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学術論文
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年度
Year
論文題目名
Title of the articles
共著区分
Collaboration
   Classification
NeoCILIUS
   請求番号/資料ID
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掲載誌名 Journal name,出版機関名 Publishing organization,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.,発行年月(日) Date
2015  日本佛教与基督教对话的历史和成果——以东西宗教交流学会为中心  単著   
世界宗教文化  , 中国社科院世界宗教研究所  , 2016年第1期  , 8-14  , 2016/2/15   

概要(Abstract) 東西宗教交流学会は、1980年にハワイ大学で開催された「東西宗教の出会い」をテーマとする国際会議を契機に、1982年に京都で設立された。同学会を貫いているのは、仏教とキリスト教を同時に成立させている根拠は何かということを探究する精神である。そのため、滝沢克己のインマヌエルの哲学、八木誠一の神学思想、京都学派の思想が、学会全体を貫く基本前提となっていたと言っても過言ではないだろう。同学会の共通言語は、仏教の教学やキリスト教神学ではなく宗教哲学であった。また、国際的にも開かれた学会としてアメリカの仏教キリスト教学会の国際大会でも部会を開催するなどの功績があった。 

備考(Remarks) 『世界宗教文化』の寄稿依頼を受けて、拙著の書き下ろし論文「日本仏教とキリスト教の対話の歴史と成果――東西宗教交流学会を中心として」を王皓月氏に中国語訳してもらった論文。 

2015  パウリとユングの関係について――往復書簡集の前景と背景  単著   
人体科学  , 人体科学会  , 第24巻第1号  , pp. 34-49  , 2015/05   

概要(Abstract) 本論では、パウリとユングの関係をめぐり、ユングの症例としてのパウリをユングのさまざまな著作において見るとともに、2 人の往復書簡集について扱った。今日までに明らかになっている情報によれば、ユングの『タヴィストック・レクチャー』(1935)、『心理学と宗教』(1938)、『心理学と錬金術』(1944)に重要な症例を提供したのは、他ならぬパウリであった。また、パウリは1300にも及ぶ夢やヴィジョンを記録してユングに提供したのであった。ユングはこれらに「古代的な素材」や「元型的な材料」を見出し、詳細な分析を行ったのであった。興味深いことに、これらの夢やヴィジョンは、2 人の往復書簡集ではほとんど触れられていない。しかしながら、これらこそが、2 人のやりとりを理解するための前提となっているのである。 

備考(Remarks)  

2014  今日のスピリチュアリティの一側面――カトリックと禅の邂逅をめぐって  単著   
人体科学  , 人体科学会  , 23巻1号  , 41-49  , 2014/05/30   

概要(Abstract) 今日、さまざまなスピリチュアリティがある。一方で、あるものは伝統宗教に基づいているが、他方で、あるものはそのかぎりではない。ここでは前者について扱うことにする。キリスト教と仏教、ユダヤ教と仏教の霊性交流の過程で今日的な習合信仰が芽生えている。ブディスト・クリスチャン(仏教徒=キリスト教徒)やジューブー(ユダヤ教徒=仏教徒)と呼ばれる人々がいる。最初のブディスト=クリスチャンの一人にフーゴー・ラサール(1898-1990)がいる。彼は、カトリックの司祭であり、日本に送られたドイツ人宣教師であった。彼は禅が日本の精神文化の中核であると考えた。彼は禅を研究しただけでなく、禅の師家に師事して参禅したのであった。彼はまた、広島と東京に神冥窟と呼ばれるカトリックの禅堂を設立した。そして、80歳の時に印可状を受けたのであった。ラサールは、坐禅が超対象的瞑想を達成し十字架の聖ヨハネのいう「注賦的観想」を準備する手段であると考えた。要するに、彼の目的は神による超自然的な干渉を準備することであったのである。したがって、ラサールは、神の恩寵をもたらすために禅の無念無想を活用したと言えよう。 

備考(Remarks)  

2011  オウム真理教事件をめぐる省察――元幹部の手記を中心に――  単著   
南山神学  , 在名古屋教皇庁認可神学部南山大学人文学部キリスト教学科  , 35号  , pp. 1-29  , 2012/03/31   

概要(Abstract) 本論では主として,地下鉄サリン事件や坂本堤弁護士一家殺人事件などの主要なオウム事件に関与したオウム真理教の元幹部を扱った。麻原は,自らが行ったことを認めていないとはいうものの,元弟子たちは彼の命令に基づいて恐ろしい犯罪に関わったことを証言している。そのことは,彼らがオウム真理教の宗教的信念や教義に基づいて行ったことを意味する。彼らは,それらの犯罪行為がポアと呼ばれる救済行為であると信じていた。林と早川は,他者をポアするに当たって内的葛藤を経験したが,それが救済以外の何ものでもないと自らを納得させようとした。しかし,それはたやすいことではなかった。広瀬のみが「何事もなかったように」サリンを撒いた。もしそれがオウムの教義で救済であるならば,他者に対する無頓着ではなく憐れみがあったはずであろう。麻原とオウム真理教を否定してから,彼らのいずれもが自らがなしたことを嘆いている。したがって,われわれは,麻原とオウム信者が恐ろしい犯罪について不当に告発されているとは言えないのである。彼らは,特異な救済観に基づいてそれらの行為を行ったのであった。もし彼らが救済の実行者であり続けたいと願っていたら,彼らは麻原に対する信仰を持ち続けなければならなかったろう。しかしながら,逮捕されてからそれにしがみつくことができなかったのである。本論の焦点は,彼らがなぜそれらの行為を行い,なぜグルの権威を否定したのかについて置かれている。むろん,彼らの見解には多様性がある。さらに,われわれは,オウムの教義には殺人と救済の間に微妙な差しか存在しないことが理解される。
 

備考(Remarks)  

2010  愛知県の宗教系大学における宗教教育の状況について--宗教科目のカリキュラムと教材に関する調査報告  共著   
南山神学別冊  , 南山大学  , 26  , 1-20  , 2011/3   

概要(Abstract) キリスト教系の南山大学(カトリック)、金城学院大学(プロテスタント)、名古屋学院大学(プロテスタント)、仏教系の愛知学院大学(禅宗)、同朋大学(浄土真宗)の5つの大学に実際に行われている宗教教育の実態と教材についてまとめた。宗教的専門職の養成コースをもったカトリックや仏教の大学の方がむしろ、プロテスタントの大学と比べて、他宗教に対して開かれていると言えるかもしれない。宗教系大学の場合、このような一般教育と専門教育の二重性の中で宗教教育がなされ、教材選択が実際に行われている。宗教系大学においても自らの宗派や宗教の教育だけでなく、他宗教についても教えることが期待されている。しかしながら、さまざまな要因からそのことは必ずしも実現されていない。諸宗教への広範な理解と宗教的な専門職の養成は必ずしも両立しないところにそのむずかしさがあるといえよう。 

備考(Remarks) 長澤志穂共著 

2009  Rescue, Recovery, and Religion: Nanzan Symposium 14: Humaritarian Aid and Spiritual Care in a Time of Crisis  単著   
Bulletin  , Nanzan Institute for Religion and Culture  , Vol. 33  , 11-21  , 2009/07   

概要(Abstract) このシンポジウムの発表は6つあったが、大きく分けて三つに分類される。1つ目は、ニューオーリンズと神戸における自然災害、2つ目は、チェチェンとレバノンとマケドニアにおける人間的悲劇、3つ目は、原住民の和平構築の方法である。ニューオーリンズは2005年、ハリケーン・カトリーナに襲われ、大きな被害を出した。その際に人々がこの自然災害にどのように反応し、どのように対応したかが詳細に報告された。次に、神戸市は1995年に阪神淡路大震災に見舞われた。そのときにどのようにボランティア活動が行われて、人々が助け合ったのかが大きなテーマとなった。それに対して、チェチェン、レバノン、マケドニアの事例は、「人間は人間にとってオオカミである」という故事をまざまざとみせつけるものであった。民族の対立の現場においてさまざまな悲劇が今も起こりつつある。そのことを忘れてはならないという警告がこれらの発表には満ちていた。他方で、それぞれの現場において希望の光が投げかけられていることも忘れてはならない。最後に、さまざまな原住民が平和構築の方法を身につけていることが人類学的な調査によって明らかにされた。 

備考(Remarks) 南山宗教文化研究所において2009年2月27日・28日に開催された国際シンポジウム、"Rescue, Recovery, and Religion"の内容をまとめて報告したもの。 

2009  南山宗教文化研究所所蔵オウム真理教関係未公開資料の意義について  単著   
南山宗教文化研究所研究所報  , 南山宗教文化研究所  , 19  , 12-29  , 2009/07   

概要(Abstract) 私は、1996年1月にオウム真理教ニューヨーク支部閉鎖の折に個人的に書籍約3,000冊や複数のビデオを寄贈された。私は、1997年2月末に在外研究から帰国する際にこれらの資料を持ち帰り、南山宗教文化研究所に寄贈した。これらは、ニューヨーク支部のものなので未公刊の英文資料が多く含まれているのが特徴的である。多くは日本語の書籍や雑誌を英訳したものであった。その他一部、ロシア語の資料も含まれている。さらに、私は、2007年8月になり、匿名の元幹部から1991年ごろまでの資料を中心にした資料、千数百点の寄贈を受けた。これらの資料の中で主要なものは録音テープである。段階を踏まえた教材(教本とカセットテープ)も多数そろっている。教材ビデオも多数存在する。これらのビデオを中心に分析することも可能である。カセットの数だけでも膨大なので、その分析には膨大な時間がかかるだろう。オウム真理教裁判において検察の冒頭陳述等でしかその存在が確認できなかった重要な資料(とりわけテキスト化されていない説法)というものがいくつも存在していた。それらは、オウム真理教を研究する上で大きな障害となっていた。つまり、一次資料ではなく、裁判で引用された二次資料に頼らざるを得なかったためである。ところが、今回入手した未公開の録音テープは、これらの一次資料を提供しているのである。そこで、テキストと録音テープの時系列的な関連づけによる実証的な研究がはじめて可能となる。オウム裁判で検察側が依拠した証拠は、ものによってはテキストとして存在せず、その資料による検証が困難な状態にあった。 今回、南山宗教文化研究所が入手した大量の録音テープは、このようなギャップを埋めるための大きな手がかりを提供している。今後、重要なテキストとテープの照合作業が必要であろう。 とりわけ、『ヴァジラヤーナコース・教学システム教本』のそれぞれの章は、講演や説法に基づいているので、それらを録音によって裏付けることもできよう。そして、それらのテープ起こしと録音テープとを照合することによって、さまざまな様相がわかってくるだろう。さらに、テキストと録音テープを外的な行事や事件との関連において時系列的に配置することによって、新たな発見や根拠付けが可能になると考えられる。 

備考(Remarks)  

2008  修行と身体−宗教学的身体論の試み−  単著   
立正大学人文科学研究所年報  , 立正大学人文科学研究所  , 別巻17号  , 149-158  , 2009/03   

概要(Abstract) 人間は、宗教の歴史において精神と身体の分裂の問題を実践的に乗り越えようとしてきた。その試みを修行と呼ぶことができる。修行の問題は、また今日性を持っている。湯浅の心身論に対する貢献は、今日の日本の文脈において位置づけることができる。それが日本の哲学的思索の文脈に位置づけられるだけでなく、心身関係の実質的な問題に対する寄与であることは言うまでもないだろう。なかでも東洋の思想と宗教における歴史上の修行に関する反省の点でも湯浅の貢献は重要である。西行の事例が示しているように、修行論的な観点は発見的な意義をもっていると言えよう。湯浅は、神経系を知覚?行動系と自律系の二つに区別する。そして、前者を意識と結びつけ、後者を無意識と結びつける。湯浅は、後者が東洋の修行を理解するのに重要であると考える。たとえば、われわれが禅の瞑想をするとき伝統的な座り方をするが、そのとき、われわれは作為的な座り方によって身体的存在が非本来的であることを理解するのである。このようして、湯浅は現代の生理心理学的な知識を援用して修行の文脈において東洋的心身論を特徴づけるのである。湯浅は、呼吸法や瞑想など修行をすることによって自律神経系に影響を与えることが可能であり、そのことによって精神の安定が図られることを示唆している。ヨーガなどの東洋的な修行法は、シュルツなどの自律訓練法と接点を持ち、その技法としての有効性が確認されている。たとえば、超越瞑想(TM)の心理学的研究が有名である。このように、修行の問題は、現代人の精神と身体の関係に新たな光を当てているといえよう。精神と身体の分裂の問題は理論的にというよりも実践的に超えられるのではなかろうか。 

備考(Remarks)  

2007  人類学研究所の歴史と評価  単著   
アルケイア−記録・情報・歴史  , 南山大学史料室  , 2  , 65-99  , 2008/03   

概要(Abstract) 南山大学人類学研究所は、南山大学創立の半年後、1949年9月1日に人類学民族学研究所として設立され、大学の歴史とともにあった。その歴史をひもといてみると、けっして平坦な道のりではなかったことがわかる。また、神言修道会のヨーロッパでの研究活動や中国での教育活動と不可分であることが明らかになる。 

備考(Remarks) 「南山大学人類学研究所の歴史」(pp.98-91)と題する詳細な年表を含む。 

2007  宗教における修行と身体−宗教学の視点から  単著   
宗教研究  , 日本宗教学会  , 355  , 1-20  , 2008/03   

概要(Abstract) 宗教における修行と身体の問題は、さまざまな形で論じられてきた。本論では、これらの問題を信と知、信と行、精神と身体などの枠組みにおいて概観してから、湯浅泰雄の修行論としての身体論を取り上げる。湯浅の修行論の特徴は、東洋的修行の本質を身心一如に見出していることである。このような観点を一つの準拠枠としながら、修行の視点から西行の釈教歌の分析を試みる。そして、心と月と西の概念を手がかりとして、西行の宗教的な自然観を浮き彫りにする。西行は、桜の花と月に魅了された生涯を送ったが、月には仏教的な意味づけの世界があり、とりわけ月輪観という密教的な瞑想法と密接な関係がある。本論では、このような月のイメージがさまざまな釈教歌においてさまざまな展開を見せていることを明らかにする。 

備考(Remarks) 2007年9月15日に開催された日本宗教学会第66回学術大会公開シンポジウムにおける講演に基づく論文。 

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