研究者詳細

教職員基本情報
氏名
Name
RAJCANI,Jakub ( ライチャーニ ヤコブ , RAJCANI,Jakub )
所属
Organization
人文学部キリスト教学科
職名
Academic Title
准教授
個人または研究室WebページURL
URL
https://nanzan-u.academia.edu/JakubRajcani
専攻分野
Area of specialization

キリスト教倫理、道徳神学、生命倫理、社会倫理

学会活動
Academic societies

日本カトリック神学会
宗教倫理学会

社会活動
Community services

カトリック神言修道会日本管区の聖書使徒職委員会(2017年度〜)

著書・学術論文数
No. of books/academic articles
総数 total number (9)
著書数 books (1)
学術論文数 articles (8)

出身学校
学校名
Univ.
卒業年月(日)
Date of Graduation
卒業区分
Graduation
   Classification2
University of Trnava (Slovakia)神学部カトリック神学科 2005年06月  その他 
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出身大学院
大学院名
Grad. School
修了課程
Courses
   Completed
修了年月(日)
Date of Completion
修了区分
Completion
   Classification
在ローマ教皇庁立ラテラン大学倫理学研究所アカデミア・アルフォンシアーナ倫理神学研究科倫理神学専攻 博士課程  2015年11月  修了 
南山大学大学院人間文化研究科キリスト教思想専攻 修士課程  2011年03月  修了 
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取得学位
   
学位区分
Degree
   Classification
取得学位名
Degree name
学位論文名
Title of Thesis
学位授与機関
Organization
   Conferring the Degree
取得年月(日)
Date of Acquisition
博士 Dr. theol.(神学博士)  L'esistenza cristiana nella polarità tra identità e azione. Una lettura alla luce del pensiero di Romano Guardini(自己同一性と行動との対極関係におけるキリスト教的実存——ロマーノ・グァルディーニの思想を手がかりに——)  Pontificia Università Lateranense - Accademia Alfonsiana(教皇庁立ラテラン大学アカデミア・アルフォンシアーナ))  2015年11月 
修士 修士(キリスト教思想)  マイスター・エックハルトの思想における至福概念  南山大学大学院  2011年03月 
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研究経歴
長期研究/短期研究
Long or Short
   Term research
研究課題名
Research Topic
長期研究  ロマーノ・グァルディーニの倫理思想 

概要(Abstract) 宗教思想家のRomano Guardini(1885−1968)は様々な神学分野の刷新の先駆者であったが、特にキリスト教的世界観(christliche Weltanschauung)という視点から諸問題を扱っていた。いつも明確に表現しているわけではないが、その思想から発掘できる倫理に関する考えの解読、分析、翻訳、比較研究に取り組む。本研究では主に次の領域や問いに注目する:

(1)グァルディーニの「キリストのInexistenz(内在)」の概念:ただの神秘思想のような比喩的な表現ではなく、キリスト教の本質であるとともに、人間の人格を完成させることにとって根本的な現実である
(2)グァルディーニにおける神との協働やキリストの実存を共同実現することについて:mitwirkenやMitvollzugはよく使われる表現であり、しかも人間の努力は神の行為と並ぶのではなく、お互い浸透し合っている
(3)グァルディーニにおける仏陀の理解とキリストとの比較:釈迦さまは他の宗教思想かよりも尊敬され、ある意味でキリストの先駆者と見なされることができる
(4)グァルディーニの思想における「楕円形」のイメージ:実存をはじめとし、多くの現実や関係は球体ではなく、むしろ二つの焦点を持つ楕円のようなものとして説明される方が妥当である(例えば、人格と世界、神と人間、良心と善[または規範]など)

日本語に訳されている文献は多くないので、このように彼の思想を紹介するのに大きな意義があると思われる。 

短期研究  自分の身体の持ち主は誰か? 

概要(Abstract) 体を所有することができるか、という問いに答えたい。簡単な問いに見えるのだが、蓋を開けてみれば実に複雑である。一方では、自分の体は他の誰のものでもなく、やはり自分自身でその管理をしているようである。他方では、他の持ち物とは異なり、自分で作ったものでもなければ、何のためにでも使えるものでもないことが分かる。この矛盾に悩んでいた思想な一人はガブリエル・マルセルであり、彼の「私は体を持つ」と「私は体である」の区別を使い、それをさらに明らかにし、生命倫理学の個別の問題に応用するのが私の目的である。 

短期研究  人間の幸福について 

概要(Abstract) 2回行った公演をもとに、人間の幸福の正体、その追考への道について熟考している。マイスター・エックハルトを手掛かりに、幸福は対象としてはなり得ず、あたかも副作用かのように訪れるものだと主張し、近年の幸福の哲学や脳科学の結果も使いながら現代人がより幸福になるための秘訣を明らかにしたい。物質的な繁栄や生活水準の向上だけでは幸福も増すわけではないからである。 

短期研究  人間の自己同一性と主体性の研究 

概要(Abstract) 人間のアイデンティティの理解は長年にわたって大きく変わってきました。古代、当たり前なものとして主題化されないものから、近代、それに実体があるか疑われるものまで、自己同一性には唯一の定義がない。難しいのは、変わりやすい主観的なものとしての極端も、確固たる本質的なものとしての極端も避けることである。一人ひとりの人間が主体性であることは道徳的な行為するための条件である。そこで、留意点は主に次である:

• 人間の存在と人間の行動はどう繋がっているか
• 人間のアイデンティティの先験的に与えられる側面と形作っていくべき側面
• 神の介入によって人間の自由な行為者性はどう影響されるか
• 徳において人間の行動と神の行動はどの関係にあるか

仮説としては存在は行動を決めるだけではなく、行動も存在を左右している(この場合は存在よりも実存と言ったほうが適切であろう)。先に何も与えられなければ、アイデンティティは発展することができない反面、アイデンティティの全ては遺伝的な、あるいは環境による影響に還元することはできない。それから、倫理的行為において人間は神と並んで行動するのでも、神によって行動させられているのでもなく、神と共に行為を為しているのではなかろうか。 

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著書
年度
Year
著書名
Title of the books
著書形態
Form of Book
NeoCILIUS
   請求番号/資料ID
Request No
出版機関名 Publishing organization,判型 Book Size,頁数 No. of pp.,発行年月(日) Date
2023  Romano Guardini: Ruženec našej milej Panej  単訳   
Spoločnosť Božieho Slova, Nitra (Slovakia)   , A5  , 80 p.  , 2023/12   

概要(Abstract) ロマーノ・グァルディーニの、ロザリオについての著作をドイツ語からスロバキア語に訳したものです。著者はマリア崇敬の代表的な祈りであるロザリオを通して、信者の代表・典型であるマリアに関する信心を表し、ロザリアのような祈りの意味に加えて、3つの玄義(喜び、悲しみ、栄光)のそれぞれの神秘を解説している。役者をそれに前書きと後書き、随所註解、近年付け加えれた「光の神秘」についてグァルディーニ風に解説を試みた。分量的には短い著作ですが、密度が高く、神学的に奥深い箇所がいくつかあると考えられます。 

備考(Remarks) ISBN 978-80-89688-45-6

https://www.verbisti.sk/knihy/romano-guardini-ruzenec-nasej-milej-panej/ 

2023  Identità e agire morale. Riflessioni sull’esistenza cristiana alla luce del pensiero di Romano Guardini  単著   
Aracne editrice  , B5  , 510 p.  , 2023/10/02   

概要(Abstract) L’opera indaga sul significato e sulle implicazioni dell’identità umana. In modo particolare si propone come obiettivo di chiarire il rapporto esistente tra identità e agire morale, adoperando come chiave ermeneutica il concetto di “polarità” secondo Romano Guardini. Si cerca di interpretare l’esistenza cristiana come un’ellisse con due poli, distinti ma correlati: l’identità personale e l’azione. Questi vanno considerati come paradossali: sono dono e compito, condizionati ma autonomi, immutabili ma sviluppabili, provenienti dal soggetto ma non appartenenti completamente ad esso. L’agire cristiano, pur essendo libero, si basa in qualche modo sul fondamento ontologico del proprio sé, ovvero sulla natura redenta. È un agire “in Cristo” e “con lo Spirito santo”, in quanto Dio è archetipo e fattore costitutivo sia dell’identità sia dell’azione, essendo l’uomo pienamente “soggetto” solo come suo co–agente. 

備考(Remarks) ISBN 979-12-218-0889-6

https://www.aracneeditrice.eu/it/pubblicazioni/identita-e-agire-morale-jakub-rajcani-9791221808896.html

2015年にイタリア語で執筆した博士論文の改訂版です。事務手続き上、初版とは書いてありますが、厳密に言えば第2版です。主に間違いやイタリア語の表現を直し、ある部分はアップデートした情報を加えました。内容や主張点は大きく変わっていません。 

2022  Hominis Dignitati: An Interdisciplinary Approach  共著   
その他  , 81-96  , 2022/05   

概要(Abstract) In this study, I trace back the roots of our current notion of universal human dignity, pointing out two outstanding examples and milestones of the Christian contribution to the debate surrounding human worth, without which the trajectory would have been a different one. One is the 16th century issue of Amerindians' rights proposed and sustained by B. de las Casa, and the other one the WW2 Pope Pius XII's radio discourse on dignity of each human being as a political right. In the second part, I analyze the fundaments of the Western understanding of human dignity that is based on (1) man and woman being a person, (2) having a soul transcending mere physical life, (3) dignity seen not only as a right but also as a duty. Talking about human dignity does not per se exclude other beings from respect and protection, however, until all living humans regardless of quantity and quality are given due respect, I contend it is useless to speculate about dignity of animals, robots or aliens.  

備考(Remarks) Chapter 5. Human Dignity in Moral Theology: Two Lessons from History
edited by Robert J. Kisala et al., pp. 383
Logos Publications, Manila
ISBN: 978-971-510-317-6 

2015  Identità e agire morale. Riflessioni sull’esistenza cristiana alla luce del pensiero di Romano Guardini  単著  SVD||063.1||R||161 / I073441 
Aracne editrice (Roma)  , その他  , 490  , 2016/03   

概要(Abstract) 本論文ではロマーノ・グァルディーニ(1885−1968)の思想を手がかりに、キリスト教的実存というテーマについて考察している倫理神学の視点から書かれた論文であるが、哲学をはじめとする他の学問にも言及していることが多い。グァルディーニの思想から多くの刺激を受けながらも、その分析や単なる解釈であることにとどまらず、独自の考察の試みであることが目的であった。グァルディーニの斬新な発想の光のもとで、いくつかの主題について問う——自己同一性(アイデンティティ)とは何か、またキリスト教的倫理学にとってのその重要性は何か、それから人間の行為(アクション)とはどのようなものか、存在することと行動することとの相互関係、また在ることと在るべきこととの関係はどうであるか、など。この考察に内在する仮説あるいは確信は、人間の存在は静止していない、状態ではなく動的なものである、またアイデンティティと行動は常に互いに影響し合う関係にある、というアイディアである。その意味においてもグァルディーニの二極的な考え方が方法論として極めて有益であった。
本論文には3部構造がある。第1部1章と2章)では問題提起をし、そして先行研究を紹介した上で、グァルディーニの生涯、著作、思想の根源、その影響やその諸特徴を解き明かした。第2部3章と4章)では、重点が二つあり、即ちアイデンティティと行為であるが、それを前半では組織的な観点から見つめ、その弁証法的な関係を探ってから、後半ではグァルディーニの思想という文脈でそれを分析している。それぞれの正体だけでなく、自己であることと行動することとの弁証法的な関係がこれらの考察の行き先である。グァルディーニ以外に、Ricoeur, Erikson, Taylor, Arendt, Blondel, Pannenbergなど、権威ある哲学者、心理学者や神学者の助けを借りながら、論じているその中で昔から議論される典型的な倫理学問題にも注目し、存在から義務への移行を否定するヒュームの法則やそれによる自然主義的誤謬説や、よく無意識に用いられる傾向にある“agere sequitur esse”という公理の再解釈を図る。最後の第3部5章)は狭い意味で神学的であり、キリスト教的な実存に焦点を当てている。グァルディーニに言及しながら、まず神のアイデンティティとその行動について言えること、そして初めて聖書を引き合いに出し、自己と行動について信仰の側面から言えることを考える。 

備考(Remarks) ISBN 978-88-548-9149-4
http://www.aracneeditrice.it/index.php/pubblicazione.html?item=9788854891494

【書評】

Luigi Mazzone, "Review of: Jakub RAJCANI, Riflessioni sull’esistenza cristiana alla luce del pensiero Di Romano Guardini," Angelicum , 2017, Vol. 94, No. 4 (2017), pp. 844-846.

Giovanni Cogliandro, "Recensione a Jakub RAJCANI, Identità e morale: Riflessioni sull’esistenza cristiana alla luce del pensiero di Romano Guardini," Civiltà cattolica, 4024, 406-408.  

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学術論文
年度
Year
論文題目名
Title of the articles
共著区分
Collaboration
   Classification
NeoCILIUS
   請求番号/資料ID
Request No
掲載誌名 Journal name,出版機関名 Publishing organization,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.,発行年月(日) Date
2022  Human Dignity in Catholic Ethical Tradition: What Often Remains Unsaid  単著   
Academia: Journal of the Nanzan Academic Society (Humanities and Natural Sciences)  , Nanzan University  , 25  , 131-147  , 2023/01   

概要(Abstract) In this paper, I try to present some of the historical milestones of realizing and understanding humanity's sense of its own dignified status. Particularly, my aim is to point out the specifically Christian contribution to the generalizing and deepening of stoic roots of human uniqueness, a point that not rarely is underemphasized. In this way, it becomes visible that without this Christian elevating of as many humans as possible, that certainly itself took much time to be expressed, let alone realized, a later Renaissance or Enlightenment democratizing movement, as well as the thought regarding human rights would not have been possible. I also show that only the original proposal of granting dignity to all human beings, based solely on their partaking in the same nature, notwithstanding diverse degrees of their performance of various faculties, is internally, consistent, and reasonable. If correctly understood, the humans' elevated status, which also means higher requirements imposed on them, does not necessarily entail abusing of other "lower" beings, and, on the other side, being equal or superior in this or that faculty does not in itself endow with the same dignity other animals, robots, or aliens. Finally, I point out some misconceptions or misunderstandings concerning human dignity, such as having one's feelings, hurt or purely lacking and desiring whatever others have. 

備考(Remarks)  

2021  倫理神学から見る難民問題  単著   
社会と倫理  , 南山大学社会倫理研究所  , 36号  , 21-34  , 2021/11   

概要(Abstract) This is a contribution to the special issue "Immigration and human rights" of the Society and Ethics Journal, from the viewpoint of Catholic moral theology. In it, I have tried to identify extreme positions on the matter. On the one hand there are people who condemn the phenomenon immigration in toto, because they don't see in it more than a threat to general order and their own security. On the other hand, someone might approve of immigration uncritically, since the present world is a globalized place where many and diverse members can/must coexist no matter what it will cost individual citizens. The problem lies in the fact that each side tends to demonize the viewpoint of the other – the one xenophobic and chauvinist and the other one relativist and cosmopolitan. I claim that, based on the Social doctrine of the Church, (1) immigrants and refugees have a right to search shelter as well as a duty to follow the rules of the respective welcoming country, show gratitude by contributing to its common good; (2) they have also a right not to emigrate but protect their own country and live in the environment most suitable for their lifestyle, together with their wider family; and (3) more privileged countries have a responsibility towards those which are less favored, based on the ancient principle of "owning the surplus of one's good towards others in need" that implies sharing one's land and living space with people striving for protection of more basic goods such as survival or freedom of thought. 

備考(Remarks)  

2021  Evil as Object of a Deliberate Action: A Christian Reassessment of the “Lesser Evil” Principle (Part 2)  単著   
Academia. Humanities and natural sciences  , 南山大学  , 22  , 165-182  , 2021/06   

概要(Abstract) This article is a continuation of a two-part engagement with the concept of evil as it has been developed and (mis)interpreted in the history. In the first part I traced the roots and the classical meaning of the axiom of a “lesser evil”. I presented the insights of Pope Gregory the Great, of the Eighth Council of Toledo, and of Gratian which pertain to this topic, as well as the more or less implicit views of Aquinas on evil, on the object of action and on sinful yet non-culpable actions performed in accordance with the conscience. I have pointed out that this principle of lesser evil is not at all as simple as it might look, and that its original application was extremely limited. There was also a shift in word usage – from consentingly tolerating a lesser damage to engaging in choosing a lesser of (usually) two evils. In what follows, I will focus on post-Renaissance thought and consider criticism oriented toward this lesser-evil-thought from the perspective of Catholic moral theology. The numbering of the chapters follows the previous part. 

備考(Remarks)  

2020  最近のバチカンとジェンダー論の関係——ある公文書の背景と分析——  単著   
南山神学  , 在名古屋教皇庁認可神学部  , 44  , 139-179  , 2021/3   

概要(Abstract) In this paper I examine the recent document issued in 2019 by the Vatican Congregation for Catholic Education concerning the current trends of the so-called “gender theory” and, especially, their pertinence to education. The document is being presented and commented and, at the same time, I try to offer additional information useful or necessary for understanding its background and importance, especially by providing external sources for further research. Hence, this paper is meant also as a means to broadening the horizon in the debate on gender that is likely to continue in years to come. Neither the document nor this paper concentrate on the whole topic of gender studies and their critical evaluation from the Christian point of view, but rather focus on the problem of gender dysphoria in children and the inadequate solutions offered by some ideologized currents that supposedly caused the publication of the aforementioned document. Albeit indirectly, I try to present the cause for why treating the transgender problems in children overly affirmatively can be dangerous and counterproductive.  

備考(Remarks) 5月中に発刊予定 

2020  Evil as Object of a Deliberate Action: A Christian Reassessment of the “Lesser Evil” Principle (Part 1)  単著  info:doi/10.15119/00003058 
Academia. Humanities and natural sciences  , 南山大学  , 21  , 179-198  , 2021/1/31   

概要(Abstract) People as moral agents are guided by moral principles, either by some intuitive and universal maxims or by culturally conditioned rules that they more or less consciously absorb and apply. While it is true that the goal of most human actions is the pursuit of meaning and good, it is also true that this good exists actually as and in a hierarchy of goods; it has to be discovered, interiorized and concretized by the very individual, and oftentimes there is more than one way to achieve it and maybe sometimes there is not any way to achieve the perfect good. Many actions are led by “gut reactions” and commonsense principles rather than serious logical evaluation, however it is within the human capacity to reflect more deeply on moral reasoning and to approach ever closely the more perfect understanding of good. Especially, it has to be reflected upon whether the greatest good is always to be done, whether some evil can be permitted in order to bring about a greater good or, even more importantly, whether evil as such can be object of a direct volitional action at all. In this paper I claim that, although intuitively and in everyday usage the notion of “lesser evil” has a certain weight, theologically speaking it is unsustainable and nonsensical and can potentially be misunderstood or even misused. Its application is quite limited, finding its place not in moral dilemmas but mostly in the realm of secular and social life. It is not a core principle of Christian ethics at all but rather a provisional way to escape immediately unresolvable situations. This is the first of two parts. 

備考(Remarks) https://nanzan-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=3147&file_id=22&file_no=1  

2019  研究ノート:男女の違い—人間の尊厳の視点から—  単著   
南山神学  , 在名古屋教皇庁認可神学部/南山大学人文学部キリスト教学科  , 43  , 189-209  , 2020/03   

概要(Abstract) In the present "Research Notes", meant as prolegomena to a further reflection, I ponder over differences between men and women. The obvious explanation for these differences is evolutionary development, i.e. biology. Yet, referring to biology or trying to make clear the foundation of one’s being male/female has become a point of strong skepticism and criticism. Moreover, are visible biological idiosyncrasies the only difference between the two sexes? Is male-female dimorphism the only or the best way of existing for humans? However this question might be taken for granted, I argue it is worth dealing with, because it can – for example – help to discern the "true" sex in case of children born in ambiguous condition. The goal should not be exalting one's sex as superior, but appreciating their respective originality and unique contribution. Since sexuality is a given that has to be discerned and accepted as well as a task to be completed, there can be broad categories while every person finds his/her own way to live their masculinity/femininity. In fact, putting aside rare exceptions, many researchers point out various differences (physiological, psychological, behavioral etc.) between men and women “on average”. In this paper, I mostly collect and compare those findings in order to present some exemplary bibliography pertinent to this topic.  

備考(Remarks) 年度末のため、発行は多少遅れる予定です。 

2019  La coscienza situata come “polo opposto” della norma morale  単著   
Alpha Omega  , Pontificio ateneo Regina Apostolorum  , 22/1  , 103-117  , 2019/08/30   

概要(Abstract) In this paper, I examine the thought of Romano Guardini regarding human conscience and its consequences for moral theory. One specific feature of Guardini’s view of conscience is his focus on the concept of “situation”, which could make him appear close to the position of so-called “situation ethics”. However, situation is only one pole of reality, i.e., the subjective one, which as such requires another, objective pole – the norm. To explain this kind of relation I find the Guardinian image of “ellipse” particularly useful. Conscience cannot but be always located between the two foci of an existential ellipse: one’s own situation which requires certain action and the objective goodness of acts revealed in universal norms. 

備考(Remarks) 去年、ローマの教皇庁立大学レジーナ・アポストロールム(使徒の女王)で行われた没後50周年の懇談会「ロマーノ・グァルディーニ 昨日と今日——人格、出会い、文化——」(2018年10月24・25日)で発表した原稿に手を入れて修正したものです。 

2018  Inexistenz Christi: Ihre Bedeutung bei Romano Guardini und ihre Implikationen  単著   
Freiburger Zeitschrift für Philosophie und Theologie  , Universität Freiburg - Theologische Fakultät  , 65/1  , 188-207(20 p.)  , 2018/07   

概要(Abstract) An important part of the thought of Romano Guardini represents the concept of Christ’s existence-in-man and that of man-in-Christ. It has predecessors but as for its ontic-real interpretation Guardini is quite original. According to him, man’s being in Christ is (implicitly) a fundamental aspect of Christian existence and means the full realization of the personal being. At the same time, I claim in this study that this participation in Christ’s identity has to have some outcome in human action, seen as a doing-with-God, that reveals and expresses this new being, because the existence of Christ in man is normative and demands to be transposed into action. 

備考(Remarks)  

2017  Guardini’s Buddha and Christ: Buddhism in the Eyes of a Catholic Theologian Now and Then  単著   
南山神学  , 在名古屋教皇庁認可神学部  , 41  , 145-179  , 2018/03   

概要(Abstract) Romano Guardini was a theologian who did not fear confrontation with any area of human existence. In his religious work he considered the person of Buddha of great importance for the right comprehension of the rôle of Christ. In this paper I introduce several of Guardini's often fragmentary texts in which he tries to evaluate this eastern sage as akin to Christ as his precursor. Even though they often treat various common topics in a similar manner and, I think, not rarely in the same direction, the respective conclusions of Christ and Buddha are different. Guardini admired and appreciated Buddha precisely because he could lead to Christ, and because through comparison to Buddha, Christ's uniqueness became markedly apparent. 

備考(Remarks) 4月中に発刊予定。
2017年度のパッヘ奨励金の成果の一部である。 

2017  神と人間との協力の可能性について――ローマ書8章16節のsymmartyreoとロマーノ・グァルディーニのmitwirkenを手掛かりに――  単著   
『日本カトリック神学会誌』  , 日本カトリック神学会  , 28  , 47-71  , 2017/08   

概要(Abstract) In this paper I argue that the concept of cooperation with God is intrinsic not only to spiritual theology but also to Christian ethics. This is not a simple concept. It lies between two extremes – the one is the idea of a God who uses human beings as mere tools through whom He acts; the other is the understanding of the human being as somebody who acts independently of, or even as being equal to God. On the basis of the thought of Blondel and Guardini, and looking also to the roots of their thought in early medieval theology, I maintain that it may be more suitable to say from the Christian view-point that the human being acts as a co-subject with God, i.e., that through grace the human being becomes a real agent when acting, but that the origin of the action lies in God. God’s gifts are given in such a way that they really belong to the person who is carrying out the activity. Indeed, this co-subjectivity offered by God to human freedom lies at the foundation of human agency. Rm 8:16, despite some difficulties in translating the text, can be offered as scriptural basis for this claim. We give testimony in a way that is neither the action of the human acting alone, nor can it be considered as coming only from the Holy Spirit: it is a “common testimony” (symmartyria) given by the Holy Spirit with the human being. Herein lies the task of conscience – not in terms of implementing divine orders, nor of the application to the particular situation of general rules, but as giving witness to one’s divine filiation, confirmed continually by the Holy Spirit. Our being children of God is nothing other than our participation in and co-realization of Christ’s own identity. 

備考(Remarks) ISSN 1342-6222 

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その他研究業績
年度
Year
題名等
Titles
カテゴリ
Category
細目
Authorship
掲載雑誌名等 Publishing Magazine,発行所 Publisher,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.,発行年月(日) Date
2020  Review of: W. C. MATTISON III, The Sermon on the Mount and Moral Theology: A Virtue Perspective, Cambridge University Press: Cambridge 2017, pp. xiii+279  書評  単著 
南山神学  , 在名古屋教皇庁認可神学部  , 44  , 185-192  , 2021/03   

概要(Abstract)  

備考(Remarks) 5月中に発刊予定 

2019  Review of: N. MESSER, Theological Neuroethics: Christian Ethics Meets the Science of the Human Brain, Bloomsbury T&T Clark: London 2017, pp. 215  書評  単著 
南山神学  , 在名古屋教皇庁認可神学部/南山大学人文学部キリスト教学科  , 43  , 211-214  , 2020/03   

概要(Abstract)  

備考(Remarks) 年度末に発刊される予定です。 

2018  Review of: J. SELLING, Reframing Catholic Theological Ethics, Oxford University Press: Oxford 2016, pp. 254  書評  単著 
『南山神学』  , 在名古屋教皇庁認可神学部  , 42号  , 123-129  , 2019/03   

概要(Abstract)  

備考(Remarks) 編集者の都合により、2019年5月に発刊される予定です。 

2018  人間の尊厳のために  寄稿  単著 
『家庭の友』  , サンパウロ  , 2018年7月号  , 2  , 2018/07   

概要(Abstract) カトリックの雑誌『家庭の友』にある「全国の司祭館からこんにちは!」というコラムへの寄稿です。 

備考(Remarks) http://www.paulus.jp/product/17114  

2015  Recensione a S. ZAMBONI, Teologia dell'amicizia, EDB: Bologna, 2015, pp. 72  書評  単著 
Il Regno. Attualità  , Centro editoriale dehoniano, Bologna  , 60/5  , 332  , 2015/05/15   

概要(Abstract)  

備考(Remarks)  

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研究発表
年度
Year
題目又はセッション名
Title or Name of Session
細目
Authorship
発表年月(日)
Date
発表学会等名称 Name, etc. of the conference at which the presentation is to be given, 主催者名称 Organizer, 掲載雑誌名等 Publishing Magazine,発行所 Publisher,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.
2021  “Ownership of Bodies – What it does and what it does not imply”  単独  2021/06/26 
Bioethics and the Body  , Center for bioethics and human dignity   

概要(Abstract)  

備考(Remarks) Trinity International University, Deerfield (IL)で開催された学会ではあるが、私はオンラインで参加しました。(論文として掲載もする予定あり) 

2019  「カトリック倫理神学の視点からみた意志の概念」  単独  2019/12/19 
第5回教員相互交流学際研究会『キリスト教的《意志》概念の解明に向けて』  , 坂下浩司先生   

概要(Abstract) 主にトマス・アクィナスにおける意志の役割に焦点を当てるとともに、主意主義の代表人物であるウィリアム・オッカムとの徹底的な違いをテーマにする。あまり気づかれることが少ないのだが、S. Pinckaersの指摘によってオッカム主義が近代まで及ぼした影響の大きさを強調する。そのことが顕著に見られるのは「自由」の本質についての解釈においてである。 

備考(Remarks) 懇話会という形で、50分程度の発表をし、参加した12人ぐらいの先生方から質問やコメントを頂いたものです。その原稿は以下のhpで閲覧できる。

https://www.academia.edu/42254548/The_concept_of_will_in_Catholic_moral_theology_in_Japanese_  

2018  La coscienza situata come "polo opposto" della norma morale  単独  2018/10/24 
Romano Guardini yesterday and today: person, meeting, culture  , Ateneo Pontificio "Regina Apostolorum"  , 開催先の大学の機関誌"Alpha Omega"にて掲載する予定   

概要(Abstract) Una delle caratteristiche del pensiero “interdisciplinare” di Guardini è senza dubbio la sua polarità, la sua sottolineatura della paradossalità del evento vivente. Tra le sue immagini preferite per descrivere varie realtà appartiene quella di “ellisse”, anziché di cerchio che dal punto di vista degli antichi avrebbe potuto essere considerato più perfetto. Così Guardini considera polari – cioè appartenenti allo stesso ordine e dunque complementari – entità come il mondo e la persona; Cristo quale l’Altro e l’uomo per il quale è un Tu; natura e cultura, e non per l’ultimo il bene (la norma) e la coscienza umana. Se l’esistenza assomiglia più a un’ellisse con due fuochi (Berichte, 132), le sue dimensioni quali identità (ideale e reale), agire (indicativo e imperativo), la libertà umana e il concorso di Dio, il logos e l’ethos (benché con una certa precedenza del primo) ecc. devono essere co-originari, compenetranti, mutualmente ineliminabili, a differenza della coppia del bene e male. Per l’etica cristiana è di una massima importanza il rapporto tra la norma come universalmente valida e la coscienza che la deve (ri)conoscere, appropriarsene, applicare ecc. Sembra opportuno usufruire di questa spiegazione per capire meglio il rapporto complesso e organico tra l’universale e il concreto, rappresentati qui dalla norma etica e la libertà del agente. Voler ridurre il processo della valutazione e decisione morale a una sola componente potrebbe causare riduzionismi eccessivi: sia il legalismo rigoristico che sopravvaluta il dovere astratto senza prestar attenzione alle circostanze individuali, sia la cosiddetta etica della situazione che sottolinea circostanze di ogni singolo caso come separato a scapito della validità della norma e della verità. Bisogna chiedersi se queste due realtà davvero stiano in un rapporto polare, simile a due fuochi di ellisse. [...] 

備考(Remarks) R.グァルディーニの没後50周年を祝うべく2018年10月24日〜25日に行われた記念学会(シンポジウム)で発表したものです。初日に20分程度の発表をイタリア語で行い、その後に質疑応答の時間となりました。

HP: https://www.upra.org/non-categorizzato/romano-guardini-yesterday-and-today-person-meeting-culture/

なお、部分的ではありますが、パッヘII-Bの助成金をいただき、この発表のための旅費として使いました。 

2016  「誰でも私のところに来なさい(マタイ 11:28)——個々人の主体性と責任の限界」  単独  2017/02/02 
キリスト教と生命倫理——最近の動向(懇話会)  , 南山宗教文化研究所   

概要(Abstract) カトリックの立場から20世紀の倫理神学の発展を捉え、現在問題視されている問題を紹介する。その中で、特に最近の司教会議で話し合われた離婚・再婚者の問題を見て、教皇フランシスコの使徒的勧告『愛の喜び』(2016)に対する疑問を解き明かし、さらに慈しみの特別聖年が象徴していた神の慈しみというワルター・カスパー枢機卿が示唆を与えたテーマを分析する。後半では、もう一人の発表者に合わせ、同性愛や同性婚、及びLGBT運動の背景にあるジェンダー論について批判的に考察を試みる。その際、肝心な問題なのは、伝統的な家族像を保ちながら、どのように現在の事情に応用すれば良いか、教会の教えに基づく限り客観的に悪い行為がどのように主観的な「仕方なさ」によって任用され得るか、何人もの尊厳を守りつつもどこまでの権利を認めても良いのか、などである。 

備考(Remarks)  

2016  神と人間の協力の可能性について——ローマ書8章16節のsymmartyreōとグァルディーニのmitwirkenを手掛かりに——  単独  2016/09/06 
日本カトリック神学会   

概要(Abstract)  神と人間を競争者と見なすべきか、協力者と見なすべきか。難解な問題ではあるが、人間が神の手段でしかないというのは不十分だということは確かに言える。倫理的行為において特に明らかなように、人間の役割は良心を通して無条件に神に従うことではなく、むしろ善の識別に参与し、協力者として共に果たすことであり、後者のほうがよりキリスト教的人間観に適している。聖書に照らせば、良心と聖霊はある種の共同の証しをするものであり、聖霊が一方的に人間に何かを知らせたり指示したりするのではない。グァルディーニの表現を借りるならば、キリスト者はただキリストの実存に与るだけでなく、それを共に発揮する身分にまで上げられるのである。二者が共同の主体となり、その行為がどちらにも属するほうが片方だけが行動するよりも完全なことである。 

備考(Remarks) 手直しを入れてから、来年の『カトリック神学』に投稿する予定です。 

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研究助成
年度
Year
助成名称または科学研究費補助金研究種目名
Name of grant or research classification for scientific research funding
研究題目
Research Title
役割(代表/非代表)
Role
助成団体
Granting body
助成金額
Grant amount
2017  南山大学パッヘ研究奨励金I-A-2  グァルディーニの著作の解読と解釈を深めて、それに基づき特にイエスと仏陀の比較を試みる 
代表    400000円 

研究内容(Research Content) ロマーノ・グァルディーニ(1885-1968)の思想は最近再び注目され、その重要性と今日的意義が蘇りつつあると指摘されている。亡くなってから来年は50年が経つのだが、多くの側面は研究の対象にされてきた。それにもかかわらず、残っている課題もまだある--例えば、グァルディーニのF.ニーチェへに対する態度、もしくはグァルディーニの理解によるイエスの位置付け。実のところ、イエスと他の思想家や宗教創立者との比較について本を執筆する予定だったそうであるが、イエスの死とソクラテスの死についての著作しかなく、深い関心を持っていたイエスと仏陀との関係についてはその予定は実現しなかった。それでも、仏教や釈迦に対する記述や評価、特にイエスとの違いについての見解は他の著作に散りばめられている。そうを全体的に見て、集めて、そこから読み取るのは何かという研究である。キリスト教以外の宗教の中では、グァルディーニは特に仏陀を尊敬し、キリストと相当と言える立場にあり、ある意味でキリストの先駆者と見なしていた。しかし、どこまで彼の仏教の理解は可能だったのか、あるいは正確だったのか解明すべき点の一つである。いずれにせよ、諸宗教対話にとっても重要な問いとなるが、他の宗教の意味と価値を否定しない形で、キリストの優位性のみならず、ユニークさをいかに理解すれば良いか少しでも明らかにしたい。仏教への関心はグァルディーニのみならず、当時ヨーロッパの他の思想家にも見られるのだが、日本において特に重要な側面に思える。 

備考(Remarks)  

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研究活動/社会的活動
年度
Year
活動名称
Name of activities
活動期間
Period of Activities
2020  講演 Can happiness be the object of academic study?  2020/08/10 

活動内容等(Content of Activities) This talk was delivered under the title “Can happiness be the object of academic study?” as a part of the NU Mirai Education Project at Nagoya University on 10 August 2020 in form of a Zoom webinar. 

2020  講演 Happiness in philosophy, ethics and religion  2020/06/05 

活動内容等(Content of Activities) This talk was given in English on 5 June 2020 as a part of the Spring 2020 Studium generale lecture series at Nagoya University.  

2019  ACUCA総会でのパネルディスカッション  2019/11/7〜2019/11/8 

活動内容等(Content of Activities) 南山大学がこの時期日本の幹事校として参加しているACUCA(アジアのキリスト教大学・短期大学連盟)の会議に代表者代理として出席し、11月8日発表しました。狭い意味での研究ではありませんが、南山大学の事情を説明し、南山の経験から見つめた「芸術と宗教」についての発表でした。特に南山色を知ってもらうために有益な「受難劇」および「降誕祭」という行事の紹介と報告をし、その意義についての自分なりの考察を加えました。他の教育機関からの人の発表を聞くことによってそれぞれの事情と課題を知り、また、懇親会などを通じて親睦を深め、将来の連携の可能性を探ることもできました。 

2017  医療倫理に関する講演会  2018/3/29 

活動内容等(Content of Activities) 名古屋の聖霊病院の医療スタッフ向けの講演会は毎年行われ、今年はライチャーニが頼まれました。医療倫理に関係のあるテーマと言われたのですが、最初だということでまずは「カトリックの医療倫理——そのルーツを辿って」というテーマに決めました。1時間ぐらいの講演の中で、次の点に触れながら説明します。

・様々な生命倫理学の流れ
・医療倫理における諸原則
・生命倫理という学問の誕生過程と存在意義
・その遥か昔まで遡るカトリック教会の医療への関心
・特に、教皇ピオ12世(1938-1958)の医者への講話集の紹介、および彼の倫理観を分析
・その思想の中核として三つの話題を絞って:全体性の法則、痛みの緩和の正当性、延命治療がどこまで可能か、という点についての考察

将来また続きの講演を頼まれたら、もっと応用した問題を取り上げる予定です。また、医療スタッフの皆さんから質疑を受けて、次のテーマを決めていきたいと思います。 

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著書・学術論文に関する統計情報
年度
Academic Year
学術研究著書の件数
No. of Academic Books
学会誌・国際会議議事録等に掲載された学術論文の件数
No. of Academic Articles in Journals/Int'l Conference Papers
学内的な紀要等に掲載された学術論文の件数
No. of Academic Articles Pub'd in University Bulletins
学会受賞等の受賞件数
No. of Academic Awards Received
国際学会でのゲストスピーカーの件数
No. of Times as Guest Speaker at Int'l Academic Conferences
国際学会での研究発表の件数
No. of Presentations of Papers at Int'l Academic Conferences
国内学会でのゲストスピーカーの件数
No. of Times as Guest Speaker at National Academic Conf.
国内学会での研究発表の件数
No. of Papers Presented at National Academic Conf.
2023 
2022   
2021 
2020 
2019 
2018 
2017 
2016 
2015 
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2024/03/28 更新