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学術論文
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年度
Year
論文題目名
Title of the articles
共著区分
Collaboration
   Classification
NeoCILIUS
   請求番号/資料ID
Request No
掲載誌名 Journal name,出版機関名 Publishing organization,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.,発行年月(日) Date
1990  近世後期渡船場をめぐる出入りについて  単著   
『南山論集』  , 南山大学  , 第19号  , pp.49-70.  , 1991/03   

概要(Abstract) 美濃路、木曽川起渡船場の支配を司る「船庄屋」の相続をめぐり頻発した船方騒動の内容とその原因を探る。渡船場は元々、本陣、問屋、庄屋等を勤める加藤家の管理下にあったが、街道に関わる諸事務が増加したため、1641年、庄屋と船方支配を脇本陣の佐太郎家に任せた。その後を佐太郎の家筋の者たちが継いでいったが、脇本陣の経営の悪化、借金の積み上がりにより相続が困難になったため、村方の相談の末、1720年、借金の返済と船方支配と脇本陣を林家に任せ、庄屋は別の者が担当することになった。ここに「庄屋」から分離した「船庄屋」という役職が誕生する。林家に借金の返済と脇本陣の経営が任されたのは、船方支配の担当者に、大名のために他所船を提供するときの船の貸借に差益が発生したり、所有する馬船の船役銀を免除されるという特権があったためである。その利益や特権を狙って、はじめ本陣、問屋の加藤家が、その後18C後半から19Cにかけては庄屋が、他の船持と手を結んで林家に圧力をかけた。船庄屋の船方支配が、元々本陣や庄屋の手にあったということが彼らの論拠である。彼らの要望を林家も受け入れ、一時、船庄屋が庄屋と林家の二名になるときもあったが、庄屋と船持の間にも利益配分をめぐってのトラブルが絶えず、結局船庄屋は林家の一人役に帰することになる。 

備考(Remarks)  

1989  起宿船庄屋に関する一考察(修士論文)  単著   
1990/03   

概要(Abstract) 学術論文「近世後期渡船場をめぐる出入りについて」「江戸時代後期における徳川幕府・尾張藩の渡船場支配」「近世における渡船場支配ー尾張藩領内田渡起渡を中心としてー」の内容を含む。
 

備考(Remarks)  

2015  名古屋城の描写と意識の変遷ー江戸時代から近現代にかけてー  単著   
城下町と日本人の心性ーその表象・思想・近代化ー  , 岩田書院  , pp.95-128  , 2016/03/31   

概要(Abstract) 名古屋城に対する市民または旅行者の意識の変遷を、日記、ガイドブック、双六、新聞記事などからみた。江戸時代においては、権力の象徴として描かれていた名古屋城は、明治大正期にも市民に開放されなかった。その頃の市民は模擬天守を建造し、名古屋城に思いをはせた。昭和初期に市民に開放された後、名古屋城には観光資源としての期待がかかった。 

備考(Remarks)  

2015  近世における城下町内河川の維持ー江戸・京都・大坂・名古屋の場合ー  単著   
城下町と日本人の心性ーその表象・思想・近代化ー  , 岩田書院  , pp.95-128  , 2016/03/31   

概要(Abstract) 前近代における河川は、水運路として機能していた。その水運を妨げる、塵芥や土砂などの堆積物を除去していた主体と理由は、時代や、地域の事情によって変わる。特に江戸後期になると、それまで除去作業を支えていた水運路からの受益者が困窮し、土砂等の堆積が進むこととなった。一方、江戸のように、飢饉での困窮者の救済事業として実施をしたり、大坂、京都、名古屋のように民間からの景気対策として事業がおこなわれることもあった。 

備考(Remarks)  

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