研究者詳細

教職員基本情報
氏名
Name
岡地 稔 ( オカチ ミノル , OKACHI Minoru )
所属
Organization
外国語学部ドイツ学科
職名
Academic Title
教授
専攻分野
Area of specialization

西洋史学

学会活動
Academic societies

史学会会員(1980.4〜現在に至る)
日本西洋史学会会員(1980.4〜現在に至る)
西洋中世史研究会会員(1988.4〜現在に至る)

著書・学術論文数
No. of books/academic articles
総数 total number (24)
著書数 books (2)
学術論文数 articles (22)

出身大学院
大学院名
Grad. School
修了課程
Courses
   Completed
修了年月(日)
Date of Completion
修了区分
Completion
   Classification
名古屋大学大学院文学研究科史学地理学専攻 博士後期課程  1980年03月  単位取得満期退学 
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取得学位
   
学位区分
Degree
   Classification
取得学位名
Degree name
学位論文名
Title of Thesis
学位授与機関
Organization
   Conferring the Degree
取得年月(日)
Date of Acquisition
修士 文学修士    名古屋大学大学院文学研究科史学地理学専攻  1977年03月 
学士 文学士    名古屋大学文学部史学地理学科  1975年03月 
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研究経歴
長期研究/短期研究
Long or Short
   Term research
研究課題名
Research Topic
長期研究  9・10世紀ドイツにおける権力構造 

概要(Abstract) 9世紀後期〜10世紀前期における,カロリンガー東フランク王国の崩壊からドイツ王国の形成にいたる歴史のダイナミズムを,王権・教会・貴族等,政治諸勢力の権力構造の問題を中心にすえて追求する。当該時期の王権・教会・貴族等の権力基盤,消長,相互関係など,さまざまな角度からの分析・解明を通して,この課題に接近する。 

短期研究  1.9・10世紀ロートリンゲンにおける権力構造 

概要(Abstract) 1.9・10世紀交期のロートリンゲン地方における王権・教会・貴族権力のありようを,当該地域の修道院支配,ならびに修道院改革をめぐる問題から検討する。 

短期研究  2.9・10世紀フランク,ドイツにおける国王選挙 

概要(Abstract) 2.王権理念・国家理念が象徴的に発露され,政治諸権力の競合の様相などがうかがわれる場である国王選挙。これの分析を通して当該時期の権力構造を解明する。 

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著書
年度
Year
著書名
Title of the books
著書形態
Form of Book
NeoCILIUS
   請求番号/資料ID
Request No
出版機関名 Publishing organization,判型 Book Size,頁数 No. of pp.,発行年月(日) Date
1995  西欧中世史〔上〕−継承と創造−(第2章 ゲルマン部族王権の成立−東ゴート族の場合)  共著   
ミネルヴァ書房  , 未設定  , 275 pp.(69-90  , 1995/11   

概要(Abstract) 民族移動期、および建国期ゲルマン部族王権が、どのように成立し、またその性格がどのようなものであったか、を東ゴート族の場合で考察した。東ゴート部族王権の場合、伝統的・世襲的な「神聖王権」と個人の実力に基づく「軍隊王権」の接点に位置するとされるが、両王権の性格が具体的にどう接合されるか、学説的には曖昧な処理にとどまってきた。本章では、実際には民族移動期の東ゴート族にあっては、「神聖王権」を出発点とする王権も、純粋に「軍隊王権」として成立した王権も、ともに存在したことを明らかにし、むしろ「神聖王権」にあっても、軍隊王権的契機を得て初めて再生しえたことを指摘し、ここへ、テオドリック大王に代表される東ゴート部族王権の成立過程、性格を位置づけた。あわせて「軍隊王権論」の射程、有用性、その限界について論及した。 

備考(Remarks) 佐藤彰一,岡地 稔,森 義信,小田内隆,森本芳樹,丹下 栄,早川良弥,熊野 聰 

1990  権力・知・日常−ヨーロッパ史の現場へ−(IV オットーネンにおける修道院改革とザンクト・ガレン修道院改革  共著   
名古屋大学出版会  , 未設定  , 249 pp.(93-12  , 1991/03   

概要(Abstract) 10世紀前期ロートリンゲンに起こった修道院改革の波は、同世紀半ば以降ドイツ全域に及び、シュヴァーベンのザンクト・ガレン修道院もその波及先の一つとなる。本章では、不明な部分が少なくないこのザンクト・ガレン修道院改革について、史料を再検討し、問題の焦点の一つとして、修道院長選挙をめぐる修道院側と王権側との微妙な関係を指摘し、さらに、この問題を考えるために、シュヴァーベン地域の主要な帝国修道院における修道院長選挙の実態について10世紀末まで追跡した。ここから、ザンクト・ガレン修道院の改革、延いては修道院改革全般に寄せた王権側の政策的意図が実効ある修道院支配にあった可能性を指摘した。 

備考(Remarks) 長谷川博隆,砂田 徹,佐藤彰一,岡地 稔,天野知恵子,高木勇夫,松塚俊三,佐喜真望,若尾祐司,木谷 勤 

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学術論文
年度
Year
論文題目名
Title of the articles
共著区分
Collaboration
   Classification
NeoCILIUS
   請求番号/資料ID
Request No
掲載誌名 Journal name,出版機関名 Publishing organization,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.,発行年月(日) Date
2016  『ヴィエンヌ聖人歴』Hagiologium Viennenseの典拠をめぐる一考察 ―『ヴィエンヌ聖人歴』はメロヴィング期末期の史料として利用できるのか―  単著   
アルケイア ―記録・情報・歴史―  , 南山アーカイブズ  , 第11号  , pp.1-81  , 2017/03/10   

概要(Abstract) 7世紀半ば~8世紀初めのメロヴィング朝フランク王国の政治情勢に関しては、同時代に書かれた歴史叙述『フランク史書』が依拠されるべきほとんど唯一の作品である。この史料状況にあって、11世紀の『ヴィエンヌ聖人暦』は上記の時期のフランク情勢について『フランク史書』とは一部異なる報告をする。本稿は、『ヴィエンヌ聖人暦』が上記の時期についての史料として利用できるのかを考察するべく、同作品の典拠を探求した。その結果、『ヴィエンヌ聖人暦』は上記の時期のフランク情勢について9世紀の作品『アドン年代記』に全面的に依拠し、一部それを補うために『聖アナスタシオスの事蹟』と『フレデガリウス年代記続編』を参照していること、その『アドン年代記』が『フランク史書』に依拠していることを明らかにした。結論として『ヴィエンヌ聖人暦』が上記の時期のフランク情勢を『フランク史書』以外の何らかの文献・伝承に基づいて記していた可能性はほぼ皆無であるとした。あわせて、『ヴィエンヌ聖人暦』が『フランク史書』から逸脱した記述をしている部分をどう理解するかについて、仮説を提起した。
 

備考(Remarks) http://www.nanzan.ac.jp/archives/kanko/archeia_11-6okachi.pdf 

2015  命名からみた初期カペー家の親族集団意識  単著   
アルケイア―記録・情報・歴史―  , 南山アーカイブズ  , 第10号  , pp.185-220  , 2016/03/07   

概要(Abstract)  本稿は、ロベール・ル・フォール以降のカペー家の人びとにおける命名を分析することで、それぞれの世代がどのような親族集団意識を有していたかを追跡した。
カペー家というと通例、ロベール・ル・フォールに始まって、西フランク王ウード、同ロベール一世、フランク=フランス太公大ユーグをへて、西フランク=フランス王となるユーグ・カペーへとつづく、一貫して父系-男系の親族集団として捉えられることが多い。しかしその時々の当事者たちは、そのような親族集団に属しているとは認識してはいなかった。言い方をかえると、そのような親族集団があると考えてはいなかった。大ユーグとその姉妹は父系・母系の両系から成る親族集団に属していると認識していた。親族集団が自身の父系・母系の両系から成るという捉え方は、ユーグ・カペーら大ユーグの子らの場合も同様である。しかし子らが考える父系・母系から成る親族集団は、当然、大ユーグの考える親族集団とは異なる。彼らは自分たちが自身の父系の親族集団と母系の親族集団(オットー家)の両系から成る親族集団に属すると認識していた。主導名の構成=組合せが変わることで、主導名によって表され維持される親族集団の同属意識も変化することの、典型例である。つぎの世代でも同じ事態が確認されたが、ただ一人、国王ロベール二世だけは、自身がもっぱら父系の親族集団に属するものと認識し、自身の子らもまたこれに属するものと認識していた。おそらくは父子二代にわたって占めた「王位」が親族集団の帰属意識を支える堅固な核となり、親族集団意識の固定化、さらには親族集団そのものの固定化へ一歩進めたものと思われる。ここに、可変的な親族集団から、固定的な国王家門カペー家の成立が確認される。
 

備考(Remarks) http://www.nanzan.ac.jp/archives/kanko/archeia_10okachi.pdf 

2014  記録の中の渾名:混迷の「ユーグ・カペー」  単著  ISSN 1881-7955 
アルケイア―記録・情報・歴史―  , 南山アーカイブズ  , 第9号  , pp.1-40  , 2015/03/16   

概要(Abstract) あだ名というと、われわれは、それが、記憶・伝承の中に生きてきたものが文字に記されて表出するもの、と考えがちである。しかし、あだ名で呼ぶという行為は匿名性が高いゆえに、そのあだ名が登場した時点ですでに、その意味するところが必ずしも正確に伝わっているとは限らない。あだ名はひとたび登場すると、対象者であれ、あだ名自体であれ、正確に記憶され伝えられるとは限らず、そのあだ名自体がまさに自律的な―聞き、読み、記録する人たちによる勝手な―展開を見せ、また対象者とあだ名に整合性を欠くことも少なくない。
本稿はそうした例としてフランス王ユーグ・カペーのあだ名「カペー」を取り上げた。このあだ名はもともとユーグ・カペーの父、大ユーグに、彼の死の半世紀以上後に付けられたものであり、それ自体どのような意味でつけられたかは不明である。その後、彼と同名の息子との混同から、息子ユーグ・カペーも、その死の約1世紀後に、このあだ名で呼ばれるにいたった。そのため、中世の人びとはユーグ・カペーのあだ名に関しては、彼自身の伝承から伝え知ったのではなく、記されたもの、記録されたものの中から知り、そして読み取ったのである。そこから各人が各様に解釈を展開することになり、新たな伝説が生まれることにもなる。「カペー」の意味はさまざまに捉えられるが、その一因はここにもあると思われる。
 

備考(Remarks) http://www.nanzan.ac.jp/archives/kanko/archeia09_okachi.pdf 

2013  中世前期・東フランク=ドイツ王国における「宮廷アーカイヴ」  単著  ISSN 1881-7955 
アルケイア―記録・情報・歴史ー  , 南山大学史料室  , 第8号  , pp.49-103  , 2014/03/18   

概要(Abstract) カロリンガー末期~オットー・ザーリア朝期東フランク=ドイツ王国には宮廷アーカイヴは存在しなかったといわれる。何故なら当時は巡行王権の下、王は宮廷とともに年中旅の途上にあり、宮廷アーカイヴに相当するものは特定の王宮には存在せず、王とともに年中旅していたからである。国王とともに宮廷教会の聖職者たちが旅をする。彼らのうちの幾人かが書記を兼ね、国王の文書作成などの文書行政に携わる。宮廷アーカイヴに相当するものとは、彼らが旅において携行した文書類に他ならない。そこでは現代的意味におけるアーカイヴ活動がなされえたとは思われないが、書記たちは書式の継承を通じて、古代末期~カロリンガー期の皇帝文書・官僚文書の基本的枠組みを、中世後期に至るまで継承するという、歴史的役割を果たした。しかし彼らの属する書記局は制度的に完備されたものではなく、存在したのは書記の役割を担った人々でしかない。しかも書記は時に一人で活動する時期もあり、恒常的な存在ではなかった。こうした制度的脆弱性にもかかわらず、上記の歴史的使命を果たしえたのは何故か。本稿では、ルードヴィヒ幼童王期の書記局・書記の文書作成活動について考察した。書記たちの携帯したアーカイヴの中身については、個人的な「書式集」と若干の国王文書の控えが推測されるものの、それ以上は不明であり、総じて、内容豊かではないと推測される。しかしながら文書作成にあたって、彼らと受領者側、とりわけ教会・修道院との不断の接触が見られる。教会・修道院ではたえず王権に自己の所領・権利の確認を求め、そのさい証拠として先任諸王の文書を携えた。彼らは権利の物的証明手段である国王文書の保存・管理に腐心し、真の意味でのアーカイヴを有していた。おそらくはこうした教会・修道院との文書作成段階でのたえざる接触・関わりが、「参照枠」として、書記局・書記の側の「アーカイヴ」の「不備」を補完したと思われる。書記たちの不断の活動が、期せずしてアーカイヴ活動となっていた。受領者側、教会・修道院など在地の側から見るなら、彼らのアーカイヴ活動が、より大きな枠組みでのアーカイヴ活動に寄与することができたといえる。
 

備考(Remarks) http://www.nanzan.ac.jp/archives/kanko/archives_08_4.pdf 

2012  『フレデガリウス年代記』研究 1  共著   
アカデミア 人文・自然科学編  , 南山大学  , 第5号  , pp.105-113  , 2013/1/30   

概要(Abstract) 本稿は、7世紀半ばまでのフランク史を研究する上で重要な史料『フレデガリウス年代記』に関して、当時の政治史を概観しつつ、主として作者像をめぐる論争を簡潔に俯瞰したものである。抑々作者とされる「フレデガリウス」という名前それ自体が、情報源の明らかでない16世紀の書き込みに由来しているが、それ以上にさしたる手掛りがないこともあって、この名が使われてきた。他方、この作品に何人の手が加えられているかという点に関しては、19世紀以来、議論が展開され、B.クルシュは、すでに1882年の段階で3人説を唱えている。彼によればこの年代記は613、642および658年に順次書き継がれたとされる。クルシュ以降、現在最も影響力を持っているのは、1人説を採るW.ゴファートである。彼は、詳細な歴史叙述がが必ずしも同時代性を示すわけではなく、生き生きとした描写はむしろ作品のフィクション性を表していると指摘し、この作品が658年に1人の作者によって書かれたと考える。本稿は、今後進めるこの年代記の主要部分の翻訳と注の前提として、如上の作者問題に焦点を絞って研究史を紹介した。 

備考(Remarks) 共著者 杉浦武仁 

2010  911年・シュヴァーベンにおける「騒擾」(tumultus)--シュヴァーベン太公権形成前史・覚え書--  単著   
『アカデミア』文学・語学編  , 南山大学  , 89号  , 227-271  , 2011/1   

概要(Abstract)  『モンツァ本アレマニエン年代記』が伝える911年・シュヴァーベンの「騒擾」は, 従来, 貴族権力によるアレマニエン=シュヴァーベン地域における主導権, すなわち太公権の獲得・確立をめざした角逐・競合の一コマと見なされてきたが, そこに至る諸勢力の動静等について描くことは, 史料の制約から断念されてきた。こうした状況に対し近年, 「宮廷伯権力」に注目し, これを太公権力の「前段階」として, ここから, 太公権形成にいたる過程を動態的に捉えようとする考えが提起されてきている。同時に911年の「騒擾」については, これを太公権形成問題と無関係とする所説も提出されている。本稿ではシュヴァーベン太公権形成前史としての「宮廷伯権力」をめぐる所説を紹介し, この所説を時代を読み解く一つの有効な捉え方と位置づけ, また911年の「騒擾」については従来どおり太公権形成史の中で読み解かれるべきと結論づけた。合わせてかの「騒擾」と同時進行していたと思われるコンラート1世国王選挙をどう捉えるべきかについて, 言及した。 

備考(Remarks)  

2008  『第2アルヌルフ伝』小論  単著   
『アカデミア』人文・社会科学編  , 南山大学  , 87号  , 101−127  , 2008/06   

概要(Abstract) 『第2アルヌルフ伝』は1725年に刊行された“Acta Sanctorum Julii 4”に収録された、メッツ司教アルヌルフ(c.640没)の伝記である。当人からはかなり後年に書かれたもので、わずかに19世紀末にボネルによって研究対象とされたにすぎない。そのボネルは本作品をまったく価値のない伝記と評価し、成立時期については10世紀半ばとした。以後ほとんど研究対象とはされず、ボネルに従って書誌学的に10世紀の作品として言及されるに留まってきた。本論文は、本作品中の文言を10世紀のものと見てよいかどうかの問題から、改めてその成立時期について考察したものである。ボネルの推察の根拠をも含めた考察から、作品の成立は9世紀末以降、ボネルの注目点を活かすなら10世紀末以降であるとしかいえず、10世紀のものと断定することはできないと結論づけた。あわせて、テキスト上の問題点をあげ、今後の文書学的考察のさいの課題を指摘した。 

備考(Remarks)  

2006  ピピンはいつから短躯王と呼ばれたか:ヨーロッパ中世における「渾名文化」の始まり−プリュム修道院所領明細帳カエサリウス写本・挿画の構想年代について−  単著   
『アカデミア』人文・社会科学編  , 南山大学  , 84号  , 197-262  , 2007/01   

概要(Abstract) プリュム修道院所領明細帳カエサリウス写本の冒頭の挿画には、同修道院創健者とされるピピン短躯王とカール大帝父子が描かれる。従来この挿画は写本作成者カエサリウスの構想になるものとされ、彼の心性を推し量る一材料ともされてきた。本稿では、同修道院にこの写本以前に同様な構図・詞書の図像が存在することなどから、挿画がカエサリウスの構想になるものか問題提起し、新たな視点から挿画の構想年代の確定に迫った。挿画においてピピンは背丈を低く描かれるが、それは、この種の図像が読み解かれることを前提としていることから、短躯という渾名の形成・浸透を前提としていると判断される。ヨーロッパ中世においては多くの君侯が渾名で呼ばれ、「渾名文化」が繁栄したが、本稿ではこれが中世全般にわたってみられた現象ではなく、9世紀末−10世紀初に始まったものであることを示した。ピピンの短躯という渾名も、彼の死から約300年後の11世紀半ばに初出し、浸透したものであることを確認した。これらを踏まえ、カエサリウス写本・挿画の構想年代として、可能性のある3つの年代のうち、13世紀初、まさにカエサリウス写本が作成されたおりがそれであると結論づけた。 

備考(Remarks)  

2005  ボゾー・フォン・ヴィエンヌの国王選挙(879年)小論―初の非カロリンガー王権の正当化をめぐって―  単著   
―南山ゲルマニスティク― 光環(CORONA)  , 南山大学大学院文学研究科独文学専攻課程  , 17号  , 39-55  , 2006/03   

概要(Abstract) 879年ボゾー・フォン・ヴィエンヌの国王選挙は、カロリンガー・フランク王国において初めて非カロリンガーを国王に選出した選挙として注目されるが、本稿は、この王権の正統性が何に立脚していたかを考察した。選挙人=聖職者たちの用意した王権正当化の要点は、神意に基づく教会−聖職者主導の選挙と、ボゾー自身の適格性にあったが、その適格性も神意・神恩に裏打ちされたものと位置づけられ、原理的には、教会−聖職者による適任者の「自由な選挙」が前面に打出されていた。この国王選挙に窺われる理念は、教会−聖職者主導の自由選挙を主張する点で、西フランクで育まれてきたキリスト教的、神政的官職観・国家観の発展における一つの到達点を示すものであり、また適格者の自由な選出の考えを提起する点で、国王選挙の歴史の上で一つの画期をなす。ただし、879年のこの事例の場合、こうした理念は、選挙者の行動それ自体の正当化に終わり、全き意味における適格者の自由な選出というところにまで昇華しえなかったところに、その限界があった。 

備考(Remarks)  

2005  年代記史料はうそをつかないか―『モンツァ本アレマニエン年代記』のテキスト構造―  単著   
『アカデミア』文学・語学編  , 南山大学  , 79号  , 95-156  , 2006/01   

概要(Abstract) 中世における歴史叙述の一形式としての「アナーレス=年代記」は、年代と出来事のみを記す作品とされるが、実際には一つの作品に複層的な作品形式が見られることが少なくない。しかし一般的には、年代と出来事のみを記す作品で、事実がありのままに記されている、と見られがちであり、結果、しばしば史料批判の手続きを経ずに、引き合いに出される。本稿ではそうした作品と思われる『モンツァ本アレマニエン年代記』をとりあげた。同年代記は10世紀初の東フランク−ドイツ情勢を告げる数少ない同時代史料であり、よく、その記載の一部が提示され、そのまま事実として取り扱われる。本稿ではここに書かれている内容、書き方などから、テキスト上、特徴的な点をさぐり、同年代記は「年代記」と冠されるものの、単なる記載を越えた記述が散見され、ことに、比較的長文からなる911・912年項についてはそれぞれ、年代枠に捉われずに一つの継起的な出来事を主題として、あるいは非常に主観的に「叙述」し、あるいは事実関係を比較的粗く「要約」したものであることを指摘し、全体として作者によって事実関係が「加工」された作品であると結論づけた。 

備考(Remarks)  

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その他研究業績
年度
Year
題名等
Titles
カテゴリ
Category
細目
Authorship
掲載雑誌名等 Publishing Magazine,発行所 Publisher,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.,発行年月(日) Date
2007  P.ディンツェルバッハー・J.L.ホッグ編『修道院文化史事典』  翻訳  共訳 
八坂書房  , 543頁  , 2008/01   

概要(Abstract) ヨーロッパ3大騎士修道会(宗教騎士団)とされるテンプル騎士修道会、ヨハネ騎士修道会、ドイツ騎士修道会それぞれの、歴史的展開、会則・組織・服装、霊性、文学、建築、造形芸術、音楽、神学、歴史叙述・法学・民族学、自然科学、教育制度を網羅的に概説した著作を翻訳した。 

備考(Remarks) 担当部分 ユルゲン・ザルノフスキー「騎士修道会」253−281頁 

2006  浜名優美編『学科長が語る南山の現在』  公演集  共著 
南山大学  , 331頁  , 2007/03   

概要(Abstract) 南山大学連続講演会「学科長が語る南山の現在」においておこなった講演「名前から見る中世ヨーロッパの歴史」に加筆・修正をくわえて執筆した。中世ヨーロッパにおける名前の構造と命名方法、姓の誕生、誕生期の姓の名残など、名前に関わる諸問題を紹介・解説した。 

備考(Remarks) 共著者:細谷博、稲垣直樹、宮川佳三、鳥巣義文他
執筆部分「名前から見る中世ヨーロッパの歴史」27−53頁 

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研究発表
年度
Year
題目又はセッション名
Title or Name of Session
細目
Authorship
発表年月(日)
Date
発表学会等名称 Name, etc. of the conference at which the presentation is to be given, 主催者名称 Organizer, 掲載雑誌名等 Publishing Magazine,発行所 Publisher,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.
2011  アイルランド人伝道司教イスラエル―10世紀ロートリンゲン修道院改革とアイルランド人伝道  単独  2011/12/10 
中世史読書会   

概要(Abstract) アイルランド人聖職者によるヨーロッパ大陸における伝道活動は、メロヴィング期・カロリング期に隆盛を見、その歴史的位置づけや重要性について研究も盛んである。これに対しポスト・カロリング期については従来あまり重視されず、考察対象とされることも多くないが、しかし実際には当該期においても彼らの活動は途切れることなく続けられてきた。本報告では10世紀前期ドイツ・ロートリンゲンの地でのアイルランド人伝道司教イスラエルなる人物の足跡を追い、同時期にロートリンゲンで展開された修道院改革との関連についてふれ、アイルランド人伝道がこの時期にもなおヨーロッパの修道制の展開において少なからぬ役割を担っていたことを指摘した。 

備考(Remarks)  

2010  太公権形成期シュヴァーベンをめぐる一考察--コンラート1世国王選挙再考  単独  2010/4 
中世史読書会   

概要(Abstract) 911年・コンラート1世の国王選挙に関しては、その選挙母体をめぐって主要2史料の証言の齟齬から、従来よりどう解釈するべきか論議されてきた。本報告では、同時期のシュヴァーベン情勢の分析からこの論議への寄与を試みた。当該時期、シュヴァーベンにおいては太公権の獲得・確立をめざす諸勢力が角逐・競合している時期であり、この過程における権力構造を「宮廷伯権力」を手掛りに明らかにすることで、同時進行していた国王選挙の問題への一つの見通しを述べた。 

備考(Remarks) 2010/4/10 

2007  『第2アルヌルフ伝』について  未設定  2007/12 
中世史読書会   

概要(Abstract) 『第2アルヌルフ伝』は1725年に刊行された“Acta Sanctorum Julii 4”に収録された、メッツ司教アルヌルフ(c.640没)の伝記である。当人からはかなり後年に書かれたもので、わずかに19世紀末にボネルによって研究対象とされたにすぎない。そのボネルは本作品をまったく価値のない伝記と評価し、成立時期については10世紀半ばとした。以後ほとんど研究対象とはされず、ボネルに従って書誌学的に10世紀の作品として言及されるに留まってきた。本報告は、本作品中の文言を10世紀のものと見てよいかどうかの問題から、改めてその成立時期について考察したものである。ボネルの推察の根拠をも含めた考察から、作品の成立は9世紀末以降、ボネルの注目点を活かすなら10世紀末以降であるとしかいえず、10世紀のものと断定することはできないと結論づけた。あわせて、テキスト上の問題点をあげ、今後の文書学的考察のさいの課題を指摘した。 

備考(Remarks) 2007/12/08 

2006  プリュム修道院所領明細帳カエサリウス写本・挿画の構想年代について  単独  2006/12 
中世史読書会   

概要(Abstract)  表題の挿画は、同院創建者国王ピピンとカール大帝父子を描く。従来この挿画は写本作成者カエサリウスの構想になるとされ、彼の心性を推し量る一材料ともされてきた。本報告では挿画の構想年代について、問題点を挙げ、改めてその確定の必要性を提起した。挿画はピピンの背丈を低く描き、短躯王なる彼の渾名の生起・浸透を前提としていると思われるが、それは彼の同時代の8世紀ではなく、11世紀半ば以降のことであることを史料的に確認した。これを踏まえ、挿画は他ならぬカエサリウス写本作成時に構想されたと結論づけた。 

備考(Remarks) 2006/12/9 

2005  年代記史料はうそをつかないか--『モンツァ本アレマニエン年代記』のテキスト構造--  未設定  2005/07 
名古屋中世史研究会   

概要(Abstract) 年代記史料として高い信憑性をもつとされる『モンツァ本アレマニエン年代記』について、初めにその書誌学的な確認を行って考察すべき対象の絞込みを行い、そのテキスト構造からの特徴を考察した。結論として、同年代記911・912年項は、一つの継起的な出来事を『叙述』ないし『要約』するものであり、継起的な出来事の故に年代枠にとらわれずに記述されていること、したがって、『年代記』の『記載』だから事実を語っていると見るのは短絡的であり、「加工」が施された記述であることを指摘した。 

備考(Remarks) 2005.7.23 名古屋大学 

2003  口承世界における歴史叙述  単独  2004/01 
中世史読書会   

概要(Abstract) 10世紀の歴史叙述は口承世界の中にあり、記憶が継受され、書き留められる過程で、史実とは大幅に乖離・変容したものを提供しているとするJ.フリートの所説を紹介し、例として挙げられるハインリヒ1世国王選挙について検討し、通説以上に合理性を有するものではないことを指摘した。 

備考(Remarks) 2004/01/10 

2002  879年 ボゾー・フォン・ヴィエンヌの国王選挙−「教皇の皇帝候補」をめぐって−  単独  2002/06 
中世史読書会   

概要(Abstract) ボゾー・フォン・ヴィエンヌの国王選挙に関わる諸問題のうち、教皇の皇帝候補をどう理解するかなどの問題について検討・考察した。 

備考(Remarks) 2002/06/29 

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研究活動/社会的活動
年度
Year
活動名称
Name of activities
活動期間
Period of Activities
2009  講習  2009/7/4 

活動内容等(Content of Activities) 教員免許状更新講習 中学校社会科・高等学校地理歴史科(世界史)教諭向け 
講習題目「人名が語るヨーロッパ中世史」南山大学 

2006  講演  5/27 

活動内容等(Content of Activities) 南山大学 連続講演会 学科長が語る南山の現在
講演題目「名前から見る中世ヨーロッパの歴史」 聴講者 249名 

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著書・学術論文に関する統計情報
年度
Academic Year
学術研究著書の件数
No. of Academic Books
学会誌・国際会議議事録等に掲載された学術論文の件数
No. of Academic Articles in Journals/Int'l Conference Papers
学内的な紀要等に掲載された学術論文の件数
No. of Academic Articles Pub'd in University Bulletins
学会受賞等の受賞件数
No. of Academic Awards Received
国際学会でのゲストスピーカーの件数
No. of Times as Guest Speaker at Int'l Academic Conferences
国際学会での研究発表の件数
No. of Presentations of Papers at Int'l Academic Conferences
国内学会でのゲストスピーカーの件数
No. of Times as Guest Speaker at National Academic Conf.
国内学会での研究発表の件数
No. of Papers Presented at National Academic Conf.
2016 
2015 
2014 
2013 
2012 
2011 
2010 
2009 
2008 
2007 
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2017/04/08 更新