2024/11/29 更新

写真b

オカザキ タカアキ
岡嵜 隆哲
OKAZAKI Takaaki
所属
人文学部 キリスト教学科 准教授
職名
准教授
主な研究課題
長期研究:アウグスティヌスの探求論および人間論

短期研究:アウグスティヌスの『告白』と『詩編注解』の関係性について
専攻分野
古代教父思想

学位

  • 修士(哲学) ( 2004年3月   同志社大学 )

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    修士

    学位論文名:アウグスティヌスの教育思想 ―『教師論』(De magistro)を中心に ―

  • 博士(哲学) ( 2010年3月   同志社大学 )

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    博士

    学位論文名:初期アウグスティヌス思想における宗教的探求の問題

  • 学士(文学) ( 2001年3月   同志社大学 )

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    学士

  • 学士(経済) ( 1997年3月   同志社大学 )

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    学士

研究分野

  • 人文・社会 / 思想史

学歴

  • 同志社大学   文学研究科   哲学専攻

    - 2004年3月

  • 同志社大学   文学研究科   哲学および哲学史専攻

    - 2010年3月

  • 同志社大学   文学部   文化学科哲学及倫理学専攻

    - 2001年3月

  • 同志社大学   経済学部

    - 1997年3月

論文

  • アウグスティヌスにおける内的対話の展開 ― 『告白』における『詩編』言語の意味と可能性について ―

    南山神学   42号   51 - 67   2019年3月

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    出版者・発行元:在名古屋教皇庁認可神学部 南山大学人文学部キリスト教学科  

     アウグスティヌスは初期著作『ソリロキア(Soliloquia)』において、「神と魂(自己)との知を求める」とする生涯の探求目標を表明し、自己の理性(ratio)を相手にした自己内対話による探求の方途を試みる。外的他者を介した対話・問答法では、多くの場合論者たちが議論をとおして互いを言い負かすことにのみ終始し、その結果自他の情念によって攪乱されて、真正な探求の道が阻まれることになるからである。それに対しそうした危険性を回避し、純粋に理性能力を発揮しうる対話的探求法として選択されたのが自己内対話としてのSoliloquiaの道である。こうした内的対話による探求法は、やがて中期著作『告白(Confessiones)』において独自の展開を遂げることになる。
     すでに『ソリロキア』において、探求するアウグスティヌスに対し「突然」語りかけ、対話を導くことになるのは「私自身であるのかそれとも私とは別のものであるか」、「私の外から来たものであるのか内から出てきたものであるか」判然としない「内在-超越的性格」を有する理性であり、そこでの対話的探求も神への祈りに支えられるものであった。しかしながら司教への叙階を経て、より神学的な関心が深められた『告白』では、内的対話による探求は、それ自体が神への祈りの中で、神のもとで問い、答える自問自答において展開されることになる。そうした祈りの言葉の中での対話的探求の成立を根幹において導き、支えるのは、『告白』全編をとおして引用される旧約聖書『詩編』である。『詩編』の成句引用を起点として開始され、展開される神と自己との知を求める内的対話の探求は、アウグスティヌスにとって、まずもって神の言葉への応答として、そのことにより呼び覚まされる応答的な思惟の展開として運ばれる。
     アウグスティヌスにとって『詩編』の言葉は、「全キリスト」の考え方を介して、それに対し応答すべき神の霊の言葉であると同時に種々の情念をはらんだ深き淵よりの人間の声であり、それによってこそ暗さを含んだ自己の感情が汲み尽され、自己自身を新しくされる教会の声である。「全キリスト」の祈りとしての『詩編』の言葉に参与し、その声に響き合うことにより、アウグスティヌスは正しくかつ新しく、神へと向かう深き淵よりの声を獲得するのである。

  • 「アウグスティヌスにおける内的対話の弁証法」

    『文化学年報』   第64輯   159 - 171   2015年3月

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    出版者・発行元:同志社大学文化学会  

     ソフィストたちが操る弁論・修辞の術(レートリケー)に抗して、ソクラテスが自身の対話の術(ディアレクティケー)において駆使したのは、一問一答を基本形式とする理性的問答の方途であった。アウグスティヌスが初期著作『ソリロキア』において内的対話への集中を試みたのも、自他の情念による攪乱を排し、純粋な理性能力による探求に専念するためである。しかしながら一般に、ソクラテスが武器とするところの「論理の強制力」のみでもってしては人の心は開かれず、深奥より動かされることはない 。そうした理性の光は、自己の深層の闇、およびその問題にまでは届かない 。アウグスティヌスにとって、神への祈りをとおし、人格的な神の面前で自己と問答し、物語る『告白』の道行きこそは、「神と自己」の知の探求における唯一の方途であったと言えよう。

  • 「アウグスティヌスにおけるquaestioと自己探求」

    『同志社哲學年報』   第37号   100 - 117   2014年9月

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    出版者・発行元:Soceitas Philosophiae Doshisha  

    神探求と自己探求が連結して展開される『告白』の探求について考察する。ギリシア以来の古代哲学の探求法が、無知の知への気づきを介し、イデアの想起へと導く問答法を中心とした知的ディアレクティケーであったのに対し、超越的人格の下に開かれるアウグスティヌスの告白的探求は、それに加え、自己の弱さへの気づきを介した人格的応答において成立する人格的ディアレクティケーであると言えよう。こうした垂直的な次元での(宗教的)ディアレクティケーこそが、アウグスティヌスをして自身では対峙しえない謎としてのquaestioを自身の問題として向き合わせ、そこでの問いを問うことを可能にしたのである。

  • 「知解を求める讃美 ― 『告白』一・一・一再論 ―」

    『パトリスティカ』   第17号   89 - 108   2014年3月

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    出版者・発行元:教父研究会  

     『告白』冒頭部(第一巻一章一節)のテキストは、「神と魂とを求める」アウグスティヌスの探求の根本動態、ないしは基本構造が集約的に表明された箇所として知られる。すでに多くの先達による尊敬すべき研究の蓄積がある本テクストの解釈に際し、本稿では、当テキストの成立がアウグスティヌスにおいて恩恵論の確立された『シンプリキアヌスへの手紙、種々の問題について』(以下『シンプリキアヌスへ』と略記)執筆よりまもなくのことであり、そこでの成果を受けたものであることに鑑み、改めて、恩恵の先行性という観点に重心を置いた仕方での解釈を試みる。

  • 「アウグスティヌスにおける意志概念の形成 ― 『自由意志論』から『告白』へ ―」

    『倫理学研究』   第42号   65 - 76   2012年6月

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    出版者・発行元:関西倫理学会  

     『自由意志論』から『告白』への移行におけるアウグスティヌスの意志理解の深化、とりわけそこに認められる神学的コンテクストに着目することにより、彼における意志概念の形成の核心内容を明らかにする。行為の主導原理をそれ自体理性のうちに見出すそれまでの古代哲学の諸思想に対し、意志は「無からの創造」を可能とする絶対超越の神、およびそれに呼応しうる神の像としての人間精神というヘブライズムの伝統思想を背景として、個において自覚される転倒した意志(罪)の問題、そしてそれ自体を問題として照らし出し、かつ救済する神の下での希望という精神の志向性においてアウグスティヌスによりとらえられたと言える。

  • 「初期アウグスティヌス思想における宗教的探求の問題」(博士論文)

    2010年3月

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     アウグスティヌスの生と思想は深く探求的な性格により貫かれている。若き日のいわゆるホルテンシウス体験をとおした愛知への覚醒から後年にその比重が増していくキリスト教弁証論的な活動に至るまで、彼はつねに具体的な生のただ中で、折々の出会いと問題意識をとおして、みずからの思想を形成し深めていったのであった。そうした彼の精神史上最も決定的な出来事は、言うまでもなく386年のミラノでの回心である。もっとも、「あなたは私の心を御言葉をもって貫かれたので、私はあなたを愛してしまった」(『告白』第10巻6章8節)として述懐されるこの出来事は、彼にとってその探求途上の終着点として受け取られた事態ではなかった。それはむしろ、そこで開示され、深められた新たな関係性、および確かに示された道とその希望において、真正の探求へと踏み出す決定的な契機として、彼に与えられたものなのである。総じて『告白』に至るまでのアウグスティヌスの思想的道程は、386年のミラノの出来事において自己が出会い、経験し、その愛によりとらえられたところの神に対する、あくなき探求方法の模索であったと言える。すなわち筆者の理解によれば、『告白(Confessiones)』(397-400年)は、ミラノでの回心という彼の生と思索上の基礎経験を核としつつ、それに相応しい探求方法の確定を俟って着手されたものに他ならない。アウグスティヌスはそこに至ってはじめて、十全な仕方で自己の経験の何たるかを了解するとともに、必要とされる宗教的探求の諸原理、およびその構造的内実を確信し、回心以来十数年、満を持して『告白』の執筆にかかることができたのである。本研究の目的は、こうした展望において、神の恩恵の下、信仰と知解、および愛と自由により貫かれるアウグスティヌスの宗教的探求の在り方について、『告白』に至るまでの初期から中期にかけての著作を中心として究明するものである。

  • 「アウグスティヌスにおけるキリスト者の戦い ― 恩恵と自由意志をめぐる一考察 ―」

    『日本の神学』   第48号   44 - 78   2009年8月

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    出版者・発行元:日本基督教学会  

     神の恩恵と人間の自由意志との関係性の問題について取り扱う。アウグスティヌスは先立つ『自由意志論』において、人間にとって「みずからの意志それ自身以上に、みずからにとって固有のものは他に何もない」という徹底した意志・自由・責任の理解を確定していた 。しかしながら390年代中頃に取り組まれたパウロ書簡研究とその最終的成果である『シンプリキアヌスへの手紙、種々の問題について(Ad Simplicianum de diversis quaestionibus)』(396年〔以下『シンプリキアヌスへ』と略記する〕)において結論されるのは、人間は信仰への意志それ自身さえ神により与えられるとする解釈である。意志と恩恵はこの場合どのように関係し合うのであるか。宗教倫理思想上の根本問題であるこの問いに対し、本章ではアウグスティヌスの恩恵論の核心をなす「相応しい呼びかけ(congrua uocatio)」の考え方を軸としつつ、『シンプリキアヌスへ』、『キリスト者の戦い(De agone christiano)』(396年)、『告白』をテクストとして、彼が終生奨励し続けた「キリスト者の戦い」という観点より接近する。

  • 「アウグスティヌスにおける悪の起源と構造の問題」

    『哲学論究』   第22号   1 - 19   2008年6月

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    出版者・発行元:同志社大学哲学会  

     アウグスティヌスにおける悪の問題への取り組みについて、改めて彼が新プラトン哲学より継承した「善の欠如」としての理解、および正統キリスト教思想をとおして学んだ自由意志における「罪と罰」としての理解という二つの観点から考察する。その際とりわけ両者の関係性を構造的にとらえることにより、アウグスティヌスがとらえていた悪の問題の深淵が明らかにされる。

  • 「初期アウグスティヌス思想における悪の問題 — 『探究の秩序』としての信仰の知解 —」

    『哲学論究』   第21号   1 - 14   2007年6月

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    出版者・発行元:同志社大学哲学会  

     アウグスティヌスの宗教的探求の方法、ないしはその秩序を根本より決定づけた悪の問題とそれへの取り組みについて考察する。アウグスティヌスは悪の問題に対する理論的、実践的対処として、カッシキアクム時代の著作『秩序論(De ordine)』(386年)では、主としてプラトン哲学の世界観とそれに基づく理性的探求の道を示していた。しかしながら『自由意志論(De libero arbitrio)』(388-395年)に至り、改めて信仰の知解の立場を鮮明にする中で、人間の意志を特別の焦点として問題をとらえるようになる経緯が明らかにされる。

  • 「アウグスティヌスの照明説についての一試論 — 真理認識における言葉の位相 —」

    『同志社哲學年報』   第28号   20 - 36   2005年9月

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    出版者・発行元:Soceitas Philosophiae Doshisha  

     アウグスティヌスの教育・学習論は、新プラトン哲学の二世界論、および形相分有論を背景としたいわゆる照明説をとおして基礎づけられる。もっともその考え方は、アウグスティヌスによりさらにキリスト教的な仕方で解釈され直し、確かな約束の下での宗教的探求の道として示されることが明らかにされる。『教師論(De magistro)』(389年)、『三位一体論(De trinitate)』を中心テクストとして考察する。

  • 「アウグスティヌスの聖書解釈学における言葉と愛の秩序 ー 『キリスト教の教え』(De doctrina christiana) を中心に ー」

    『哲学論究』   第19号   15 - 30   2005年6月

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    出版者・発行元:同志社大学哲学会  

     『キリスト教の教え(De doctrina christiana)』(396年)を中心テクストとして、アウグスティヌスの解釈論、および共同体論について考察する。アウグスティヌスにとって、探求はつねに共同体論的に、また共同体的関心において引き受けられ、遂行される。その際重要な問題となるのは、言葉を中心とした相互間の伝達媒体、およびその解釈についてである。言葉を中心とした記号の解釈に際しアウグスティヌスが見定めていた種々の危険性について明らかにされるとともに、そうした解釈の迂路、および教育関係においてこそ彼がとらえていた共同体形成の道が展望される。

  • 「アウグスティヌスの教育思想 — 『教師論』(De magstro)を中心に —」

    2004年3月

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MISC

  • 「アウグスティヌスにおける祈りの弁証法」

    『宗教研究別冊』   第88号   244 - 255   2015年

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    出版者・発行元:日本宗教学会  

講演・口頭発表等

  • 「アウグスティヌスにおける内的対話の展開 — 『告⽩録』における『詩編』引⽤の意味と可能性について ―」

    中世哲学会(会場:早稲田大学)  2016年11月  中世哲学会

  • 「アウグスティヌスにおける祈りの弁証法」

    日本宗教学会第73回大会(会場:同志社大学)  2014年9月  日本宗教学会

  • 「アウグスティヌスにおけるquaestioと自己探求の問題」

    Societas Philosophiae Doshisha 第37回大会(会場:同志社大学)  2013年9月  Societas Philosophiae Doshisha

  • 「知解を求める讃美 ― アウグスティヌス『告白』冒頭箇所(第1巻1章1節)再論 ―」

    教父研究会第143回(会場:上智大学)  2013年3月  教父研究会

  • 「アウグスティヌスにおける意志概念の形成」

    関西倫理学会第63回大会(会場:南山大学)  2010年11月  関西倫理学会

  • 「アウグスティヌスにおける愛の問題」

    日本基督教学会近畿支部会(会場:関西学院大学)  2009年3月  日本基督教学会

  • 「アウグスティヌスにおける『キリスト者の戦い』について ― 意志と恩恵をめぐって ―」

    日本基督教学会第56回学術大会(会場:関東学院大学)  2008年9月  日本基督教学会

  • アウグスティヌスにおける自由の問題 ― 恩恵の勝利としての自由 ―

    日本基督教学会近畿支部会(会場:同志社女子大学)  2008年3月  日本基督教学会

  • 「アウグスティヌスと自由意志の問題」

    日本基督教学会第55回学術大会(会場:京都大学)  2007年9月  日本基督教学会

  • 「アウグスティヌスにおける悪の起源と構造について」

    日本基督教学会近畿支部会(会場:神戸女学院大学)  2007年3月  日本基督教学会

  • 「初期アウグスティヌス思想における悪の問題」

    日本基督教学会第54回学術大会(会場:上智大学)  2006年9月  日本基督教学会

  • 「アウグスティヌスの「照明説」についての一試論 ― 記憶と内的言語について ―」

    Societas Philosophiae Doshisha 第28回大会(会場:同志社大学)  2004年9月  Societas Philosophiae Doshisha

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共同研究・競争的資金等の研究課題

  • アウグスティヌスの探求論および人間論

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     アウグスティヌスの宗教的探求において開示される深層の人間について、『告白』『三位一体論』他の主要著作をとおして究明する。アウグスティヌスの思想における特徴の一つは、宗教(神学)的な内容と哲学(人間学)的な内容とを分離しない真理探求のスタイルである。彼においてとりわけラディカルな仕方で問われたのは、自己の心、ないしは人間存在そのものの謎であり、可能性と危険性(得体の知れなさ)とを合わせ秘めたその限りない深淵であった。もっとも現代の深層心理学(フロイト)などにも比せられるその探求が、近現代の哲学や心理学のそれと異なるのは、それがつねに宗教的な救済の観点を背景として問題化されたものであり、その希望の光のもとでこそ深く掘り下げられえたものであった点にあると考える。神探求と人間(自己)探求が連動する探求の在り方、およびそれゆえにこそ彼自身の実存をとおし深く納得される形でとらえられることになったその真理内容について研究する。

  • アウグスティヌスの『告白』と『詩編注解』の関係性について

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     『告白』の叙述において旧約聖書『詩編』の言葉が多用されることの意味と可能性について、アウグスティヌスの対話的探求論や言語論、さらには他者論や共同体論の観点も含めて考察する。『告白』で開示された深淵の言語は、『詩編』の中で展開される神⁻人間関係における基音言語とのかかわりをとおしてもたされていると考える。それはまた、アウグスティヌス自身の深奥の声を介して他者に対し開示されることをとおし、他者との連帯と共同性をも生み出す言語として働くものである。人の心を深みにおいて動かし、結びつけるそうした言葉の力についてアウグスティヌスの著作を通じて研究する。

その他教育活動及び特記事項

  • キリスト教精神史(2)(キリスト教と近代世界)

    2016年

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     西欧近代世界の形成およびその展開を,キリスト教精神史の観点から通観し,考察する。西欧近代は「コルプス・クリスチ アヌム(キリスト教的社会有機体)」としてのヨーロッパ世界の解体過程の一方で,宗教改革の運動に代表されるように,宗教(キリスト教)的要素を推進力として形成されてきた性格を持つ。近代世界とは,思想・政治・経済・社会の諸側面にわたり,そうしたキリスト教的な制度やものの考え方によって方向づけられた時空間であったと言えよう。したがって,西欧近代とキリスト教との関係性を理解することは,(近代文明の限界が露呈され始めている現代社会において)正しく「近代」を相対化し,来るべき未来に向き合うためにも意義を持つことである。

  • キリスト教精神史(1)(キリスト教と古代・中世世界)

    2016年

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     ヨーロッパの古代後期から中世までを,キリスト教精神史の観点から通観し,考察する。1世紀にローマ帝国の辺境で誕生したキリスト教は,迫害を経験しながらも当時の帝国内で急速に広まり,4世紀には公認宗教,および国家宗教となる。ヘブライズムの伝統を継承し,神の国の到来を説くその教えは,ギリシア・ローマのヨーロッパ古典文化との接合,ゲルマン諸部族の教化を経て,やがて宗教・政治・経済・社会を統合する「コルプス・クリスチアヌム(キリスト教的社会有機体)」としてのヨーロッパ世界を形成するに至る。本授業では,こうしたキリスト教を本質的要素として持つ古代後期,中世のヨーロッパについて年代史的に,また種々の側面より学習する。

  • 中世キリスト教史演習(アウグスティヌス『告白』を読む)

    2016年

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     アウグスティヌスの主著である『告白(Confessiones)』を演習形式で講読する。アウグスティヌスの『告白』は西洋文芸史上最大の古典の一つとして知られる。そこには,神(真理)探求と自己探求とが連動して進められるアウグスティヌス特有の探 求の軌跡とともに,彼の神学(宗教)・哲学上の諸問題,諸思想の大部分が提示されている。実存的かつ理論的な種々の問題に葛藤し,迷いつつも,どこまでも真理の光を求めてやまない真摯なる魂の姿は,古来より多くの読者の心をうち続けてきた。本授業では,『告白』の翻訳テキストの精読をとおし,そこに提示される考え方や諸問題について共同で考察し,検討する。

  • 中世キリスト教史(アウグスティヌス ‐ その生涯と思想 ‐)

    2016年

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     ヘレニズム,ヘブライズムそれぞれの思想的特徴を確認することから始め,次いでキリスト教の成立からアウグスティヌスに至るまでの古代教父の伝統について学ぶ。そのうえで,アウグスティヌスの生涯について,若き日の彷徨と模索の時代より,神と真理を求める彼がいかにしてまたいかなる経路によりキリスト教への回心に至ったかをたどる。また,種々の論争にかかわった後半生において,彼が受けとめた神学・哲学上の諸問題,およびそこにおいてうち立てられることになった諸思想について学ぶ。悪の問題,信仰と理性,恩恵と自由意志についてなど,以降の西欧神学・哲学の基本的解釈として継承されることになる考え方を学習する。

  • 宗教学(2)

    2016年

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     いつの時代も宗教は世界の諸地域,諸文明の文化的基層として働いてきた。ゆえに,世界史についての立ち入った理解をう るためにも,また混迷の度合いを増す 21 世紀現代の世界情勢とその動向を深層より読み解くためにも,世界の諸宗教の伝統 とその基本内容についての知識は重要である。本授業では,世界の宗教史について,人類の精神史上決定的な働きをなしてき た世界宗教を中心に学習する。大きく東洋と西洋,多神教と一神教といった観点において宗教がどのような性格的特徴により 類型化されるかを概観し,次いでキリスト教,イスラーム(教),仏教といった世界宗教について,それぞれの成立事情や基 本的な思想内容,さらにはそれらがもたらした文明史的な意義や影響について学ぶ。

  • 宗教学(1)(宗教とキリスト教・同志社)

    2016年

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     太古より人類は宗教において宇宙,自然,およびそこに生きるみずから自身を解釈し,その意味と意義とを了解してきた。 宗教学は,こうした宗教および宗教現象について学問的に理解しようとする試みである。本授業では,まず人間において宗教 が有する根本的な意味について考察し,次いで,宗教の原初形態,宗教的コスモロジー,死と来世の問題等の宗教学が問うて きた諸テーマを取り上げて学習する。

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