研究者詳細

学術論文
分割表示   全件表示 >>

5 件中 1 - 5 件目

年度
Year
論文題目名
Title of the articles
共著区分
Collaboration
   Classification
NeoCILIUS
   請求番号/資料ID
Request No
掲載誌名 Journal name,出版機関名 Publishing organization,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.,発行年月(日) Date
2014  責任能力における「精神の障害」 ――最近の動向を踏まえて   単著   
法と精神医療  , 成文堂  , -/29  , pp. 1-22  , 2014/12/20   

概要(Abstract)  2013年12月7日に立命館大学で開催された、法と精神医療学会第28回大会における個別報告を起訴とする論文である。
 心神喪失・心神耗弱は、刑法に法定された犯罪阻却・減軽事由であり、これらの解釈は、本質的に刑法学の任務である。他方で、責任能力は、端的には精神障害者を対象とする制度であることに着目せざるを得ない。そこで、本報告では、従前の著者の議論を前提として、ノーマライゼーションの主張を考慮しつつも、なお、精神障害の疾病性こそが責任能力規定適用の際の本質的要素であることを明らかにした。そして、近時の最高裁の2判例の枠組みもまた、このような視点を一定程度共有しているものであることを明らかにした。 

備考(Remarks)  

2014  故意と責任能力  共著   
刑事法ジャーナル  , 成文堂  , 41号  , pp. 68-104  , 2014/08/20   

概要(Abstract) 責任無能力の行為者に故意はあるか、という問題は、刑法解釈論における大きな理論的問題であったが、これまではそれが現実の解釈問題としては現れてこなかった。ところが、心神喪失者等医療観察法が施行され、その対象行為が故意犯類型に限定されていることから、医療観察法への対象行為該当性という形で、この問題がクローズアップされてきている。このような背景から、2014年の刑法学会第92回大会のワークショップで「故意と責任能力」と題する共同研究が行われた。本稿は、その際の報告に基づいたものである。 

備考(Remarks) 安田拓人教授、箭野章五郎助教、大庭沙織院生との共同執筆。水留の担当部分は、「III 責任能力論からみた『故意と責任能力』の議論と医療観察法との関係」(pp. 85-93) 

2013  保安監置の限界(1)――ドイツ連邦憲法裁判所と欧州人権裁判所の「往復書簡」を手掛かりに――  単著  Z/320/N48 
南山法学  , 南山大学法学会  , 36/3=4  , pp. 129-179  , 2013/09/25   

概要(Abstract) わが国では、刑法改正草案のとん挫などの経緯から導入されていないが、保安処分の制度は、大陸法圏の多くで採用されている。特に保安監置の制度は、精神障害などの事情のない対象者の純粋な犯罪危険性を根拠としていたものであり、ドイツでは近年これが著しく拡張してきた。ところが、最近、欧州人権裁判所とドイツ連邦憲法裁判所が相次いで、この傾向にストップをかけている。保安処分の根拠となる犯罪危険性とはどのようなものなのであろうか。本稿では、これを検討する準備作業として、まずドイツの保安処分規定の経緯を整理した。 

備考(Remarks)  

2008  いわゆる「治療反応性」について--法律学の視点からの事例群の分析--  単著   
法と精神医療  , 成文堂  , -/23  , pp. 87-101  , 2008/11   

概要(Abstract)  重大な犯罪行為を行い、責任能力に問題があるために自由刑を免れた者が、心神喪失者等医療観察法の対象になるためには、対象者に「治療反応性」があることが求められる。治療反応性が問題になる場合として、いくつかの局面が精神医学の側から提示されているが、本稿はそれを法的な観点から分析したものである。
 医療観察法における治療反応性は、精神保健福祉法に基づく従来どおりの精神医療との関連で検討されなければならない。その際には、精神保健福祉法による処遇と医療観察法による処遇の同質性・異質性が問題になる。強制という観点から見れば両者は同質である。従って、そもそも医療的な処遇枠組の導入を強制できない場合には、どちらの法律による処遇も行うべきではない。また、強制処遇としては両者は同質であるのだから、精神保健福祉法による強制処遇--医療保護入院を含む--が許容される場合には、医療観察法による強制処遇も許容されるべきものと思われる。措置入院によって対応できる場合には、医療観察法による処遇を行うべきでないとして、医療観察法処遇の「補充性」をその処遇の要件とする見解には賛成できない。しかし、処遇への適応という観点から、医療観察法による処遇が限界付けられる局面が認められるべきものと思われる。最近最高裁が示した判断がこのことを認めないのであれば、疑問がある。 

備考(Remarks) 法と精神医療学会第23回大会(2007年12月15日 於 京大会館)のシンポジアム「医療観察法--疾病性・治療反応性をどう考えるか--」でのコメントをもとにした論考である。 

2006  責任能力における「精神の障害」--診断論と症状論をめぐって(1)(2・完)  単著   
上智法学論集  , 上智大学法学会  , 50/3, 50/4  , pp. 137-173, pp. 195-235  , 2007/1, 2007/3   

概要(Abstract)  わが国において、責任能力(刑法39条)に問題ありとされるのは、「精神の障害」により弁識能力あるいは制御能力が害された場合であると理解されている。しかし、ここでいう「精神の障害」がどういう根拠で要件とされ、その内容としてどのようなものが求められているかには争いがある。
 「精神の障害」の判断基盤に着目するとき、近時、診断名の意味における精神障害が責任能力判断の基盤であるわけではなく、行為と症状との関係を基軸において考えるべきだとする主張が、刑法学と精神医学の双方で有力になっている。ここには、精神医学において操作的概念が主流となってきているという変化が反映されている。
 しかし、そのようないわば「症状論」は貫徹できない。精神医学が変化してもなお、刑法学が精神医学に求めるのは、症状の把握を越えた、精神障害の診断なのである。
 本稿では、いわば「診断論」の立場から、従来の議論を再検討していこうとするものである。 

備考(Remarks)  

Page: [<<PREV] [1] [NEXT>>]