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学術論文
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年度
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論文題目名
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共著区分
Collaboration
   Classification
NeoCILIUS
   請求番号/資料ID
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掲載誌名 Journal name,出版機関名 Publishing organization,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.,発行年月(日) Date
2016  ガンのヘンリクスとpropositio magistralis─意志の悪と理性の誤り  単著   
中世思想研究  , 中世哲学会  , 58  , pp.31-46  , 2016/10   

概要(Abstract) 1277年の禁令により教授禁止とされた命題のうちには、理性が意志のはたらきを決定するという思想傾向を示す命題が含まれる。他方、この時期に、エギディウス・ロマーヌスの著作に由来する「理性のうちに誤りがなければ意志のうちに悪はない」という主張をパリ大学神学部の教授たちが容認する出来事があった。この主張は「マギステルたちが容認した命題」という意味で、propositio magistralis(以下PMと略記)の通称で呼ばれた。理性に先行する原因として意志を強調する点でヘンリクスは禁令と軌を一にしている。しかし同時に、主知主義的解釈の余地があるPMを公式に認めた立場でもあったことから、難しい状況におかれることになった。『任意討論集』第10巻の叙述には、禁令とPMを整合的に両立させようとする苦心が表われている。 

備考(Remarks)  

2014  枢要徳はなぜ四つか─トマス・アクィナスによる理論化  単著   
南山神学  , 南山大学  , 38  , pp.109-143  , 2015/03   

概要(Abstract) 枢要徳という枠組み自体を考察する際に、トマスは主として三つのアプローチを用いている。第一に、理性の善という原理からすべての徳に共通する一般条件を導き出し、これがゆるやかな意味での枢要徳だとする論である(一般条件説)。第二に、徳の基体となる魂の能力と枢要徳を対応させる視点。第三に、徳の一般条件がどんな対象に優勢に関わるかという面から枢要徳の差異を際立たせ、それぞれの具体的内実をより明らかにしている(固有対象説)。 

備考(Remarks)  

2014  トマス・アクィナスと徳の定義  単著   
中世哲学研究 VERITAS  , 京大中世哲学研究会  , 33  , pp.23-46  , 2014/11   

概要(Abstract) 「徳とは、それによって正しく生がいとなまれ、それを誰も悪く用いることなく、神が私たちの内で私たちなしにはたらかせる、精神の善い性質である。」この定義は、アウグスティヌスのいくつかの著作にもとづきペトルス・ロンバルドゥスが『命題集』でまとめたものである。徳の包括的定義としてトマスが最も肯定的に受け入れたのは、この定義である。獲得的徳も含めてすべてを説明できる定義ではなく、注入徳にだけ当てはまるこの定義をトマスはあえて採用している。徳についての議論を始めた冒頭でそれが明示されている事実は、トマスの徳理論に対する『ニコマコス倫理学』の圧倒的影響という見方を相対化する。 

備考(Remarks)  

2014  十三世紀末の主知主義論争─フォンテーヌのゴドフロワの立場  単著   
アルケー  , 関西哲学会  , 22  , pp.157-167  , 2014/07   

概要(Abstract) 「動くものはすべて他のものによって動かされる」という原則に関して、ガンのヘンリクスは意志を例外と見なし、意志の自己原因性を強調した。これに対してゴドフロワは、この運動の原理をあらゆる領域に当てはめるべきだと主張し、意志の自己運動を認めない。また、理性が意志を動かすと言える範囲をできるだけ小さく見積もろうとするヘンリクスに対して、ゴドフロワは意志が認識対象によってたしかに動かされると反論し、認識された善が形相因的に意志を動かすという説明に加え、「作用因の性格」までも付与する。 

備考(Remarks)  

2012  トマスは主知主義者か─知性と意志の関係  単著   
南山神学  , 南山大学  , 36  , pp.191-216  , 2013/03   

概要(Abstract) トマスのいわゆる主知主義(intellectualism)について考察するために、知性と意志の関係について以下の点を分析する。(1) 対象の性質から能力の優劣を考える基本的立場、(2) 知性と意志の相互作用・相互依存を説明しているいくつかのテキスト、(3) トマスの理論と1270年の非難宣言との関係、(4) 自由の根拠としての知性。(5) 最後に、主意主義的立場の主唱者の一人としてガンのヘンリクスをとりあげ、トマスとの簡単な比較を試みる。 

備考(Remarks)  

2011  悲しみとしての嫉妬─トマスにおけるinvidiaの考察  単著   
中世哲学研究 VERITAS  , 京大中世哲学研究会  , 30  , pp.21-39  , 2011/11   

概要(Abstract) トマスが論じている嫉妬(invidia)は、私たちが「嫉妬に身を焦がす」「嫉妬の炎を燃やす」という表現で連想する感情とはいくらか異質である。この論文では特に、tristitia(悲しみ)、zelus(競争心、対抗心)、nemesis(義憤)と嫉妬との関係をトマスがどう論じているかをまとめたうえで、罪源としての嫉妬、大罪としての嫉妬について考察する。それによって、本来は自分の善のように喜ぶことができるはずの(あるいは喜ぶべきである)隣人の善を隣人とともに喜べない心のあり方、そういう「冷たい嫉妬」が、トマスの考えているinvidiaの中核的特徴であることを指摘する。 

備考(Remarks)  

2009  トマスにおける《高邁》magnanimitasの位置づけ  単著   
南山神学  , 南山大学  , 33  , pp.193-212  , 2010/03   

概要(Abstract) トマスが高邁を論じる際にアリストテレスと目立って異なる点のひとつは、高邁が「勇気の部分」という位置づけを与えられていること、もうひとつは、高邁が謙遜と関連づけられていることである。ギリシャ・ローマ世界で重視された高邁という美徳の特徴は、中世キリスト教倫理にとって一見異質なものであるようにも見える。しかしトマスは高邁を勇気の部分と位置づけることによって、困難で大きなことがらをなしとげる精神の内面的強靭さを強調し、また、謙遜と高邁という正反対へ向かうように見える要素を複雑な徳の見取り図のなかに共存させている。 

備考(Remarks)  

2006  倦怠と悲しみ─トマス・アクィナスのacediaについて  単著   
中世思想研究  , 中世哲学会  , 48  , pp.1-14  , 2006/09   

概要(Abstract) トマスの acedia 概念には、ふつうこの語にあてられる「怠惰」や「sloth」という訳語から連想されるイメージとはかなり違った特徴が含まれている。七つの根源的悪徳(いわゆる七つの大罪)に関わる思想史を概観したうえで、トマスの論じる acedia の多面性を、(1) 身体的労苦の忌避・怠惰、(2) 鬱・無気力・麻痺、(3) 神的善に対する悲しみ、という三つの側面から整理し、第三の側面の重要性を指摘する。 

備考(Remarks)  

2005  徳と悪徳のあいだ─トマスによる無抑制と放埒の対比  単著   
中世哲学研究 VERITAS  , 京大中世哲学研究会  , 24  , pp.69-79  , 2005/11   

概要(Abstract) トマスによる無抑制(incontinentia)と放埒(intemperantia)の対比に注目する。無抑制と放埒はたしかに類似しているが、いくつかの点で決定的に異なるというのが、『ニコマコス倫理学』でのアリストテレスの主張であり、これをトマスも大筋で受け入れている。トマス独自の論点や強調点を明らかにするために、次の四つの側面からこの問題を検討する。(1) 罪の原因としてどんな能力を考えるか、(2) 抑制のない人と放埒な人の行動原理の違い、(3) 無抑制の一過性、(4) 選択との関係。 

備考(Remarks)  

2004  トマス・アクィナスのsynderesis論  単著   
神学研究  , 関西学院大学神学研究会  , 52  , pp.77-87  , 2005/03   

概要(Abstract) 『神学大全』など後期の著作で、少なくとも倫理学の道具立てとしては、トマスは「良知 synderesis」に以前ほどのウェイトをおかなくなったと見てよい。「実践の領域で普遍的原理を自然本性的にとらえる習性」とされる良知は、アリストテレス解釈からは直接には出てこない概念であり、トマスの倫理思想において微妙な位置づけをもっている。特に、あまり注目されることのない「直知 intellectus」と良知の関連を考える必要がある。 

備考(Remarks)  

2003  トマスにおける実践知の構造─思慮と行為の重層性  単著   
中世思想研究  , 中世哲学会  , 45  , pp.110-121  , 2003/09   

概要(Abstract) トマスの言う「思慮 prudentia」は私たちが思い浮かべるよりも幅広い概念であることを示す。トマスの論述に基づいて整理すると、行為の構造は「意図・思案・決断・実行」という四層のモデルとして示すことができる。ところで、思慮の活動は目的にいたるための手段に関する「思案・判断・命令」の三つであるとされ、これらの要素は、行為の構造のモデルにおける手段に関わる理性のはたらきに対応している。こうして、トマスの倫理思想における思慮を、人間の実践的活動の全体を広くおおい行為の中枢に関わる実践知として、あるいは、行為の重層的な構造全体をつらぬく実践知としてとらえ直すことができる。 

備考(Remarks)  

2003  実践知と意志の弱さ─トマス・アクィナスの無抑制論  単著   
哲学研究  , 京都哲学会  , 575  , pp.56-80  , 2003/04   

概要(Abstract) アリストテレス理解にもとづくトマスの「無抑制 incontinentia」についての説明には、「知っているのにやってしまう」という葛藤あるいは自己矛盾の感覚をうまくとらえていない面があるのではないか。この疑問を解決するために次のような議論を提案する。まず、異質の説明原理に見える実践的推論モデル(規範-実例型)と行為論モデル(目的-手段型)を統一的にとらえる試みをおこなう。次に、行為論モデルの三層「思案・決断・実行」に注目し、それぞれが欠落する場合を意志の弱さのヴァリエーションと考えることができるという予測を立てる。これに対して、「思案・判断・命令」が思慮の三つのはたらきとして語られている点に着目し、これら三層に対応するそれぞれの無思慮が、先に予測した意志の弱さのヴァリエーションにあたるという同定をおこなう。 

備考(Remarks)  

1998  トマス・アクィナスの無抑制(incontinentia)論─実践的推論の誤り  単著   
中世思想研究  , 中世哲学会  , 40  , pp.94-105  , 1998/09   

概要(Abstract) トマスの考える無抑制の特徴は以下のように説明できる。抑制のある人も抑制のない人もともに二つの大前提をもつが、その分かれ目は小前提である。実践的推論の小前提とは、個々の具体的状況の中で今からなそうとしている行為を「この行為は○○だ」と捉える判断である。物理的には同一の行為をどう捉えるかによって、その人がおこなう行為の結果が大きく異なってくるという意味で、行為にとって重大なのは、ある個別的な行為を「○○として」捉える小前提である。つまり、実践的推論の小前提は(しばしば誤解されているように)没価値的な事実判断ではなく、そこにも当人の道徳的あり方が反映していると考えるべきである。 

備考(Remarks)  

1995  トマス・アクィナスにおける無知と罪  単著   
中世哲学研究 VERITAS  , 京大中世哲学研究会  , 14  , pp.111-117  , 1995/11   

概要(Abstract) 私たちは何か悪いことをしてしまった後で、「知らずにやってしまった」という言い訳をすることがあるが、この場合の「知らずに」というのはどういう意味なのか、また、そういう言い訳は本当に言い訳になっているのか。トマスの議論によると、あらゆる罪には個別的な選択に関する何らかの無知が伴っていると言える。しかし、トマスは無条件にすべての罪が無知であるとは認めない。すなわち、罪の原因を無知だけに限定しないし、多くの場合、無知を最終的な罪の原因とはみなさないという意味で、罪を無知に還元できないと考えている。 

備考(Remarks)  

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