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学術論文
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年度
Year
論文題目名
Title of the articles
共著区分
Collaboration
   Classification
NeoCILIUS
   請求番号/資料ID
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掲載誌名 Journal name,出版機関名 Publishing organization,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.,発行年月(日) Date
1996  対話とキリストへの告白  単著   
日本カトリック神学会誌  , 日本カトリック神学会  , 7号  , pp.14-35  , 1996/07   

概要(Abstract) 諸宗教の相互理解また共生には宗教間対話が不可欠である。本稿は、まずこのような対話の前提とは何かを問い、次にキリスト論の在り方について対話との関連で反省し、更に対話において不可欠なキリストへの告白の可能性について論じている。結局、対話の際には相対的絶対主義なる立場が諸宗教に前提とされるべきであり、キリスト者にはキリスト論の非絶対化が要求されると同時に、告白の重要さが確認される。 

備考(Remarks)  

1995  修道会についての一考察  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 19号  , pp.151-163  , 1996/02   

概要(Abstract) 本稿は、カトリック教会内に存在する修道会また修道者の「生き方」の意義を、まず福音書におけるイエスと弟子の関係に溯って確認し、その成立をエジプトやパレスティナにおける起源から中世キリスト教における展開のうちに跡付け、更にその社会的、現代的責任と使命について、福音的勧告に基づくイエス・キリストへの「信従の生活」によって実践される、という視点から説明している。 

備考(Remarks) 宗教科教育、実践神学 

1992  万人の救いと教会−「教会の外に救いはない」という命題の成立及び解釈史  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 16号  , pp.1-39  , 1993/02   

概要(Abstract) 本稿は、まず古来教会内に伝わる「教会の外に救いはない」という命題について、同命題の成立当初の使用法と後世の利用法の間には内容的に違いがあり、近代に至るまで誤用されていた事実を、この命題の成立と解釈の歴史を辿ることによって明示し、次いで現代の教会が救済論を取り扱う場合には、「神の普遍的救いの意志」の証しが中心的課題になるべきであると論じ、カトリック教会内の模索の現状を指摘している。 

備考(Remarks)  

1990  Gott und Heilsoekonomie.  単著   
Universitaet Wien  , 373p.  , 1990/07   

概要(Abstract) 本稿は、オーストリア共和国ウィーン大学にて、ラファエル・シュルテ(Raphael Schulte)教授の指導のもとに作成した博士号申請論文である。1990年の夏学期に、博士論文としてウィーン大学より受理された。内容は、紀元2世紀のガリア地方のリヨンで活躍した神学者エイレナイオスの「救済史的三位一体神学」の体系づけの試みである。 

備考(Remarks) 博士論文 

1983  霊の注ぎ−グノーシス主義者とエイレナイオスにおける比較  単著   
南山神学別冊  , 南山大学大学院神学研究室  , 3号  , pp.1-12  , 1984/03   

概要(Abstract) 本稿は、「霊の注ぎ」という儀礼に関して、エイレナイオスとその論敵であるグノーシス派の主張を比較検討する。双方とも「霊の注ぎ」という現象について語るのであるが、グノーシス派が二元論的アプローチに基づいて「洗礼と塗油」「イエスとキリスト」などの関係を無視し、分裂を導入するのに対し、エイレナイオスは唯一のイエス・キリストへの、唯一の神の霊の注ぎというキリスト教的確信を主張することが指摘される。 

備考(Remarks)  

1983  みことばの受肉と人類の神化−エイレナイオスの「かたち」と「類似性」の概念をめぐって  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 7号  , pp.51-66  , 1984/02   

概要(Abstract) 本稿は、古代キリスト教神学における「神のみことばが人となる」という「受肉思想」と、それに対応して「人類が神のようにかえられる」という「神化思想」が、既に明確な仕方でエイレナイオスの思想の中に主張されていることを、エイレナイオスの神学的人間論における「かたち」と「類似性」の両概念の検討によって説明している。 

備考(Remarks)  

1982  神と人との「慣れ親しみ」−エイレナイオスの救済史観におけるその機能について  単著   
南山神学別冊  , 南山大学大学院神学研究室  , 2号  , pp.1-38  , 1983/03   

概要(Abstract) 本稿は、エイレナイオスの著書『異端反駁』に散在する「慣れ親しみ」という用語を分析し、世界史を通して「三位一体の神」と人類がいかに密接にかかわっているのかを明らかにする。結局のところ、この三位一体の神とは人類を様々に育成し教育する方であり、人類の側ではそれに応える行為をもって次第に神という存在に慣れ親しんでいくのであるが、この慣れ親しみの過程こそが、実は救済史に他ならないと指摘する。 

備考(Remarks)  

1982  アナケファライオーシス−エイレナイオスの救済論における意味の検討  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 6号  , pp.63-104  , 1983/02   

概要(Abstract) 本稿は、エイレナイオスの救済論において重要な用語である「アナケファライオーシス」が、「現在終末論的」意味内容と「終末論的」意味内容を持つ用法に区分できることを指摘し、検討の結果、その前者を「遣り直し」、また後者を「再統合」と訳し分けるのが相応しいと提言する。 

備考(Remarks)  

1981  エイレナイオスの救済論における聖霊の役割−創造における展望  単著   
南山神学別冊  , 南山大学大学院神学研究室  , 1号  , pp.1-75  , 1982/03   

概要(Abstract) 本稿は、2世紀にリヨンで活動したエイレナイオスの神学思想を解明するが、特に三位一体の神の内の「神の子」および「神の霊」の救いの営みと、人間における「神のかたち」および「神との類似性」という恩恵の状態との関連を、人類史全体と重なる「人間創造の包括的な過程」において論述する。その際に、聖霊すなわち「神の霊」は「神の子」と共に「神の両手」として機能し、肉体、魂、霊からなる「完全な人間」を形成することを明確に指摘する。 

備考(Remarks) 修士論文 

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