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学術論文
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年度
Year
論文題目名
Title of the articles
共著区分
Collaboration
   Classification
NeoCILIUS
   請求番号/資料ID
Request No
掲載誌名 Journal name,出版機関名 Publishing organization,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.,発行年月(日) Date
2001  中国共産党組織の少数民族地域への浸透過程−国共内戦期の内モンゴルを例に−  単著   
北九州大学外国語学部紀要  , 北九州大学  , 第100号  , 2001/01   

概要(Abstract) 本論文は、内モンゴルで収集した未刊行の新資料を用いて、中国共産党が少数民族地域に党組織を浸透させていく過程を分析したものである。1947年から1949年までの内モンゴルの牧地改革を事例にとりあげたのは、中華人民共和国建国(1949年)前に中国共産党が掌握できた唯一の少数民族地域が内モンゴルだったからであり、その掌握に1947年から1949年の牧地改革が重要な意味をもったからである。この2年間に実施された牧地改革はのちに中国共産党自らが「急進的すぎた」と反省するほどの激しい改革で、党組織と行政組織の両面で中国共産党のリーダーシップが強化された。中国共産党組織の浸透は、1945年夏の終戦から内モンゴルの民族自決を求めてきたモンゴル人民族主義者の政治的経済的基盤を切り崩すことにつながり、内モンゴルで分離独立運動を封じ込める意味を持った。 

備考(Remarks)  

1999  中国における民族政策−中国共産党と中国国民党の比較分析−  単著   
法学政治学論究  , 慶應義塾大学  , 第41号  , 1999/06   

概要(Abstract) 現代中国の民族政策は、1949年の中華人民共和国建国時に制定された民族区域自治制度が根幹となっている。そこで本論文は、民族区域自治制度が導入された背景を明らかにするために、中国共産党が結党以来少数民族地域を如何に統治しようとしてきたかを、中国国民党の民族政策と対比するなかで明らかにした。中国共産党と中国国民党の民族政策は相互に影響を与えあって形成され、双方ともに自らの政治勢力を優位に導くための手段として民族政策を立案していた。中国共産党は少数民族の自決権を承認しての連邦制にするか、中央集権制のもとで少数民族に自治権を与える制度にするかで揺れ動いてきたが、最終的には対外的安全保障を最優先する立場から連邦制を放棄し、少数民族地域を社会主義的中央集権下の一地方として統治する方針を決定し、同じ社会主義のソ連と異なる非連邦制国家としての「中華人民共和国」を建国した。民族区域自治制度は連邦制を否定するかたちで導入の決まった制度のため、この制度のもとで少数民族に与えられた自治権は中央集権制を前提とした極めて限定的なものにすぎないのである。 

備考(Remarks)  

1999  内モンゴル人民革命党と中国共産党による地域統合−二〇世紀半ばまでの政治展開−  単著   
アジア研究  , アジア政経学会  , 第44巻第4号  , 1999/02   

概要(Abstract) 中国共産党が初めて少数民族地域を統合したのは、第二次世界大戦後の内モンゴルであった。本論文は、この時期に民族運動の中核を担った内モンゴル人民革命党に着目し、共産党による内モンゴル統合とその限界を論じた。革命党は1920年代に誕生したモンゴル族の政治集団で、日本敗戦後は独立運動を展開した。ソ連、外モンゴル、中国国民党、中国共産党と接触を図るものの、最終的には共産党との政治交渉に命運がゆだねられ、1947年5月に解散に追い込まれるまで抵抗を続けた。今日の中国共産党正史は革命党の解散時に共産党指導下の「内モンゴル自治区」が誕生したと説明するが、この時成立した党の名称は「中国共産党」でなく「内モンゴル共産党工作委員会」であった。これは共産党の一国一党原則に立つと内モンゴル独立の可能性が残された名称で、革命党の抵抗に共産党が妥協した結果であった。結局内モンゴルは独立できなかったが、内モンゴルでの「中国共産党」組織の誕生が1949年10月の建国以降にずれ込んだ事実からも、これまで着目されなかった「少数民族政党」の影響力の大きさを理解することができる。 

備考(Remarks)  

1995  中国共産党の民族政策の一考察−内蒙古自治政府樹立までの政治展開−  単著   
法学政治学論究  , 慶應義塾大学  , 第27号  , 1995/12   

概要(Abstract) 本論文は、中国共産党が初めて少数民族地域の統合をはかった内モンゴルの事例を取りあげて、中国共産党が少数民族地域への影響力を強化していくプロセスを明らかにした。第二次大戦後の内モンゴルでは外モンゴルと連携して独立を目指す動きが活発だったが、外モンゴルの現状維持を定めたヤルタ協定などが影響して内外モンゴルの合併独立は実現しなかった。こうした外部環境のなかで内モンゴルの民族主義者は中国国内の諸政治勢力と接触をはかるが、結局は中国共産党に分離独立を阻まれ、中国という国家枠組みに包摂された。毛沢東は1945年4月に発表した「連合政府論」で近い将来の国家像として少数民族の自決権を尊重する「中華民主共和国連邦」の創設を提唱していたが、内モンゴルに連邦制が適用されることはなく、この内モンゴルの経験が建国時の連邦制を否定する一因となった。 

備考(Remarks) 本論文は、「内蒙古自治区成立之歴史考察」中国社会科学院中国辺疆史地研究中心『辺疆史地研究』2000年第2期、2000年6月、pp.98-112として転載された。 

1995  中国の内蒙古統合問題に関する一考察~建国前後を中心として  単著   
修士論文  , 慶應義塾大学大学院法学研究科  , p116  , 1995/03   

概要(Abstract) 慶應義塾大学大学院法学研究科に提出した修士論文。 

備考(Remarks)  

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