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学術論文
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Collaboration
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NeoCILIUS
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掲載誌名 Journal name,出版機関名 Publishing organization,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.,発行年月(日) Date
2019  Educazione e missione: Cristo tra i giapponesi di oggi. Dall'epoca Meiji all'epoca Heisei.  単著   
Studium ricerca  , Edizioni Studium  , 2019/02  , pp.330-352  , 2019/03-04   

概要(Abstract) Public schools in Japan have changed the method of transmitting knowledge and information to memorization. The purpose is to make pupils capable of overcoming the university entrance examinations. Admission to an university will subsequently guarantee a bright future in relation to employment.
After 12 years of formal education without literary, philosophical, nor religious basic knowledge, however, young people in the university find themselves in the desert of thought. Consequently, there is a general inaction and university is becoming a kind of "car park". In addition, the number of suicides among young people aged between 15-24 years old is indeed alarming.
It is the highest among the so called developed countries. Given this situation, the challenge facing the Christians,especially the educators, is enormous. What can they do to help young Japanese today? What contribution can they offer to the Japanese society whose young people are, according to psychologist Taizo Kato, "sad and lonely"? 

備考(Remarks) This article is the contribution presented at the XIII International Symposium of University Professors, which was held on 8 September 2016 at Lumsa University in Rome, during the History of Christianity session "Mercy transforms the world: Christianity and society. Ideas, actions and changes ". 

2015  オペラ・ディ・ナザレ -十字架につけられたアガペ-  単著   
南山神学  , 在名古屋教皇庁認可神学部、南山大学人文学部キリスト教学科   , 第39号  , pp. 19-46  , 2016/03   

概要(Abstract) 1999年、信徒会オペラ・ディ・ナザレはヨハネ・パウロ2世によって認可された。なぜカトリック教会がオペラ・ディ・ナザレを信頼したのか。その理由を、中心である会則ともっとも本質的なテキスト(未発表ドキュメントを含む)を分析し、オペラ・ディ・ナザレの誕生と目的を紹介しつつ考察した。 

備考(Remarks)  

2015  キリストと兄弟を愛することを教えてくれた友人-ジョヴァンニ・リヴァ(1942—2012年)  単著   
宣教学ジャーナル  , 日本宣教学会  , 第9号  , pp. 45-67  , 2015/07   

概要(Abstract) ポスト第2バチカン公会議時代のイタリアで活躍した革命的なキリスト者、ジョヴァンニ・リヴァ(1942年‐2012年)についての論文である。内容は2014年7月5日に日本宣教学会で発表した。 

備考(Remarks)  

2015  イタリア文化の原点―古代ギリシャの財産:理性と美―  単著   
伝統の継承と現代テクノロジーの展開 中京大学社会科学研究所叢書36  , 中京大学社会科学研究  , 36巻  , pp. 93-110  , 2015/03/19   

概要(Abstract) イタリアはギリシャ文化に基づいており、その輝きは市民レベルの美術や政治に関する議論や、哲学・歴史に重点を置く教育制度の中にいまだに見える。しかし、ギリシャ文明から受け継いだ財産(哲学、美術、言語学、数学、科学など)はイタリアだけにとどまらず、世界的なものとなっている。
「イタリア文化の源流」であるギリシャ文明についての話を通して、「伝統」がアジアや日本も含む世界的な相互作用の中で形成されることを伝えたかった。
今日、私たちは世界レベルの視点での考察が必要な時代に入っている。
「伝統」は世界スケールのなかで活かされ再生しつつあるというメッセージを伝えた。
 

備考(Remarks)  

2013  プリモ・マッゾラーリ神父(1890‐1959)と平和 ー平和は十字架に架けられているー  単著   
南山神学  , 在名古屋教皇庁認可神学部、南山大学人文学部キリスト教学科  , 37  , pp.117-148  , 2014/03   

概要(Abstract) イタリア人司祭プリモ・マッツォラーリ(1890年‐1959年)の著書Tu non uccidereの初版から60年経ったが、この小さな本は、戦争の正当化論(その裏に「軍人、政治家、経済人」の利己主義が隠されている)に異議を唱える人々に、今日でもまだ刺激を与えるだろう。
平和は単なるユートピアか、建設すべき理想であるか。その理想を追求するなら、弱肉強食の定義や暴力ではなく、相手に耳を傾け人々を尊重し、協力し合う世界を建設できるのではないだろうか。本論文はTu non uccidereを分析しながら、このような課題を論じる。
 

備考(Remarks)  

2012  シャルル・ド・フコー(1858-1916)にみる自己聖化としての宣教  未設定   
宣教学ジャーナル  , 日本宣教学会  , vol.6  , 27-51  , 2012/06   

概要(Abstract) 28歳で回心し自己の召命を探し苦しんだシャルル・ド・フコーは、トラピスト修道院を経て人生の最後の15年間をアルジェリアとサハラ砂漠で過ごした。彼が最も献身したのはトゥアレグ族である。本論文は、トゥアレグの人々に言葉ではなく人生を通してイエス・キリストを証ししたド・フコーの独特で魅力的な宣教活動を探った。 

備考(Remarks)  

2010  シャルル・ド・フコーによる「普遍的な兄弟愛」  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 34  , 193-228  , 2011/03   

概要(Abstract) 1946年にマドレーヌ・デルブレルは『なぜシャルル・ド・フコー神父を愛しているか』という論文を書いた。彼女は、一瞬一瞬のすべてにおいて全人類に忠実な愛を差し上げた彼を愛すると言う。デルブレルの手がかりに従い、イエスが望まれた普遍的な兄弟愛を彼がどのように実現したのか、分析した。特に、ド・フコーが1901年のアルジェリア移動からトゥアレグ族と共に生活した期間に焦点をあてた。同時に彼の人生の最後をより深く理解するために生い立ちを簡潔に分析した。 

備考(Remarks)  

2008  キリスト者としての地上のミッション:Servus Dei アルチーデ・デ・ガスペリ(1881-1954年)の生涯  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 第32号  , pp.149-182  , 2009/03   

概要(Abstract) 本稿は第二次大戦後イタリアを建設したアルチーデ・デ・ガスペリについての研究である。特に彼の人生の二つの時期を分析した。一つは青春期である。まだ10代の彼が、どのようにキリスト者として地上のミッションを意識し始めたか。そしてどのようにその意識を実践に変えたかという課題である。もう一つはファシズムに抵抗した時期である。その時代に、野心を捨て御摂理に身を委ねたデ・ガスペリは、未来の偉大なるリーダーとしての基礎を建設したと言えよう。その透明感のある信念を探った。 

備考(Remarks) 本『20世紀の聖者』(2010年、ドン・ボスコ社)の一部になった。 

2007  ジョルジョ・ラ・ピーラ(Giorgio La Pira)のイザヤの道(平和のための仕事)  単著   
南山神学雑誌  , 神言神学院  , 31  , 65-97  , 2008/03   

概要(Abstract)  アフガニスタン、イラク、チェチェン、ダルフールなどの紛争や戦争が悪化している世界でジョルジョ・ラ・ピーラのような活動家が必要に感じられる。彼こそ平和人であるからだ。彼は、彼自身を憎み否定した人々をも含めて、誰一人憎まなかったのみならず、人々の戦いを止め、問題解決としての暴力を拒み、創造された人間として個人個人の尊厳を守り、敗者と勝者のない世界を作るために、死ぬまで働き続けた人であったからである。
 ある人にとって彼はただのお人よしか理想主義者かに見えた。しかしラ・ピーラは活発的にアルジェリア和平に協力し、ベトナム戦争を終結させたパリ条約が1965年にラ・ピーラとホー・チ・ミンらが考えた概念に基づいている、ということを覚えておくべきだと思う。本論文はラ・ピーラの平和活動を世に知らしめたいということだけではなく、彼が言葉に与えた人間学・神学的意味をも分析した。言い換えるならば、ラ・ピーラの無償で勇敢な活動に導いた理由について考えた。 

備考(Remarks) 本『20世紀の聖者』(2010年、ドン・ボスコ社)の一部になった。 

2006  ジョルジョ・ラ・ピーラによる人間学  単著   
南山神学雑誌  , 神言神学院  , 30  , 123−149  , 2007/03   

概要(Abstract) 日本の読者に初めてジョルジョ・ラ・ピーラ(1904‐1977)を紹介した本論文は彼の「人間観」(人間とその役目の意義)を分析した。人類に希望を与えられることができるヒューマニズムとしてキリスト教を実践したラ・ピーラを紹介することにより、日本の若者が人生においてより肯定的なビジョンの仮説を確認できることを願って書いたものである。 

備考(Remarks) 本『20世紀の聖者』(2010年、ドン・ボスコ社)の一部になった。 

2006  La misión según Madeleine Delbrêl  単著   
La Cuestión Social  , Asociación Mexicana de Promoción y Cultura Social  , 4  , 381-395  , 2006/12   

概要(Abstract) 日本では未周知のフランスのキリスト教徒の社会活動家、思想家、そして作家でもあったマドレーヌ・デルブレ(1904-1964)はパリ郊外の共産主義の街イヴリーで30年間働き、無神論に溢れる環境でキリスト者がどのような存在であるべきかを具体的に示した。それ故に彼女はカトリック教会宣教史における「新しいタイプの宣教師」であったと言える。その「新しさ」を分析しながら、彼女の根本的な活動と思想を紹介した。 

備考(Remarks) スペイン語、本『20世紀の聖者』(2010年、ドン・ボスコ社)の一部になった。 

2002  未知の神から友の神へ-日本の大学におけるキリスト教の紹介-  単著   
カトリック教育研究会  , 日本カトリック教育学会  , 19  , 63-71  , 2002/08   

概要(Abstract) G.リヴァの『イエスを知るために』と『小さなキリスト教人間学』を紹介することにより、宗教的バックグラウンドのない大学生に、神の存在の仮説とキリスト教をどのようにアプローチするかを分析した。 

備考(Remarks)  

2001  I laici sono la chiesa−Riflessioni sulla vocazione e missione dei laici−(『教会における信徒の招命と使命』2000年11月にローマで行われたカトリック信徒の世界会議に基づいて))  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 25  , 153-179  , 2001/12   

概要(Abstract) 2000年ローマで行われたカトリック信徒世界会議は、第2バチカン公会議とヨハネ・パウロIIの教え、特に信徒的勧告 "CHRISTIFIDELES LAICI"に基づきながら、いくつかの基礎的な点を明らかにした。会議に参加した筆者は、第2バチカン公会議以前から今回の世界会議までの信徒神学をまとめながら、会議会期中に明らかになった今後の見通しを紹介した。 

備考(Remarks) イタリア語。
本論文は、公式報告書以前にまとめられた資料である。 

1999  航海時代におけるアジアの宣教活動の開始  単著   
キリシタン論文集,歴史・文化・言葉  , 名古屋キリシタン文化研究会  , 147-167  , 1999/09   

概要(Abstract) カトリック教会における16-17世紀の宣教活動は、19世紀のある歴史学のアプローチによって、ポルトガルとスペインの植民地政策にすぎないものに見えた。
本論文は既に1997年に『南山神学』に出版された "Gli Europei incontrano l'Asia orientale: i colonizzatori, i mercanti, i missionari"(ヨーロッパ人が東アジアと出会う・植民地建設者、商人と宣教師)のテーマをより深く分析しながら、その時代の宣教活動を客観的に紹介する試みである。

 

備考(Remarks)  

1998  古代ギリシャの財産:理性と美(イタリア文化の原点:ギリシャ、ローマ、キリスト教)  単著   
名古屋聖霊短期大学紀要  , 名古屋聖霊短期大学  , 19  , 105-118  , 1999/03   

概要(Abstract)  

備考(Remarks)  

1998  国際文化序説のキリスト教的」なアプローチ 『声・人間とその魂』  単著   
カトリック教育研究会  , 日本カトリック教育学会  , 15  , 48-56  , 1998/08   

概要(Abstract) 本論文は、自文化に対してさえも興味を失い始めた若い世代に、どうすれば異文化への興味を育てることができるかというテーマを取り上げた。ここではそれぞれの文化(この場合にはヨーロッパ文化)の中に潜む共通の人間性を見出すという提案である。そしてその人間性の神秘的な原因と理由を問う。 

備考(Remarks)  

1997  文学とキリスト教ーアントニオ・デ・ペテロの『詐欺』ー  単著   
名古屋聖霊短期大学紀要  , 名古屋聖霊短期大学  , 18  , 117-125  , 1998/03   

概要(Abstract) 『名古屋聖霊短期大学紀要』(1995年)にイタリア人作家アントニオ・デ・ペトロに関する論文を執筆した。今回は『詐欺』を取り上げ、デ・ペテロの根本的なテーマである「人間と神のドラマチックな関係」を研究した。 

備考(Remarks)  

1996  短大における比較宗教論の論理と実践  単著   
名古屋聖霊短期大学紀要  , 名古屋聖霊短期大学  , 17  , 47-60  , 1997/03   

概要(Abstract) 宗教は何ものか、何のために存在するか、そして宗教と宗教心違いは何か。本論文はこれらの根本的な課題を取り上げた。同時に、日本で宗教科目を教える時、どのような問題に直面するか、どのような教育的アプローチをすればよいのか、というような問題にもふれた。 

備考(Remarks)  

1996  Gli Europei incontrano l'Asia orientale: i colonizzatori,i mercanti,i missionari (ヨーロッパ人と東洋人との出会い:植民地建設者、商人、宣教師との出会い)  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 20  , 43-68  , 1997/02   

概要(Abstract) In this paper we try first to show the reasons why Europeans travelled to the American and Asiatic coasts during an era when the open-ocean voyages were still a dangerous adventure. We also try to analyse the way the missionaries acted in those countries. The abuses the Spaniards and Portuguese committed against the people they met in extraeuropean countries are a sad page in the history of mankind. The Church has also been accused of having cooperated in the work of destruction of entire popolations and their cultures. But was this the missionaries' purpose when they cross the oceans? We present the mistakes of this work but also its ideal purpose. 

備考(Remarks) イタリア語 

1995  『嵐が丘』と『ジェイン・エア』−二つの愛−  単著   
名古屋聖霊短期大学紀要  , 名古屋聖霊短期大学  , 16  , 59−72  , 1996/03   

概要(Abstract) シャーロットとエミリー・ブロンテ姉妹の作品は19世紀から現在に至るまで、注目を集め続けている。二人は「愛」に対して正反対の考えを表現したが、二人にとって愛は人生の原動力そのものであった。本論文はこのような共通点と相違点を紹介した。 

備考(Remarks) 本『声ー人間とその魂』(1996年、ドン・ボスコ社)の一部になった。 

1994  アントニオ・デ・ペトロ『イル・クエスト−レ』神秘への直感と理性の探求  単著   
名古屋聖霊短期紀要第  , 名古屋聖霊短期大学  , 15  , 53‐60  , 1995/03   

概要(Abstract) アントニオ・デ・ペテロは日本ではほとんど知られていない作家である。しかし本国イタリアにおいても無名に近い。それは、彼の作品に商業メリットがないからだろう。しかし近い将来、デ・ペテロはキリスト教文学の天才作家として世に認められることは間違いない事実である。世間のアンバランス、論理の破壊、資本主義下の不正、物質主義、消費主義、政治の堕落の中で精一杯生きる主人公はグレアム・グリーンが描く主人公に通ずるものがある。自分の限界を知ってもなお、謙遜に神の慈しみに身をゆだねるからである。
本論文は、デ・ペテロの第2の作品『イル・クエストーレ』の主人公の人生観を考察した。目に映る現実の後ろにひそむ深い真実を主人公とともに探し、この生き方を若い世代にアピールすることも目的の一つである。


 

備考(Remarks) 本『声ー人間とその魂』(1996年、ドン・ボスコ社)の一部となった。 

1992  (Pretesa) cristiana e culture−Il lavoro missionario della Chiesa cattolica in Giappone− (他文化に対してのキリスト教の法外な要求)  単著   
名古屋聖霊短期紀要  , 名古屋聖霊短期大学  , 13  , 85-97  , 1993/03   

概要(Abstract) 宣教が自由な時代になっても、日本におけるキリスト教徒数はわずかである。キリスト教は日本でどのように認識されているのだろうか。キリスト教は未だに明治時代と同じようにヨーロッパ文明の一部というイメージのままであり、普遍的で生きる希望を与える思想として十分に理解されていないと思われる。また、実証主義に基づく現代社会の価値観とキリスト教的人生観が対極にあることも一つの原因と考えられる。本論文は宣教活動に関するこれらの課題を分析した。 

備考(Remarks) イタリア語 

1990  ジャコモ・レオパルディとジュセッぺ・ウンガリッティー「永遠の渇望」  単著   
名古屋聖霊短期紀要  , 名古屋聖霊短期大学  , 11  , 101-116  , 1991/03   

概要(Abstract) Giacomo LeopardiとGiuseppe Ungarettiはイタリア文学における最も偉大な詩人である。二人の詩人は、作品を通して自分の存在の原点と意義を探求した。本論文では、彼らの幾つかの詩を取り上げ、時代と人生観の異なる点を比較しながら、共通する「崇高なる感性」に焦点を当て、人間存在の問いかけの継続性を永遠の渇望として論考した。異文化との出会いは、人間の共通の精神から始まるという仮説を紹介した。

 

備考(Remarks)  

2018  Christianity and nationalism in Japan. From the End of the Meiji Era to the Fifteen Years War  単著   
Urbaniana University Journal  , Urbaniana University Press  , LXXI  , pp.143-183  , 2018/03   

概要(Abstract) Between the end of the nineteenth century and the first half of the twentieth century, after the persecutions of the period known as kirishitan jidai, the Church had to go through another period of great suffering: that of the imposition of state Shinto, of wars with China, Russia and United States, up to the two atomic bombs on Hiroshima and Nagasaki. It was only after the Second World War that the Church finally could be free to witness her preference to Christ, rather than to the Japanese state. Why did the Meiji reformers choose, in the process of modernizing Japan, the way of the emperor's cult to unify the people? How did Christians face this religious-political system imposed by the Meiji era on?
I wanted to retrace some stages of this history of conflict, heroism and suffering of the Christian community which also ended up compromising with an extreme nationalism in one of the most tormented times in Japanese History.
 

備考(Remarks) イタリア語 

2017  Christianity between the end of the Tokugawa era and the beginning of the Meiji imperial Restoration: the last persecution.  単著   
Urbaniana University Journal  , Urbaniana University Press  , LXX/2 2017  , pp. 151-186  , 2017/08   

概要(Abstract) The article is an attempt to relate and discuss the difficulties and struggles of those whom Bernard Petitjean called "dear little flock", i.e., the Japanese Christians. What were the reasons why the change of government from the Shogunate to Meiji Reform did not immediately lead to end the persecution of Christians? Why were 3,414 Christians, including women and children, deported from their village of Urakami? In order to facilitate a better understanding of these complex issues, the author also presents the life and courageous testimonies of Takagi Senuemon and his companions.  

備考(Remarks) イタリア語 

2016  Mission in Japan. The Beginnings: power and glory  単著   
Urbaniana University Journal  , Urbaniana University Press  , LXIX/3 2016  , pp. 101-136  , 2016/03   

概要(Abstract) Treasuring her twenty eight years of life in Japan, the author's aim is to outline the reasons why the early missions between XVI and XVII centuries had been so successful and why the Japanese government had relentlessly tried to eradicate Christianity from the Country. Is it likely to compare Japanese culture to a 'swamp', thus preventing Christianity to take roots on this soil? Was it an issue of religious differences or of other kind?


 

備考(Remarks) イタリア語 

2004  Christianity and the Catholic Church in Japanese High School Textbooks (日本の高等学校の教科書におけるキリスト教とカトリック教会の紹介)  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 28  , 55-106  , 2005/02   

概要(Abstract) 第2次世界大戦後、宗教科目は学校教育のカリキュラムから外され、また教科書からも特定宗教の紹介は削除された。しかし、歴史上重要な要素としての宗教は紹介され続けた。本研究は、教科書に関するものである。日本の高等学校が使用する世界史と倫理の教科書がキリスト教とカトリック教会をどのように紹介しているかを分析した。このテーマの先行研究は、1970年代、上智大学の3人の学者によって行われ、その後30年を経た現在、彼らの研究結果がどのように変化したかを考察し、キリスト教に対する新たな歴史的理論が生じたかどうかを分析した。そして、キリスト教の紹介方法に関する問題点を取り上げ、宗教をより正しく教えるための提案を試みた。 

備考(Remarks) 英語 

2003  Education and mission in Japan in the Modern Age (近代日本における宣教と教育)  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 27  , 113-142  , 2004/02   

概要(Abstract) 日本においてキリシタン弾圧は公に1873年に終わったにもかかわらず、キリスト教は1945年まで妨げられたと言えよう。
本論文の目的は、明治、大正、昭和初期の、特に教育の分野における反キリスト教的な精神を調べることである。
このような無理解に関して未だにディベートが続いているが、西洋世界における19世紀のキリスト教の危機、そして近代化に無力と判断されたキリスト教に原因があるのではないかと考える。 

備考(Remarks) 英語 

1985  Marcello Mastrilli,una vita per le missioni (マルチェッロ・マストリッリ、宣教のための人生)  単著   
Archivum Historicum Societatis Iesu  , Institutum Historicum Societatis Iesu  , 54  , 333-345  , 1985/09   

概要(Abstract) マルチェッロ・マストリッリはイタリア人のイエズス会宣教師であり、1637年に長崎で殉教した。日本に愛を奉げた短い生涯であった。本論文は、マストリッリが幼い頃から34歳で殉教するまでに書いた未公表の手紙のうち、東洋の宣教にかけた彼の情熱を紹介した。
 

備考(Remarks) イタリア語、学位論文要約。
 

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