研究者詳細

研究発表
分割表示   全件表示 >>

25 件中 1 - 10 件目

年度
Year
題目又はセッション名
Title or Name of Session
細目
Authorship
発表年月(日)
Date
発表学会等名称 Name, etc. of the conference at which the presentation is to be given, 主催者名称 Organizer, 掲載雑誌名等 Publishing Magazine,発行所 Publisher,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.
2013  諸宗教対話と宗教的二重所属  単独  2013/09/08 
第72回学術大会  , 日本宗教学会  , 宗教研究別冊  , 日本宗教学会  , 87巻  , 481-482   

概要(Abstract) 一九六二年から六五年にかけて開催された第二バチカン公会議においてローマ・カトリック教会は、他宗教に「真理の光」を認めることを宣言した。第二バチカン公会議の後、日本でもカトリックと他宗教の対話が盛んに行われるようになった。また、一九七九年からは仏教とカトリックの東西霊性交流がはじまり、現在も続けられている。しかしながら、実際には、第二バチカン公会議に前後して、他宗教に学ぶだけでなく、積極的に他宗教の儀礼を取り入れ、また、他宗教の宗教的資格を獲得する動きが出てきていた。具体的には、カトリック司祭の中に禅の修行をするだけでなく、禅の老師の資格を取得した者が出てきたことを指している。その後、プロテスタントの信徒の中にも禅の修行を取り入れる者が、とりわけ欧米において多く見られるようになってきた。第一の先駆者として挙げられるのは、日本に帰化したドイツ人宣教師、フーゴー・ラサール、日本名愛宮真備(一八九八―一九九〇)である。愛宮の最初の動機は日本的霊性の真髄を理解したいということであったが、まもなく、座禅はキリスト教的修徳と神秘への一つの道として非常に役立つことを確信するに至った。愛宮の基本的な態度は著書『神体験への道としての禅瞑想――神秘的祈り』(エンデルレ書店、一九七五、ドイツ語原書一九七二)という表題に表れているように、坐禅が神体験の方途となることであった。その基本となるのは「無念無想」であった。愛宮は、キリスト教神秘思想と禅を比較しているが、その際も極限の無の体験を重視している。日本文化を深く理解するために参禅をはじめ、ついには八十歳の時に坐禅を教える正式の資格を取得したのであった。これは、相手の立場を自分のものとする積極的な霊性交流の立場と言ってよいだろう。その場合、諸宗教対話は、自分の中でキリスト教的なるものと禅的なるものを比較検討するという内面的なものに留まっている。その意味で、彼の著作には坐禅への誘いという側面だけでなく、比較宗教学的な側面が認められる。しかしながら、愛宮が禅を禅宗という宗教として全面的に受け入れたかと言えば、そうとは言えないだろう。なぜなら、坐禅をキリスト教的な神秘体験、神の恩寵の体験のためのいわば手段とみなしているからである。その意味で、彼は、悟りが入口であると考えていた。愛宮にとって、神の恩寵の体験をすることこそが目的であったのである。 

備考(Remarks) http://jpars.org/journal/bulletin/vol_87 

2011  「ユングの『太乙金華宗旨』注解の特質と能動的想像」  単独  2011/12/04 
人体科学会第21回大会  , 人体科学会  , 人体科学会第21回大会プログラム・抄録集  , 人体科学会第21回大会実行委員会  , 24-26   

概要(Abstract)  ユングの「ヨーロッパの読者のための注解」(1929年)は、ヨーロッパ人が東洋を理解するために心理学を援用して書かれている。さらに、その6年後になってはじめて、ユングは能動的想像の概念を明らかにしている。ユングの視点によって言えば、フロイトは個人的無意識を発見したが、ユングは集合的無意識を発見した。二人とも夢を分析するという点では一致している。フロイトは、自由連想という方法を用いて、クライアントの無意識の世界を明らかにした。ユングは当初、フロイトの影響もあり、言語連想法という手法を用いていた。1912年にフロイトと決別してから、ユングは、ヨーロッパの大洪水や凍結といったビジョンを見るようになり、空想を書き留めるようになる。そうした状況の中で、ユングは、『太乙金華宗旨』や『観無量寿経』などの東洋の経典と出会って能動的想像に開眼するのである。代表的な仏教的瞑想法には止と観がある。一方で、止は、禅的瞑想法と言うべきものであり、能動的な思考のあり方を放棄して思いが表れてもそれに執著することなく心を静寂に保つ瞑想法である。他方で、観は、たとえば、阿字観や月輪観に見られるように積極的にイメージの構築を目指すものである。ユングは、『観無量寿経』における日想観などを頭に入れている。ユングは、このような視点から『太乙金華宗旨』を見ている。つまり、ユングの観点からすれば、同経の瞑想は能動的想像なのである。ユングは、道教の練丹に西洋の錬金術と同質のものを見出し、「道」が「分離されているものを統一しようとする方法」であると解している。西洋錬金術における「対立物の一致」という枠組の中で内丹を理解しようとしていることがわかる。また、ユングは、「黄金の華」が人格の全体性を表す元型である自己(Selbst)のマンダラ象徴表現であると考えている。さらに、ヴィルヘルムが魂をアニムス、魄をアニマと訳しているように、ユング心理学の枠内で魂魄を理解しようとしていることがわかる。このように、ユングの『太乙金華宗旨』理解は、西洋の錬金術をベースとし、それをユング心理学の枠組で理解することを前提として、道教の内丹を西洋のさまざまな錬金術的な象徴表現によって敷衍することによって成り立っている。このことには大きな限界とバイアスがあり、むしろ、『太乙金華宗旨』のテキストをそれ自体として深く理解する試みがなされなければならないだろう。 

備考(Remarks)  

2010  湯浅泰雄先生の学問と人体科学  単独  2010/12/11 
人体科学会第20回大会  , 人体科学会   

概要(Abstract)  

備考(Remarks) 特別企画(1)「湯浅泰雄先生の学問と人体科学」における依頼による発表 

2008  C. G. Jung's Traces in Yuasa Yasuo's Philosophy: How did Yuasa adapt Jung's psychology?  単独  2008/11/03 
American Academy of Religion Annual Meeting in Chicago  , American Academy of Religion   

概要(Abstract) 湯浅泰雄は、若い頃にユングの晩年の著作に接し、共時性の概念や超心理学に強い関心を抱いていた。第1に、湯浅は、西洋のメタフュジカに対してメタプシキカという概念を提出した。これは、西洋の底流をなす思想がむしろ心の深層の追求として理解できるためである。そして、湯浅は、ユングを中心とした深層心理学が比較思想の方法論となると考えた。このとき、湯浅は、東洋思想の形而上学に当たるものがむしろメタフュジカではなくメタプシキカと呼ばれるべきであると考えた。こうして、湯浅は、西洋の底流をなす思想だけでなく東洋思想の形而上学をメタプシキカであると考えた。さらに、湯浅は、深層心理学自身がメタプシキカと呼ばれうることを指摘した。第2に、湯浅は、日本思想史に深層心理学の視点を導入して、むしろ情念や無意識を強調する研究を行った。第3に、湯浅は、ユングの目を通して東洋を見ようとした。湯浅は、ユングの研究の重要性が内向の実践としての修行の価値を進んで受け入れることにあると考えた。要するに、ユングの立場は東洋の形而上学と深層心理学の密接な関係を探求する方法を提供しているというのである。第4に、湯浅は、ユングの非因果機連関の原理としての共時性概念を受け入れて、それを跡づける試みを行っている。こうして、湯浅は、生涯、ユングと対話しながら研究を進めていたといえる。 

備考(Remarks) 宗教哲学部会のパネル "The Philosophy of YUASA Yasuo" における発表 

2006  The Life and Work of Yasuo Yuasa  単独  2006/06 
SOAS CSJR Workshop  , University of London   

概要(Abstract) 湯浅は生涯、日本思想史、哲学、倫理学、深層心理学、身体論という学際的な研究を行った。第一に、湯浅の業績は、情念や身体や無意識のレベルの視点を導入した新たな日本思想史研究である。第二に、深層心理学の領域における西洋の精神史と東洋の宗教哲学の研究である。第三に、身体論の新たな学際的研究である。また、人体科学会を創設し、哲学、倫理学、宗教学に留まらず、深層心理学、精神医学、心身医学、生理学など、さまざまな分野からの貢献が可能であるような、画期的な学際的フォーラムの形成を行った。 

備考(Remarks) Rethinking Embodiment: A Japanese Contemporary Perspective 

2006  Imagining the Body in the Contemporary Japanese Context  単独  2006/06 
SOAS CSJR Workshop  , University of London   

概要(Abstract) 1980年代初頭から身体に関する思想的な見直しへの関心が高まっていた。当時の思想状況において丸山圭三郎の言分けと身分けの区別、市川浩の「身体の現象学」、湯浅泰雄の身体論が際立っていた。丸山の言分け身分け論は、基本的には言語哲学に基づく認識論であり、厳密な意味での身体論とは言えない。市川浩は、身の概念の多様な展開を明らかにしながらやはり〈身分け〉の概念を用いて、それが身の分節化だけでなく世界の分節化と共起的な仮定であることを示している。最後に、湯浅は、東洋の身体論や修行論を取り上げる。 

備考(Remarks) Rethinking Embodiment: A Japanese Contemporary Perspective 

2004  Salvation and Violence  単独  2005/03 
19th Meeting in Tokyo  , International Association for History of Religions  , 304   

概要(Abstract) 多くの宗教は何らかの形で信者の救済を約束する。それだけでなく、ある宗教は信者以外の救済も志向する。例えば、キリスト教の愛(アガペー)や仏教の慈悲は、信者の枠組みを超えた救済の働きを意味する。愛や慈悲は、多くの場合、それらを施された者によって癒しや恵みとして受け入れられる。その意味で、これらは施す者と施される者の両者にとって共約可能性を持っている。しかしながら、施す側にとっては救済行為であったとしても、施される側にとってはそうは受け取られない行為も多くみられる。例えば、仏教の調伏がそれである。 

備考(Remarks) 2005年3月28日に高輪プリンスホテルにおいて国際宗教社会学会のパネルで発表。Book of Abstracts, p.304. 

2002  宗教学は何のために――南山大学と南山宗教文化研究所を事例として  その他  2002/09 
日本宗教学会第61回大会  , 日本宗教学会   

概要(Abstract) 宗教学は何のために大学で教えられるのか。この問いに答えることは容易ではない。おそらく、その教育の背後には、信教の自由の擁護、多様な文化的伝統の尊重、人類の相互理解、あるいは「新しいヒューマニズム」(エリアーデ)などの理念が横たわっているにちがいない。実際にどのような枠組で宗教学が教えられてきたかといえば、伝統的にみて、大学の学部や学科の枠組から言えば、宗教学は、神学部の一専攻として位置づけられてきた経緯がある。現在でも、欧米の私立大学の多くでは同様であることが指摘できる。 

備考(Remarks) 発表要旨:『宗教研究』335号, 2003/03, pp.56-57. 

1999  ユングと自己――自己の四つの位相をめぐって  単独  1999/07 
東西宗教交流学会   

概要(Abstract) 自己の概念は、ユングの分析心理学においてもっとも重要な概念の一つである。その概念の展開には4つの位相が認められる。1)霊媒研究の時期、2)超個人的な無意識への気づきの時期、3)個体化過程の理論的展開の時期、4)共時性の原理に関する仮説を展開する時期の4つがそれらである。 

備考(Remarks) 京都パレスサイドホテルにて 

1998  ユング心理学の展開とトランスパーソナル  その他  1999/03 
日本トランスパーソナル心理学/精神医学会   

概要(Abstract) ユング心理学とトランスパーソナル心理学の間には密接な関連があると一般に指摘されているが、いくつか根本的な相違点も挙げられる。ユングはトランスパーソナル概念を最初に使用した人物であったとしても、トランスパーソナル心理学における変性意識の問題に必ずしも理解があったとはいえない。むしろ、広い意味での自我確立と集合的なものの自覚化と脱同一化に強い関心を持っていたといえよう。 

備考(Remarks) 東京医科大学にて。第1回シンポジウム、招待講演。 

Page: [<<PREV] [1] [2] [3] [NEXT>>]