かに軍事的機能は有していたであろうが、一方、矢作川のように架橋がされている河川も存在しているのは、渡船場に軍事以外の別の機能、すなわち経済的な機能も期待されていたためと考えられる。本著は、幕府の交通政策と関連しながらも、尾張の軍事的な重要性あるいは領内経済保護を重視する立場から独自の仕組みを作り上げた尾張藩の水上交通支配体制と、その下で地域の運輸業者・商人が受けた影響を論ずるものである。

  • 『工業化と企業者精神』

    ( 担当: 共著)

    日本経済評論社  2014年3月 

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    総ページ数:pp.447-464  

    第3代南山大学長であり経済史・経営史学者ヨハネス・ヒルシュマイヤーの業績を紹介し、評価した。

  • 『つなぐ世界史』2 近世

    清水書院  2023年6月 

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    第4章「19世紀の世界」の一節「愛知の「ものづくり」のルーツをたどる」を担当。

  • 『城郭の怪異』

    三弥井書店  2021年6月 

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    「名古屋城ー見守る櫃と天狗と狐たち」を執筆。

  • 『城下町と日本人の心性ーその表象・思想・近代化』

    ( 担当: 共著)

    岩田書院  2016年3月 

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    「名古屋城の描写と意識の変遷ー江戸時代から近現代にかけてー」(単著)pp.96-126(31p.)、「近世における城下町内河川の維持ー江戸・京都・大坂・名古屋の場合ー」(単著)pp.241-272(32p.)の2本の論文を掲載。

  • 近世における城下町内河川の維持ー江戸・京・大坂・名古屋の事例よりー

    ( 担当: 単著)

    公益財団法人上廣倫理財団 『日本人の心のよりどころ 城と城下町の新研究ー2012-2014-』  2015年3月 

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    担当ページ:pp.87-101   著書種別:調査報告書

    都市河川の浄化が求められる昨今であるが、江戸時代には都市河川においても多様な生物が日常的にみられる清水であった。その維持にあたった人々とその動機、方法について、先行研究や史料に基づき、都市ごとに整理した。

  • 名古屋城に対する意識の変遷ー江戸時代から近現代にかけてー

    ( 担当: 単著)

    公益財団法人上廣倫理財団 『日本人の心のよりどころ 城と城下町の新研究ー2012-2014-』  2015年3月 

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    担当ページ:pp.200-214   著書種別:調査報告書

    本丸御殿が再建され、天守閣の木造での再建の話も持ち上がる名古屋城であるが、そもそも名古屋城とは名古屋市民にとって、どのような存在であるのか。江戸時代から現代まで、所有や機能が変わっていく名古屋城が、市民の記録にはどう描かれているのか、市民の名古屋城への意識の変遷をみることで、昨今の再建問題を考える材料とする。

  • 『新修名古屋市史』資料編近世二

    ( 担当: 共著)

    名古屋市  2010年3月 

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    第三章「発展する商工業」の資料の翻刻と校訂、同章第一節「犬山屋神戸家」、第二節「麻屋吉田家」、第三節「水口屋小川家」、第五節「水野太郎左衛門家」、第六節「津田助左右衛門家」の解説(第五節のみ、天野雅俊と共同執筆、約50%を担当)

  • 『新修 名古屋市史』資料編近世一

    ( 担当: 共著)

    名古屋市  2007年3月 

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    総ページ数:pp.720-730.  

    名古屋の商人伊藤次郎左衛門家(現・松坂屋)資料の翻刻と解説を行った。

  • 『長久手町史』本文編

    ( 担当: 共著)

    長久手町  2003年3月 

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    総ページ数:768 p.  

    第二編中世第四章第一節「人々の生業と暮らし」pp. 221-229.(9 p.)、第二節「物資・貨幣の流通」、pp. 229-244.(16 p.)、第三編近世第五章「人々の生業と交通」、pp. 387-403.(17 p.)を担当。中世および近世の、長久手の交通と経済について解説。

  • 『新修 名古屋市史』第三巻

    ( 担当: 共著)

    名古屋市  1999年3月 

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    総ページ数:961 p.  

    第五章第四節「名古屋の諸街道」、pp. 331-349.(19 p.)、第九章第三節「都市商業の展開」、pp. 603-641.(39 p.)を担当。

  • 『尾西市史』通史編上

    ( 担当: 共著)

    尾西市  1998年3月 

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    総ページ数:965 p.  

    近世編第一章第四節(一)「起渡船場の成立」、pp. 302-303.(2 p.)、(二)「起宿における渡船場の運営」、pp. 303-331.(29 p.)を担当。表題について解説。

  • 『犬山市史』通史編上

    ( 担当: 共著)

    犬山市  1997年11月 

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    総ページ数:846 p.  

    第三編第五章「木曽川と街道」、pp. 723-788.(66 p.)を担当。犬山の陸上交通、河川交通について解説。

  • 『公義御茶壺一巻留』

    ( 担当: 共著)

    名古屋市市政資料館  1997年3月 

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    総ページ数:301 p.  

    「御茶壺道中と街道の人々」、pp. 34-44.(11 p.)を担当。毎年一度、江戸と宇治を往復する御茶壺道中は、将軍自身が使用したり、将軍家祖廟や禁裏への献上茶にされる御用茶を運ぶものであり、道中では摂家や宮家、門跡と同様に扱うように定められていた。この茶壺道中のために宿駅に課せられた接待の規定とその変化、役人の接待に関わり発生した事件から、茶壺道中の問題点を探る。慶長18年(1613)に採茶使を派遣したのに始める茶壺道中は、寛永9,10年(1632,33)に制度化され、数寄屋頭1名他が随行することなった。茶壺の数はときに50以上に上り、岡崎宿では復路で330人もの人足を提供したときもあった。街道沿いには茶壺の権威をおとしめぬよう、様々な注意が触れ出され、経済的にも日常生活上でも近隣住民に大きな負担を与えたのである。享保8年(1723)には道中の簡素化が命ぜられた。二条城大番、大坂城番士の交代と茶壺道中の日程を合わせ、大番や番士らに茶壺の警護をさせることとしたのもこのときである。しかし、数寄屋頭と大番や番士の上下関係が明確でないことから、宿駅での接待が混乱した。また、正式な茶壺ではないのに茶壺と称して運搬を命ずる者が現れるなど、茶壺道中が地元住民に与えた影響は小さくなかった。

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MISC

  • 名古屋城下町の町触について-元禄2年(1689)「御触帳」ー

    南山経済研究   29 ( 2 )   99 - 123   2014年10月

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    出版者・発行元:南山大学  

    名古屋のまとまった町触帳としては最も古い、伊藤次郎左衛門家資料の1689年の「御触帳」を翻刻。

  • 会員著作紹介櫻井芳昭氏『牛車』

    『郷土文化』   68 ( 01 )   p.104   2013年8月

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    出版者・発行元:名古屋郷土文化会  

  • 尾張藩政の記録係ー留書奉行のことー

    南山大学アーカイブズニュース   第5号   2012年11月

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    出版者・発行元:南山大学  

  • 尾張徳川家

    徳川将軍家・御三家・御三卿のすべて   44頁   2012年6月

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    出版者・発行元:新人物往来社  

    尾張徳川家の概要

  • 名古屋商人と蒐集活動─名古屋商人笹屋岡谷家の場合─

    『陶説』   710   3頁   2012年5月

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    出版者・発行元:日本陶磁協会  

    名古屋の金物商笹屋岡谷家(現岡谷鋼機)が美術品を蒐集するようになった動機、経緯について紹介。

  • 尾張の鋳物師たちー特権とその限界ー

    『清須越ー大都市名古屋の原点』   90 - 93.   2011年5月

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    出版者・発行元:清須越400年事業ネットワーク  

    尾張国鋳物師の特権の根拠を述べたのち、その特権が失われていく過程を概説した。

  • 徳川宗春

    意外に知らないあの江戸大名の晩年と最期   2011年3月

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    出版者・発行元:新人物往来社  

    尾張藩七代藩主徳川宗春の、蟄居謹慎から逝去までの間の暮らし、世間の反応などを紹介。見出しを修正した以外は、『別冊歴史読本』の内容と同じ。

  • 尾張の鋳物師たちー特権とその限界ー

    2011年3月

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    出版者・発行元:NPO法人「清須越400年事業ネットワーク」  

    清須越の鋳物師である水野太郎左衛門家の、特権成立および崩壊までの背景を、概説した。

  • 年表

    名古屋市中区誌   2010年12月

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    出版者・発行元:中区制一〇〇周年記念事業実行委員会  

    中区制100周年を記念して出された中区の歴史についての論文集において、巻末付録の年表を作成した。

  • 18世紀前期における尾張藩の経済政策と名古屋商人

    南山学会経済系列研究例会   2010年6月

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    出版者・発行元:南山学会  

    尾張藩七代藩主徳川宗春の行った経済政策の概要と、名古屋商人への影響について。

  • 曽根勇二『秀吉・家康政権の政治経済構造』

    『日本歴史』   第735号   115 - 117.   2009年8月

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    掲載種別:書評論文,書評,文献紹介等   出版者・発行元:吉川弘文館  

  • 佐屋川の流れと人々の生活

    『KISSO』   第65号   12 - 14.   2008年1月

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    出版者・発行元:国土交通省中部地方整備局木曽川下流河川事務所(木曽川文庫)  

  • 矩姫

    別冊歴史読本 お姫様の幕末維新   74 - 79.   2007年11月

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    出版者・発行元:新人物往来社  

    幕末に尾張徳川家に嫁いだ二本木藩丹羽家の矩姫の生涯について執筆

  • 尾張藩における渡船場支配 -水難事故と防止策を中心に-

    『東海地域文化研究』   第9号   113 - 125.   1998年7月

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    出版者・発行元:東海地域文化研究所  

  • 享保-宝暦期における名古屋商人神戸家の「有物勘定帳」

    『南山経済研究』   第12巻1号   79 - 94.(16 p.)   1997年6月

  • 尾張藩船手役所による船方支配

    『経済社会学会年報』   XVII   249 - 264.(16 p.)   1995年8月

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    出版者・発行元:経済社会学会  

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講演・口頭発表等

  • 近世の都市内河川の維持についてー江戸・京の町触からー

    法制史学会中部部会  2015年5月  法制史学会中部部会

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    江戸・京の町触および名古屋の諸史料、また、大坂に関する先行研究を材料にして、江戸時代における都市内河川の維持(浄化)の方策を、障害物の種類、周辺住民や利害関係者にとっての川の機能、浄化の目的などの点から整理する必要があることを示した。

  • 18世紀前期における尾張藩の経済政策と名古屋商人

    南山学会経済系列研究例会  2010年6月  南山学会経済系列研究会

  • 尾張藩の川並支配について

    法制史学会中部部会第47回例会  2005年9月  法制史学会

  • 近世河川水運史研究の動向と展望

    交通史研究会第30回記念大会シンポジウム「21世紀の水上交通研究」  2004年5月  交通史研究会

  • 近世渡船場事情-美濃路起渡船場を中心として-

    谷口国際シンポジウム文明学部門第13回 近代世界における日本文明-交通の比較文明学-  1994年  谷口国際シンポジウム

  • 近世後期渡船場をめぐる出入について-美濃路起渡船場船庄屋を中心に-

    法制史学会中部部会第8回例会  1992年9月  法制史学会

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共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 幕末・明治期における名古屋の商工業組織の再編と商家・企業の動向

    2014年

    公益財団法人 シキシマ学術・文化振興財団  シキシマ学術・文化振興財団第30回助成 

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    配分額:500000円

  • 近世尾張商業史

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    江戸時代における尾張藩領内の繊維、鋳物のほか、あまり取り上げられてこなかった油などの諸産業について、その成長、停滞の理由を、原史料の分析を通じて明らかにする。

  • 中部の流通経済史

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    現在「モノ作り」の拠点といわれる中部地域の経済成長の背景を、近世、近代経済史から解明する。

その他

  • <なごや学>市民講座

    2013年2月

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    名古屋市南区生涯学習センター主宰「<なごや学>尾張名古屋は芸どころ」第二回「藩主としての徳川宗春」の講演を担当。

  • 『ヒルシュマイヤー著作集』編集

    2012年 - 2014年

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    南山大学社会倫理研究所主宰の南山大学学長故ヒルシュマイヤー教授の著作集の編集作業。2013年度中に経済経営編を日本経済評論社より出版予定。

  • 名古屋市歴史的風致維持向上計画協議会

    2012年

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    名古屋市住宅都市局都市計画部歴史まちづくり推進室が開催する「歴史的風致維持向上計画協議会」で、委員として、歴史的な視点から発言する。

  • 愛銀教育文化財団理事

    2017年

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    愛知銀行の付属機関である愛銀教育文化財団の理事として、当財団の教育助成などの協議に参加。

  • 名古屋郷土文化会理事

    2015年

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    編集委員として、雑誌『郷土文化』の編集に従事。

  • 記念講演

    2023年11月

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    11月17-20日名古屋国際会議場にて開催の第49回技術士全国大会に招聘され、18日(土)15:40-17:00、白鳥ホールにて記念講演「愛知産業発展の歴史ーナゴヤのものづくりの多様性ー」をおこなった。

  • 講演

    2023年5月

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    守山生涯学習センター企画の市民講座「<名古屋学>尾張藩学~尾張徳川家の治世を学ぼう~」の、第1回(特別講演)「尾張徳川家の成立~尾張徳川家初代義直と名古屋城~」(2023年5月10日(水)10:00~12:00)と第2回「尾張藩の財政改革~宗春の規制緩和~」(2023年5月17日(水)10:00~12:00)を担当。

  • 講演

    2021年2月

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    名東生涯学習センター主催「<名古屋学>尾張藩学~尾張徳川家の治世を学ぼう」の中の「尾張藩の財政改革~宗春の規制緩和~」講師

  • 講演

    2021年2月

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    岩倉市シニア大学社会学部の「近世名古屋の呉服商‐茶屋・松坂屋・大丸屋-」講師を担当(@岩倉市生涯学習センター)

  • 講演

    2020年11月

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    名古屋市やっとかめ文化祭にて「名古屋甚句で読み解く尾張老舗物語」の講師を担当(@料亭 河文)

  • 寄稿

    2020年10月

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    「経済学部創設60周年を迎えてーこの10年を振り返りー」『南山経済研究』第35巻第2号、経済学部60周年記念号(上)、2020年10月、pp.121-122。

  • 寄稿

    2020年3月

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    「木曽川の渡船場と湊ーその支配と目的」『会報 河川文化』第89号、日本河川協会、2020年3月、pp.16-17

  • 寄稿

    2020年2月

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    「犬山の材木商 神戸家のネットワーク」名古屋経済大学犬山学研究センター『広報誌 犬山学』第6号、2020年2月24日、p.3(2020年1月7日第10回犬山学サロンでの講演の要約)

  • 講演

    2020年1月

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    名古屋経済大学犬山学研究センター主催第10回犬山学サロン(2020/01/07 16:30-18:00 名古屋経済大学GF1講義室)にて、「犬山の材木商 神戸家のネットワーク」のタイトルで講演。

  • 講演

    2019年12月

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    「徳川宗春の経済政策と名古屋商人」2019年12月3日(火)10:00~ 於:岩倉市シニア大学社会学部(岩倉市生涯学習センター)

  • 講演

    2018年9月

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    「名古屋城天守閣を木造復元し、旧町名を復活する会」(代表:北見昌朗)の依頼で、同会において、9月29日「江戸時代の京町薬種街の形成について」との演題で講演。なお、聴衆者として河村たかし氏も参加。

  • インタビュー掲載

    2018年5月

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    公益財団法人愛銀教育文化財団の機関誌『Ayuchi』No.80/2018.5にインタビュー掲載

  • 講演

    2018年3月

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    愛知県医薬品卸協同組合(一社)名古屋薬業倶楽部の依頼で、名古屋銀行協会において「江戸時代における名古屋の医薬と化粧品ー生産と販売・頒布ー」のテーマで講演をおこなう。

  • 書籍への掲載

    2017年11月

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    2017年11月9日刊行、日本経済新聞社『ナゴヤが生んだ「名」企業』に、発言が紹介される。

  • 講演

    2017年11月

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    名古屋市緑生涯学習センター主催の市民講座「<なごや学>尾張藩学ー尾張徳川家の治世を学ぼう」の第3回において、「尾張藩の財政改革ー宗春の規制緩和ー」とのテーマで講演をおこなう。

  • 講演

    2017年4月

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    4月20日(木)18:30より南山経済人クラブ4月例会(東京第一ホテル錦)にて、徳川宗春の経済政策ー成功か失敗かー」とのテーマで講演をおこなう。

  • 書籍への寄稿

    2017年1月

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    溝口常敏『古地図で楽しむ尾張』風媒社、2017年1月、pp.36-37に「侍たちの長久手古戦場巡り」を寄稿

  • 講演

    2016年12月

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    日本経済新聞社名古屋支社主催(テレビ愛知共催)のシンポジウム「ナゴヤが生んだ名企業、刻む歴史と成長への課題」(名古屋マリオットアソシアホテル)にて、講演をおこなう。

  • 雑誌への寄稿

    2016年3月

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    南山アーカイブズ『アルケイア―記録・情報・歴史』 第10号に、11月に開催されたシンポジウムで話した内容を改編した「趣旨説明ー初等・中等・高等教育機関の自校史教育の必要性と方策を考える-」を寄稿。

  • 講演

    2016年2月

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    名古屋市市政資料館主催の「文化小劇場で紡ぎ出す名古屋の歴史2015」シリーズの第5回に、「江戸時代の名古屋の川浚いー三都との比較ー」とのテーマで、港文化小劇場において、質疑を含めて120分の講演をおこなった。他の回に比べて参加者数が多かったとのことで、南山大学の教員も2名、聴講に訪れた。

  • 書籍への寄稿

    2016年1月

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    依頼を受けて、加藤幹彦『市電残像』樹林舎、2015年に、名古屋における市電の役割に触れた「鉄路が支える名古屋の都市化」を寄稿。

  • シンポジウム司会

    2015年12月

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    南山アーカイブズ多目的室 [学校法人南山学園法人事務局ライネルス館]で開催された南山アーカイブズ常設展示室オープン記念シンポジウム「展示を利用した自校史教育の可能性」において、司会を担当。

  • 書籍への寄稿

    2015年11月

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    『南山アーカイブズ常設展示図録』に「南山大学の学生たち」を寄稿。

  • 模擬授業

    2015年11月

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    丹羽高校にて「尾張の経済発展を支えたものー歴史の視点からー」とのテーマで模擬授業を2回実施。

  • 展示パネル作成

    2015年11月

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    南山アーカイブズ常設展示の「学生運動の高揚と終焉」「学生たちのさまざまな活動」の展示パネルを作成。

  • 名古屋市政資料館調査協力員

    2015年10月

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    名古屋市史に関する講演、名古屋市史資料公開にあたっての解説執筆、名古屋市史に関する市民からの問い合わせへの対応、新たに寄せられた古文書などの調査収集、その他、名古屋市史に関する事項

  • 講演

    2015年10月

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    国土交通省中部地方整備局木曾川下流河川事務所主催木曾三川流域開放講座第3回に、「木曾川水運と人々の暮らし」とのテーマで、弥富市産業会館において120分の講演をおこなった。空席がほとんどなく盛況で、多くの質問や指摘をもらった。

  • リーフレットへの寄稿

    2015年9月

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    南山大学広報誌『NANZAN BULLETIN』vol.194「私のクラス」に寄稿。

  • 講演

    2015年7月

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    名古屋市守山生涯学習センター主催の講座「<なごや学>驚き発見、守山の技!~地元で活躍する職人に聴く~」の初回公開講座においてものづくりの歴史を紐解く」の第1回特別講座において「ものづくりの歴史を紐解くー尾張名古屋の江戸時代ー」とのテーマで、2時間にわたり、講演をおこなった。

  • 書籍への寄稿

    2015年

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    「鉄路が支える名古屋の都市化」『市電残像 名古屋に路面電車があった頃 加藤幹彦写真集』樹林舎、2016年

  • 書籍への寄稿

    2014年12月

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    名古屋郷土文化会編『米国人の見た戦後の名古屋』(『郷土文化』別冊[通巻222号])の中で、堀川の2枚の写真を解説。

  • 講座

    2014年8月

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    2014年度カレッジ講座の一環で、「尾張『物』がたりーものづくりと商人の歴史をたどるー」とのテーマで、大学コンソーシアム瀬戸において、90分の講演をおこなった。

  • 講座

    2014年3月

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    名古屋市住宅都市局歴史まちづくり推進室主催、歴史的風致維持向上計画認定記念講座「“歴史都市”名古屋へのいざない」において、「名古屋の名所今むかしー図会・双六・ガイドブック」のテーマで、講演をおこなった。

  • トークイベント

    2013年9月

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    名古屋市住宅都市局歴史まちづくり推進室主催、歴史まちづくりトークイベント「名古屋の歴史的風致を探せ!」において、「堀川と生きるー江戸時代の名古屋の人々とくらしー」とのテーマで30分ほど講演をおこなう。

  • 模擬授業

    2013年9月

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    豊田高校において「経済学からみる財政赤字ー江戸時代と現代」とのテーマで模擬授業を2回実施。

  • 模擬授業

    2013年7月

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    オープンキャンパスにおいて「デパートの歴史からみる名古屋経済ー呉服屋からデパートへー」とのテーマで模擬授業を実施。

  • 中京テレビ「PS」

    2012年7月

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    中京テレビ制作「PS」歴史トラベラー2に、コメンテイターとして出演。

  • 法制史学会中部部会幹事

    2012年6月 - 2014年5月

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    法制史学会中部部会の運営を行う。

  • 中京テレビ「PS」

    2012年4月

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    中京テレビ制作「PS」歴史トラベラー1に、コメンテイターとして出演。

  • 上廣倫理財団「城下町と日本人のこころ」研究会

    2012年 - 2014年

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    明海大学岩下哲典氏の主宰で、上廣倫理財団の研究助成を受け、全国の中堅・若手研究者7名で、各人のテーマにそって城下町についての研究、討論を行う。研究成果は3年後に出版物として発表する予定。

  • 講演

    2011年10月

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    名古屋市北生涯学習センター平成23年度後期生涯講座「ぶらり、わがまち再発見~稲置街道の魅力に迫る~」の一環で、「名古屋の街道の魅力ー稲置街道を中心にー街道について」とのテーマで2時間にわたり、市民に講演をおこなった。

  • 名古屋郷土文化会理事

    2008年

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    鶴舞中央図書館が事務局となっている、名古屋の文化・歴史の研究会において、理事をつとめる。

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その他教育活動及び特記事項

  • 講義

    2018年4月 - 2019年1月

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    毎年開講している「日本経済史入門」「日本経済史A,B」において、講義の途中に2,3回、それまでの復習を兼ねた小問を解かせる時間を設け、次の講義で正答を公開、解説を加えた。教員にとっては学生の修得度を把握でき、学生に対しても知識を定着させる機会を提供できた。

  • 講義

    2017年9月 - 2018年1月

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    毎年開講している共通教育科目「モダンの系譜」「日本経済史A」において、講義の途中に2,3回、それまでの復習を兼ねた小問を解かせる時間を設け、次の講義で正答を公開、解説を加えた。教員にとっては学生の修得度を把握でき、学生に対しても知識を定着させる機会を提供できた。

  • 講義

    2016年9月 - 2017年1月

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    毎年開講している共通教育科目「モダンの系譜」「日本経済史A」において、講義の途中に2,3回、それまでの復習を兼ねた小問を解かせる時間を設け、次の講義で正答を公開、解説を加えた。教員にとっては学生の修得度を把握でき、学生に対しても知識を定着させる機会を提供できた。

  • 演習Ⅰ

    2016年4月 - 2017年1月

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    演習Ⅰの提出課題である春学期の書評と秋学期の論文について、ゼミ内で学生同士が読み合うことで、他者の研究を評価し、かつ、自分の書評や論文の欠点を見直す機会を与えた。特に論文は、提出〆切前にこれをおこなったため、〆切に遅れた学生はゼロであり、内容も良かった。

  • 講義

    2016年4月 - 2016年7月

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    春学期『日本経済史入門』『日本史(瀬戸キャンパス)』において、講義で配布したプリントを、webclassでも見られるようにした。

  • 他学部の学生発表見学

    2016年1月

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    2016年1月に実施された、心理人間学科の卒業発表会を見学し、学生が複数人、並行して発表をおこない、それを他の学生が見学するというスタイルを学び、自分のゼミでの実施の可能性を探った。

  • 講義

    2015年9月 - 2016年1月

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    秋学期『日本経済史B』において、これまでは尾張の地域経済史に特化する内容であったのを、今回は日本全体の経済の動きをまず説明し、それを踏まえた上で、尾張の近代化の、全国的傾向との類似・相違を述べる形式に替えた。

  • 講義

    2015年9月 - 2016年1月

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    毎年開講している共通教育科目「モダンの系譜」において、講義の途中に2,3回、それまでの復習を兼ねた小問を解かせる時間を設け、次の講義で正答を公開、解説を加えた。教員にとっては学生の修得度を把握でき、学生に対しても知識を定着させる機会を提供できた。

  • 講義

    2015年4月 - 2015年7月

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    春学期の新規開講科目「経済特殊講義ー歴史と思想ー」において、日本酒というキーワードで、その生産形態、流通、政治との関係を、時系列で追い、その発展について明らかにする講義を実施し、新たに講義ノートや配布プリントも作成した。

  • 講義

    2014年9月 - 2015年1月

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    秋学期『日本経済史A』において、講義内容のレジュメと修得度を測る小問を作成、印刷して毎回配布し、学生の復習促進をはかるとともに、学生の理解度を教員が把握できるようにした。

  • 講義

    2014年4月 - 2014年7月

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    春学期の『日本経済史入門』で、講義内容を新たにワープロソフトで作成し、必要な資料とともに、学生に配布した。

  • 講義

    2013年4月 - 2013年7月

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    春学期『日本経済史入門』の講義において、日本の貨幣・金融史を説明するために、パワーポイントの資料を作成し、レジュメほか貨幣の画像をカラーで提示する工夫をおこなった。

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社会貢献活動

  • 愛銀教育文化財団理事

    役割:助言・指導

  • 名古屋市歴史的風致維持向上計画協議会委員

  • 法制史学会中部部会幹事

  • 名古屋郷土文化会理事