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学術論文
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年度
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論文題目名
Title of the articles
共著区分
Collaboration
   Classification
NeoCILIUS
   請求番号/資料ID
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掲載誌名 Journal name,出版機関名 Publishing organization,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.,発行年月(日) Date
2018  アウグスティヌスにおける内的対話の展開 ― 『告白』における『詩編』言語の意味と可能性について ―  未設定   
南山神学  , 在名古屋教皇庁認可神学部 南山大学人文学部キリスト教学科  , 42号  , pp. 51-67  , 2019/03   

概要(Abstract)  アウグスティヌスは初期著作『ソリロキア(Soliloquia)』において、「神と魂(自己)との知を求める」とする生涯の探求目標を表明し、自己の理性(ratio)を相手にした自己内対話による探求の方途を試みる。外的他者を介した対話・問答法では、多くの場合論者たちが議論をとおして互いを言い負かすことにのみ終始し、その結果自他の情念によって攪乱されて、真正な探求の道が阻まれることになるからである。それに対しそうした危険性を回避し、純粋に理性能力を発揮しうる対話的探求法として選択されたのが自己内対話としてのSoliloquiaの道である。こうした内的対話による探求法は、やがて中期著作『告白(Confessiones)』において独自の展開を遂げることになる。
 すでに『ソリロキア』において、探求するアウグスティヌスに対し「突然」語りかけ、対話を導くことになるのは「私自身であるのかそれとも私とは別のものであるか」、「私の外から来たものであるのか内から出てきたものであるか」判然としない「内在-超越的性格」を有する理性であり、そこでの対話的探求も神への祈りに支えられるものであった。しかしながら司教への叙階を経て、より神学的な関心が深められた『告白』では、内的対話による探求は、それ自体が神への祈りの中で、神のもとで問い、答える自問自答において展開されることになる。そうした祈りの言葉の中での対話的探求の成立を根幹において導き、支えるのは、『告白』全編をとおして引用される旧約聖書『詩編』である。『詩編』の成句引用を起点として開始され、展開される神と自己との知を求める内的対話の探求は、アウグスティヌスにとって、まずもって神の言葉への応答として、そのことにより呼び覚まされる応答的な思惟の展開として運ばれる。
 アウグスティヌスにとって『詩編』の言葉は、「全キリスト」の考え方を介して、それに対し応答すべき神の霊の言葉であると同時に種々の情念をはらんだ深き淵よりの人間の声であり、それによってこそ暗さを含んだ自己の感情が汲み尽され、自己自身を新しくされる教会の声である。「全キリスト」の祈りとしての『詩編』の言葉に参与し、その声に響き合うことにより、アウグスティヌスは正しくかつ新しく、神へと向かう深き淵よりの声を獲得するのである。
 

備考(Remarks)  

2015  「アウグスティヌスにおける内的対話の弁証法」  未設定   
『文化学年報』  , 同志社大学文化学会  , 第64輯  , pp. 159-171  , 2015/03   

概要(Abstract)  ソフィストたちが操る弁論・修辞の術(レートリケー)に抗して、ソクラテスが自身の対話の術(ディアレクティケー)において駆使したのは、一問一答を基本形式とする理性的問答の方途であった。アウグスティヌスが初期著作『ソリロキア』において内的対話への集中を試みたのも、自他の情念による攪乱を排し、純粋な理性能力による探求に専念するためである。しかしながら一般に、ソクラテスが武器とするところの「論理の強制力」のみでもってしては人の心は開かれず、深奥より動かされることはない 。そうした理性の光は、自己の深層の闇、およびその問題にまでは届かない 。アウグスティヌスにとって、神への祈りをとおし、人格的な神の面前で自己と問答し、物語る『告白』の道行きこそは、「神と自己」の知の探求における唯一の方途であったと言えよう。 

備考(Remarks)  

2014  「アウグスティヌスにおけるquaestioと自己探求」  未設定   
『同志社哲學年報』  , Soceitas Philosophiae Doshisha  , 第37号  , pp. 100-117  , 2014/09   

概要(Abstract) 神探求と自己探求が連結して展開される『告白』の探求について考察する。ギリシア以来の古代哲学の探求法が、無知の知への気づきを介し、イデアの想起へと導く問答法を中心とした知的ディアレクティケーであったのに対し、超越的人格の下に開かれるアウグスティヌスの告白的探求は、それに加え、自己の弱さへの気づきを介した人格的応答において成立する人格的ディアレクティケーであると言えよう。こうした垂直的な次元での(宗教的)ディアレクティケーこそが、アウグスティヌスをして自身では対峙しえない謎としてのquaestioを自身の問題として向き合わせ、そこでの問いを問うことを可能にしたのである。 

備考(Remarks)  

2014  「知解を求める讃美 ― 『告白』一・一・一再論 ―」  未設定   
『パトリスティカ』  , 教父研究会  , 第17号  , pp. 89-108  , 2014/03   

概要(Abstract)  『告白』冒頭部(第一巻一章一節)のテキストは、「神と魂とを求める」アウグスティヌスの探求の根本動態、ないしは基本構造が集約的に表明された箇所として知られる。すでに多くの先達による尊敬すべき研究の蓄積がある本テクストの解釈に際し、本稿では、当テキストの成立がアウグスティヌスにおいて恩恵論の確立された『シンプリキアヌスへの手紙、種々の問題について』(以下『シンプリキアヌスへ』と略記)執筆よりまもなくのことであり、そこでの成果を受けたものであることに鑑み、改めて、恩恵の先行性という観点に重心を置いた仕方での解釈を試みる。 

備考(Remarks)  

2012  「アウグスティヌスにおける意志概念の形成 ― 『自由意志論』から『告白』へ ―」  未設定   
『倫理学研究』  , 関西倫理学会  , 第42号  , pp. 65-76  , 2012/06   

概要(Abstract)  『自由意志論』から『告白』への移行におけるアウグスティヌスの意志理解の深化、とりわけそこに認められる神学的コンテクストに着目することにより、彼における意志概念の形成の核心内容を明らかにする。行為の主導原理をそれ自体理性のうちに見出すそれまでの古代哲学の諸思想に対し、意志は「無からの創造」を可能とする絶対超越の神、およびそれに呼応しうる神の像としての人間精神というヘブライズムの伝統思想を背景として、個において自覚される転倒した意志(罪)の問題、そしてそれ自体を問題として照らし出し、かつ救済する神の下での希望という精神の志向性においてアウグスティヌスによりとらえられたと言える。 

備考(Remarks)  

2010  「初期アウグスティヌス思想における宗教的探求の問題」(博士論文)  未設定   
2010/03   

概要(Abstract)  アウグスティヌスの生と思想は深く探求的な性格により貫かれている。若き日のいわゆるホルテンシウス体験をとおした愛知への覚醒から後年にその比重が増していくキリスト教弁証論的な活動に至るまで、彼はつねに具体的な生のただ中で、折々の出会いと問題意識をとおして、みずからの思想を形成し深めていったのであった。そうした彼の精神史上最も決定的な出来事は、言うまでもなく386年のミラノでの回心である。もっとも、「あなたは私の心を御言葉をもって貫かれたので、私はあなたを愛してしまった」(『告白』第10巻6章8節)として述懐されるこの出来事は、彼にとってその探求途上の終着点として受け取られた事態ではなかった。それはむしろ、そこで開示され、深められた新たな関係性、および確かに示された道とその希望において、真正の探求へと踏み出す決定的な契機として、彼に与えられたものなのである。総じて『告白』に至るまでのアウグスティヌスの思想的道程は、386年のミラノの出来事において自己が出会い、経験し、その愛によりとらえられたところの神に対する、あくなき探求方法の模索であったと言える。すなわち筆者の理解によれば、『告白(Confessiones)』(397-400年)は、ミラノでの回心という彼の生と思索上の基礎経験を核としつつ、それに相応しい探求方法の確定を俟って着手されたものに他ならない。アウグスティヌスはそこに至ってはじめて、十全な仕方で自己の経験の何たるかを了解するとともに、必要とされる宗教的探求の諸原理、およびその構造的内実を確信し、回心以来十数年、満を持して『告白』の執筆にかかることができたのである。本研究の目的は、こうした展望において、神の恩恵の下、信仰と知解、および愛と自由により貫かれるアウグスティヌスの宗教的探求の在り方について、『告白』に至るまでの初期から中期にかけての著作を中心として究明するものである。
 

備考(Remarks)  

2008  「アウグスティヌスにおけるキリスト者の戦い ― 恩恵と自由意志をめぐる一考察 ―」  未設定   
『日本の神学』  , 日本基督教学会  , 第48号  , pp. 44-78  , 2009/08   

概要(Abstract)  神の恩恵と人間の自由意志との関係性の問題について取り扱う。アウグスティヌスは先立つ『自由意志論』において、人間にとって「みずからの意志それ自身以上に、みずからにとって固有のものは他に何もない」という徹底した意志・自由・責任の理解を確定していた 。しかしながら390年代中頃に取り組まれたパウロ書簡研究とその最終的成果である『シンプリキアヌスへの手紙、種々の問題について(Ad Simplicianum de diversis quaestionibus)』(396年〔以下『シンプリキアヌスへ』と略記する〕)において結論されるのは、人間は信仰への意志それ自身さえ神により与えられるとする解釈である。意志と恩恵はこの場合どのように関係し合うのであるか。宗教倫理思想上の根本問題であるこの問いに対し、本章ではアウグスティヌスの恩恵論の核心をなす「相応しい呼びかけ(congrua uocatio)」の考え方を軸としつつ、『シンプリキアヌスへ』、『キリスト者の戦い(De agone christiano)』(396年)、『告白』をテクストとして、彼が終生奨励し続けた「キリスト者の戦い」という観点より接近する。 

備考(Remarks)  

2008  「アウグスティヌスにおける悪の起源と構造の問題」  未設定   
『哲学論究』  , 同志社大学哲学会  , 第22号  , pp. 1-19  , 2008/06   

概要(Abstract)  アウグスティヌスにおける悪の問題への取り組みについて、改めて彼が新プラトン哲学より継承した「善の欠如」としての理解、および正統キリスト教思想をとおして学んだ自由意志における「罪と罰」としての理解という二つの観点から考察する。その際とりわけ両者の関係性を構造的にとらえることにより、アウグスティヌスがとらえていた悪の問題の深淵が明らかにされる。 

備考(Remarks)  

2007  「初期アウグスティヌス思想における悪の問題 — 『探究の秩序』としての信仰の知解 —」  未設定   
『哲学論究』  , 同志社大学哲学会  , 第21号  , pp. 1-14  , 2007/06   

概要(Abstract)  アウグスティヌスの宗教的探求の方法、ないしはその秩序を根本より決定づけた悪の問題とそれへの取り組みについて考察する。アウグスティヌスは悪の問題に対する理論的、実践的対処として、カッシキアクム時代の著作『秩序論(De ordine)』(386年)では、主としてプラトン哲学の世界観とそれに基づく理性的探求の道を示していた。しかしながら『自由意志論(De libero arbitrio)』(388-395年)に至り、改めて信仰の知解の立場を鮮明にする中で、人間の意志を特別の焦点として問題をとらえるようになる経緯が明らかにされる。 

備考(Remarks)  

2005  「アウグスティヌスの照明説についての一試論 — 真理認識における言葉の位相 —」  未設定   
『同志社哲學年報』  , Soceitas Philosophiae Doshisha  , 第28号  , pp. 20-36  , 2005/09   

概要(Abstract)  アウグスティヌスの教育・学習論は、新プラトン哲学の二世界論、および形相分有論を背景としたいわゆる照明説をとおして基礎づけられる。もっともその考え方は、アウグスティヌスによりさらにキリスト教的な仕方で解釈され直し、確かな約束の下での宗教的探求の道として示されることが明らかにされる。『教師論(De magistro)』(389年)、『三位一体論(De trinitate)』を中心テクストとして考察する。 

備考(Remarks)  

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