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学術論文
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Collaboration
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NeoCILIUS
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掲載誌名 Journal name,出版機関名 Publishing organization,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.,発行年月(日) Date
2016  日常的な聖霊の経験の再考――ラーナーの論考を手掛かりに――  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 第40号  , pp.177-190  , 2017/03   

概要(Abstract) 本稿では、聖霊を神から人々に与えられる「救いのフロント」と捉える筆者の理解について、カトリック神学者カール・ラーナーが「聖霊の経験」という論考の中で展開する解釈を学ぶことにより、再考している。ラーナーの論考の中で興味深い視点は、人々の間で起こる聖霊の経験が「主題化されない日常的経験」であること、また、我々人間と神秘である神との関係を「超越する人間と包括する神」と捉えていること、そして神体験を「恩恵」と理解していることである。本稿では、ラーナーのアプローチが「非主題的・秘匿的に臨在する聖霊」を確認するものであり、「救いのフロント」としての聖霊理解と解釈の方向性が類似していることを認めた。 

備考(Remarks)  

2007  パウロの第一回福音宣教の旅(使徒言行録13・1-14・28)  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 31号  , pp.117-139  , 2008/03   

概要(Abstract) 本稿は、使徒言行録13章から14章に描写されたバルナバとパウロが一緒に出かけた宣教の旅の様子に注目し、教会の信仰と神学の基礎的内容を明らかにした中心的人物が、その回心の後に、キリスト者としてどのような宣教旅行を過ごしたのかを確認している。とりわけ、ユダヤ人と異邦人への対応の相違点などを浮き彫りにしている。 

備考(Remarks) 実践神学、宗教科教育 

2006  「命を与えるイエス」について(ヨハネ11章1-57節)  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 30号  , pp.151-171  , 2007/03   

概要(Abstract) 本稿は、実践神学的論考である。ヨハネ福音書の11章にはイエスと親しいマルタとマリア、そして彼女らの兄弟ラザロとのかかわりの中で、イエスが「復活であり命である」とはどのようなことなのかが開示されている。彼の与える命は単なる現世への蘇生の意味では捉えきれない次元の「生」が含意されているが、それは弟子たちの復活者との出会い、そして彼らの宣教活動を介して、さらに解き明かされるような命であることを論じている。 

備考(Remarks) 実践神学、宗教科教育 

2005  エイレナイオスの教会理解について  単著   
エイコーン  , 新世社  , 31号  , pp.44-60  , 2005/07   

概要(Abstract) 本稿は、エイレナイオスが著書『異端反駁』のなかに展開する教会理解の主要点をテキストに即して確認し、今日のエキュメニカルな対話的教会理解のために有効と思われるアプローチを指摘している。 

備考(Remarks)  

2004  イエスと共にあり、学ぶこと−ルカ10,38−11,36をめぐって−  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 28号  , pp.107-128  , 2005/03   

概要(Abstract) 本稿は、ルカ福音書に描かれている、マルタとマリアの話またイエスが弟子に教えたといわれる祈りを初めとして、ベルゼブル論争、真の幸いそしてヨナのしるしなどの話について、「イエスと共にあること」という視座からそれぞれの話の意味を掘り下げて検討し、相互の関連づけについて論じている。 

備考(Remarks) 宗教科教育、実践神学。CDは京都教区聖書委員会より出ている。 

2003  模範であるイエスーキリスト者とムスリムの相互理解に向けて  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 27号  , pp.45-67  , 2004/02   

概要(Abstract) 本稿は、キリスト教とイスラームにおける対話的キリスト論の検討である。クルアーンに示されるキリスト教への親近性と批判、イエス理解の状況を分析しつつ、クルアーンと福音書に証言される信仰者にとって「模範」であるイエスの姿を指摘する。そして、両宗教において、イエスは「神への道」であることの容認が可能であることを論じる。 

備考(Remarks)  

2003  新しい兄弟姉妹の共同体−イエスとその対人関係の吟味  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 27号  , pp.143-158  , 2004/02   

概要(Abstract) 本稿は、実践神学的論考である。新約聖書、マルコ福音書の描くイエスの対人関係を分析している。特に、イエスを取り巻く家族、郷里の親類、弟子たち、好意的な一般民衆また敵対者などについて、それぞれ吟味し、イエスの示す新しい兄弟姉妹の共同体について論じている。 

備考(Remarks) 宗教科教育、実践神学 

2002  キリスト教とイスラームの神理解について  単著   
マラナタ  , 京都ノートルダム女子大学キリスト教文化研究所  , 11号  , pp.1-20  , 2003/03   

概要(Abstract) 本稿は,一般に同じセム系の一神教とわれながらも,イスラームの唯一神理解とキリスト教の三位一体の神理解には相違も大きいと考えるので,両宗教におけるムハンマドとイエスの位置づけを比較し,さらにキリスト教の聖霊理解を検討することによって,キリスト教の神理解のユニークさについて論じている。 

備考(Remarks)  

2002  聖霊の経験−聖書の描く神の躍動性について  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 26号  , pp.1-31  , 2003/02   

概要(Abstract) 本稿は,聖書に描かれた神の霊のはたらきと主体性について再検討することにより,三位一体の神のより相応しい理解に寄与することを目指す。そのために,プネウマという語の基本的意味を聖書に確認した後,新約のパウロ文書,ルカ文書およびヨハネ福音書における聖霊理解の特徴をそれぞれ明確化する。そこに,後の教義学的三位一体論の芽生えを確認し,当時の信仰者の聖霊経験に現代人の聖霊理解のために有意義な3ポイントを指摘する。 

備考(Remarks)  

2001  三位一体と多元主義  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 25号  , pp.127-152  , 2001/12   

概要(Abstract) 本稿は、今日の多元的社会における三位一体的神理解の有効性について検討する。J・ヒックらの宗教多元主義に反対するG・デコスタのキリスト中心的三位一体論とW・パネンベルクの包括主義的キリスト論を批判的に評価した上で、新約聖書の「人の子」と聖霊、「イエスの名」と内在する聖霊の対関係や父と子と内在する聖霊の新約聖書的イメージを確認し、一神教でも多神教でもない、神の救済意志のトップダウンとボトムアップの三位一体的統合のイメージについて論述する。 

備考(Remarks)  

2001  聖霊による触発−三位一体の神による救いのフロント試論  単著   
日本カトリック神学会誌  , 日本カトリック神学会  , 12号  , pp.67-90  , 2001/07   

概要(Abstract) 本稿は、三位一体の神の人々に対する救いのわざの内、特に、人々に内在する聖霊の救いの機能を神から我々への「救いのための触発」すなわち「救いのフロント」として解明する。そのために、東方神秘思想の認識論において、通常聖霊を不可知と見なして、神のエネルゲイアのみを把捉可能とする教説に対し異論を提示し、さらに、現象学における意識の志向性と認識において不可避である対象からの触発という理解に示唆を得て、我々の信従の生活において顕わとなる救いの出来事にあって、三位一体の神から我々への救いのフロントとして機能する聖霊理解を展開する。 

備考(Remarks)  

2000  創造の神−エイレナイオス『異端反駁』第3巻の神論について  単著   
アカデミア人文・社会科学編  , 南山大学  , 72号  , pp.29-56  , 2001/01   

概要(Abstract) 本稿は、エイレナイオス『異端反駁』第3巻の創造神理解について論述する。ここにおける教父の論証法の特徴は、旧約と新約の両聖書が、唯一の創造の神また共に働く御子について、共通し一貫して証言していることを例証することである。このような論証法は、この教父一流の聖書霊感論あるいは使徒継承に働く聖霊の唯一性に根拠を持っており、同時に唯一の創造神の主張は、論敵であるグノーシス派やマルキオンの分別した創造神理解への反論となっていることを論証する。 

備考(Remarks)  

2000  神と人々との我々−三位一体の神による救いの現実についての一考察  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 24号  , pp.45-76  , 2000/12   

概要(Abstract) 本稿は、東方神秘思想や古代教父神学、聖書などに確認できる信仰者の救いの経験、さらにM・ブーバーの思想や現象学の方法論などを批判的に反省し、それらから総合的に得られる神経験のあり方を聖書に啓示される「我々の神」また「我々と共にある神」という神理解および古代教父思想に観察される聖霊の救いのわざに関する洞察と関連づけ、それらの内的関係をいわば現象学的神学的に捉え直すことで、我々の救いの状況を三位一体の神と人々との我々、すなわち、神と人々との救いの交わりとして論述する。 

備考(Remarks)  

2000  聖霊のペルソナについて−ヘリベルト・ミューレンの聖霊論との対話  単著   
日本カトリック神学会誌  , 日本カトリック神学会  , 11号  , pp.99-131  , 2000/07   

概要(Abstract) 本稿は、ヘリベルト・ミューレンが『ペルソナとしての聖霊』で論ずる聖霊論を再吟味する。三位一体の神について、その神内在的関係を「我」としての父、「汝」としての子、その両者の「我々」としての聖霊とダイナミックに理解する点は評価されるが、歴史上啓示される聖霊のペルソナ性については、塗油また恩恵授与として聖霊の救済の役割に触れるものの、ペルソナとしての具体的イメージを構築するに至っていない点を批判する。試論として「人々の我々」にこそ聖霊のペルソナが立ち現れることを論証する。 

備考(Remarks)  

1999  人となった神の子−エイレナイオス『異端反駁』第3巻のキリスト論について  単著   
アカデミア人文・社会科学編  , 南山大学  , 71号  , pp.1-35  , 2000/03   

概要(Abstract) 本稿は、エイレナイオスの『異端反駁』第3巻のキリスト論を検討する。そこでは御子の受肉の真実性が主張され、処女からの誕生の意味するところが解かれて、再統合という救済神学が構築されている。これらのいずれのテーマにも御子の人間性または御子が肉体を取ったことについての議論が絡んでいるが、この事実は、裏を返せば、論敵のキリスト論に含まれる御子の人間性の誤解に対する批判が、本巻におけるエイレナイオスの反駁的論述の動機づけであることを明示している。 

備考(Remarks)  

1999  神の救済史的啓示−エイレナイオス『使徒的宣教の証明』を中心にして  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 23号  , pp.79-112  , 1999/09   

概要(Abstract) 本稿は、「救いの歴史」という『啓示憲章』の表現を新しい啓示理解と評価する現代神学の立場に対して、古代の教父にある救済史的歴史観の見落としを指摘し、具体的には2世紀のエイレナイオスの要理教育的文書『使徒的宣教の証明』に展開される救済史的三位一体の神についての啓示理解を提示し、古代教父の思想的先行性および『啓示憲章』との思想的共通要素を指摘することにより異論を述べる。 

備考(Remarks)  

1999  公文書に見る宗教間対話とその課題−イスラームを契機にして  単著   
日本カトリック神学会誌  , 日本カトリック神学会  , 10号  , pp.129-187  , 1999/07   

概要(Abstract) 本稿は、日本の教会の諸宗教対話、特にイスラームとの積極的対話に寄与するため、第二ヴァティカン公会議の『諸宗教宣言』、その25年後の教皇庁諸宗教評議会・福音宣教省の『対話と宣言』、1998年「アジア特別シノドスの報告書」等の公文書を批判的に検討し、神学的側面から対話の可能性を提案し、課題点の指摘を試みている。例えば聖霊とグノーシスの再検討、救済史的三位一体論に基づく諸宗教の対話的仲介について述べる。 

備考(Remarks)  

1998  救済論の二相−反宇宙的理解と親宇宙的理解の衝突  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 22号  , pp.31-51  , 1999/02   

概要(Abstract) 本稿は、グノーシス派の採る反宇宙的悲観論とエイレナイオスや聖書に確認できる親宇宙的楽観論の二つの異なる救済理解について論じる。両救済論の相違は宇宙理解の相違に基礎を置くが、伝統的立場に対して、「脱世界的救済論」を唱えるグノーシス派はこの世を否定し別の至高の神的世界を造り出すことで、彼ら選民に約束されたユートピアに希望を託す「霊的一元論」を唱えていることを論証する。 

備考(Remarks)  

1997  「三と言うな」−コーランのキリスト教的神理解批判について  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 21号  , pp.81-96  , 1998/02   

概要(Abstract) 本稿は、「三位一体の神」がコーランにおいてどう理解され、批判されているのかを明示し、その立場の背景となる事情を指摘する。そのため、「三位一体」を指すコーランの「三」を含む本文およびその内実を描写する本文を批判的に検討する。結局、コーランでは「アッラー、マルヤム、イーサー」が「三」であり、キリスト教正統信仰に基づく「父、子、聖霊」の三位一体理解を継承しておらず、アラブ民族主義およびアラビアの多神教の批判的超克が背景にあることが確認される。 

備考(Remarks)  

1996  コーランのイエス像  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 20号  , pp.25-41  , 1997/02   

概要(Abstract) コーランにおいてイエスがどのように理解されているのかを、コーランの中に用いられているイエスに対する「称号」やその「救いの役割」の検討によって明らかにするのが本稿の目的である。(1)マリアの子、(2)神の僕、預言者、神の使徒、(3)神の御言葉、神の霊力、メシア、(4)神性の否定、(5)十字架死の否定と再臨の予告などの諸点を論じた上で、キリスト教神学の立場からコーランのイエス理解に批判を加えている。 

備考(Remarks)  

1996  対話とキリストへの告白  単著   
日本カトリック神学会誌  , 日本カトリック神学会  , 7号  , pp.14-35  , 1996/07   

概要(Abstract) 諸宗教の相互理解また共生には宗教間対話が不可欠である。本稿は、まずこのような対話の前提とは何かを問い、次にキリスト論の在り方について対話との関連で反省し、更に対話において不可欠なキリストへの告白の可能性について論じている。結局、対話の際には相対的絶対主義なる立場が諸宗教に前提とされるべきであり、キリスト者にはキリスト論の非絶対化が要求されると同時に、告白の重要さが確認される。 

備考(Remarks)  

1995  修道会についての一考察  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 19号  , pp.151-163  , 1996/02   

概要(Abstract) 本稿は、カトリック教会内に存在する修道会また修道者の「生き方」の意義を、まず福音書におけるイエスと弟子の関係に溯って確認し、その成立をエジプトやパレスティナにおける起源から中世キリスト教における展開のうちに跡付け、更にその社会的、現代的責任と使命について、福音的勧告に基づくイエス・キリストへの「信従の生活」によって実践される、という視点から説明している。 

備考(Remarks) 宗教科教育、実践神学 

1992  万人の救いと教会−「教会の外に救いはない」という命題の成立及び解釈史  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 16号  , pp.1-39  , 1993/02   

概要(Abstract) 本稿は、まず古来教会内に伝わる「教会の外に救いはない」という命題について、同命題の成立当初の使用法と後世の利用法の間には内容的に違いがあり、近代に至るまで誤用されていた事実を、この命題の成立と解釈の歴史を辿ることによって明示し、次いで現代の教会が救済論を取り扱う場合には、「神の普遍的救いの意志」の証しが中心的課題になるべきであると論じ、カトリック教会内の模索の現状を指摘している。 

備考(Remarks)  

1990  Gott und Heilsoekonomie.  単著   
Universitaet Wien  , 373p.  , 1990/07   

概要(Abstract) 本稿は、オーストリア共和国ウィーン大学にて、ラファエル・シュルテ(Raphael Schulte)教授の指導のもとに作成した博士号申請論文である。1990年の夏学期に、博士論文としてウィーン大学より受理された。内容は、紀元2世紀のガリア地方のリヨンで活躍した神学者エイレナイオスの「救済史的三位一体神学」の体系づけの試みである。 

備考(Remarks) 博士論文 

1983  霊の注ぎ−グノーシス主義者とエイレナイオスにおける比較  単著   
南山神学別冊  , 南山大学大学院神学研究室  , 3号  , pp.1-12  , 1984/03   

概要(Abstract) 本稿は、「霊の注ぎ」という儀礼に関して、エイレナイオスとその論敵であるグノーシス派の主張を比較検討する。双方とも「霊の注ぎ」という現象について語るのであるが、グノーシス派が二元論的アプローチに基づいて「洗礼と塗油」「イエスとキリスト」などの関係を無視し、分裂を導入するのに対し、エイレナイオスは唯一のイエス・キリストへの、唯一の神の霊の注ぎというキリスト教的確信を主張することが指摘される。 

備考(Remarks)  

1983  みことばの受肉と人類の神化−エイレナイオスの「かたち」と「類似性」の概念をめぐって  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 7号  , pp.51-66  , 1984/02   

概要(Abstract) 本稿は、古代キリスト教神学における「神のみことばが人となる」という「受肉思想」と、それに対応して「人類が神のようにかえられる」という「神化思想」が、既に明確な仕方でエイレナイオスの思想の中に主張されていることを、エイレナイオスの神学的人間論における「かたち」と「類似性」の両概念の検討によって説明している。 

備考(Remarks)  

1982  神と人との「慣れ親しみ」−エイレナイオスの救済史観におけるその機能について  単著   
南山神学別冊  , 南山大学大学院神学研究室  , 2号  , pp.1-38  , 1983/03   

概要(Abstract) 本稿は、エイレナイオスの著書『異端反駁』に散在する「慣れ親しみ」という用語を分析し、世界史を通して「三位一体の神」と人類がいかに密接にかかわっているのかを明らかにする。結局のところ、この三位一体の神とは人類を様々に育成し教育する方であり、人類の側ではそれに応える行為をもって次第に神という存在に慣れ親しんでいくのであるが、この慣れ親しみの過程こそが、実は救済史に他ならないと指摘する。 

備考(Remarks)  

1982  アナケファライオーシス−エイレナイオスの救済論における意味の検討  単著   
南山神学  , 神言神学院  , 6号  , pp.63-104  , 1983/02   

概要(Abstract) 本稿は、エイレナイオスの救済論において重要な用語である「アナケファライオーシス」が、「現在終末論的」意味内容と「終末論的」意味内容を持つ用法に区分できることを指摘し、検討の結果、その前者を「遣り直し」、また後者を「再統合」と訳し分けるのが相応しいと提言する。 

備考(Remarks)  

1981  エイレナイオスの救済論における聖霊の役割−創造における展望  単著   
南山神学別冊  , 南山大学大学院神学研究室  , 1号  , pp.1-75  , 1982/03   

概要(Abstract) 本稿は、2世紀にリヨンで活動したエイレナイオスの神学思想を解明するが、特に三位一体の神の内の「神の子」および「神の霊」の救いの営みと、人間における「神のかたち」および「神との類似性」という恩恵の状態との関連を、人類史全体と重なる「人間創造の包括的な過程」において論述する。その際に、聖霊すなわち「神の霊」は「神の子」と共に「神の両手」として機能し、肉体、魂、霊からなる「完全な人間」を形成することを明確に指摘する。 

備考(Remarks) 修士論文 

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