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NeoCILIUS
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掲載誌名 Journal name,出版機関名 Publishing organization,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.,発行年月(日) Date
2018  「蘇軾詩注解補(一)」  共著   
『南山大学日本文化学科 論集』  , 南山大学日本文化学科  , 第19号  , pp.55-75  , 2019/03   

概要(Abstract) 中国宋代の詩人蘇軾の以下の作品について注解を施したもの。括弧内の数字は東北大学中国文学研究室作成『蘇東坡詩作品表』による通し番号。
夜 舒堯文に過りて戯れに作る(九〇二)、十月十五日、月を黄楼に観、席上にて次韻す(九〇四)、王定民に答う(九〇五)、王廷老が退居して寄せらるるに次韻す 二首(九〇六・九〇七)、顔長道が傅倅を送るに次韻す(九〇八)、雲龍山に焼を観て雲の字を得たり(九〇九) 

備考(Remarks)  

2018  『蘇軾詩注解(二十四)』  共著   
『アカデミア』文学・語学編  , 南山大学  , 第105号  , pp.1-33  , 2019/01   

概要(Abstract) 中国宋代の詩人蘇軾の以下の作品について注解を施したもの。括弧内の数字は東北大学中国文学研究室作成『蘇東坡詩作品表』による通し番号。
蔣潁叔・銭穆父が景霊宮に従駕するに次韻す 二首(一九〇六・一九〇七)、軾 近ごろ月石の硯屛を以て子功中書公に献じ、復た涵星硯を以て純父侍講に献ず。子功は詩有り、純父は未だしなり。復た月石風林の硯屛を以て之に贈り、謹んで子功が詩に和して、幷せて純父が数句を求む(一九一三)、范純父が涵星硯・月石風林屛に次韻す(一九一四)、銭穆父が会飲に次韻す(一九一五)、穆父尚書が郊丘を祠るに侍して、天光を瞻望して、退きて相慶して、満を引きて酔吟するに次韻す(一九一六)、郊祀の成るを慶する詩(一九一七) 

備考(Remarks)  

2018  「蘇軾詩注解(二十三)」  共著   
『アカデミア』文学・語学編  , 南山大学  , 第104号  , pp.1-33  , 2018/06   

概要(Abstract) 中国宋代の詩人蘇軾の以下の作品について注解を施したもの。括弧内の数字は東北大学中国文学研究室作成『蘇東坡詩作品表』による通し番号。
程徳林が真州に赴くを送る(一八九四)、谷林堂(一八九六)、予 少年なりしとき、頗る松を種うるを知る、手づから数万株を植え、皆な梁柱に中れり、都梁山中に杜輿秀才を見るに、其の法を学ぶを求む、戯れに二首を贈る(一八九八・一八九九)、行きて宿・泗の間に徐州の張天驥に見えて、旧韻に次ぐ(一九〇〇)、劉景文が傅羲秀才に贈るに次韻す(一九〇一)、彭城に在りし日、定国と九日に黄楼の会を為す。今復た是の日を以て宋に相遇う。凡そ十五年、憂楽出処、勝げて言う可からざる者有り。而して定国は道を学びて得ること有り。百念 灰のごとく冷めて顔益ます壮なり。顧みるに予は衰病して心形倶に瘁れたり。之に感じて詩を作る(一九〇二)、九日、定国が韻に次す(一九〇三)、定国の寄せらるるに次韻す(一九〇五) 

備考(Remarks)  

2017  「蘇軾詩注解(二十二)」  共著   
『アカデミア』文学・語学編  , 南山大学  , 第103号  , pp.1-33  , 2018/1   

概要(Abstract) 中国宋代の詩人蘇軾の以下の作品について注解を施したもの。括弧内の数字は東北大学中国文学研究室作成『蘇東坡詩作品表』による通し番号。
范淳父に次韻して秦少章を送る(一八八三)、林夫が当に霊隠寺の寓居に徙るべしと聞きて、戯れに「霊隠の前 一首」を作る(一八八四)、滕達道の挽詞 二首(一八八五・一八八六)、蘇伯固が蜀岡に游んで李孝博が使いを嶺表に奉ずるを送るに次韻す(一八八七)、石塔寺 幷びに引(一八八九)、晁美叔発運右司年兄が闕に赴くを送る(一八九〇)、王文玉が挽詞(一八九一)、芝上人の廬山に遊ぶを送る(一八九三) 

備考(Remarks)  

2017  「蘇軾詩注解(二十一)」  共著   
『アカデミア』文学・語学編  , 南山大学  , 第102号  , pp.1-33  , 2017/6   

概要(Abstract) 中国宋代の詩人蘇軾の以下の作品について注解を施したもの。括弧内の数字は東北大学中国文学研究室作成『蘇東坡詩作品表』による通し番号。
陳伯修察院が闕に赴くを送る(一八五五)、張嘉父長官を送る(一八五六)、軾、潁州に在りしとき、趙徳麟と同に西湖を治す。未だ成らずして揚州に改めらる。三月十六日、湖成る。徳麟、詩有りて懐わる。其の韻に次す(一八五七)、徳麟が「西湖新たに成りて懐わる」絶句に次韻す(一八五八)、再び徳麟が「新たに西湖を開く」に次韻す(一八五九)、官に到りて倦を病み、未だ嘗て客を会せず。毛正仲 茶を恵む。乃ち端午を以て石塔に小集し、戯れに一詩を作って謝を為す(一八六〇)、晁无咎学士が相迎うるに次韻す(一八八二) 

備考(Remarks)  

2016  「蘇軾詩注解(二十)」  共著   
『アカデミア』文学・語学編  , 南山大学  , 第101号  , pp.1-32  , 2017/1   

概要(Abstract) 中国宋代の詩人蘇軾の以下の作品について注解を施したもの。括弧内の数字は東北大学中国文学研究室作成『蘇東坡詩作品表』による通し番号。運判朱朝奉の蜀に入るを送る(一八四七)、病中 夜 朱博士の詩を読む(一八四八)、趙徳麟 湖上に餞飲す。舟中 月に対す(一八四九)、趙徳麟が陳伝道を送るに和す(一八五〇)、朱遜之に贈る 幷びに引(一七九六)、上巳の日、二子迨・過と塗山・荊山に遊び、見る所を記す(一八五一)、徐仲車に次韻す(一八五三)、林子中が春日の新堤に事を書して寄せらるるに次韻す(一八五四) 

備考(Remarks)  

2016  「蘇軾詩注解(十九)」  共著   
『アカデミア』文学・語学編  , 南山大学  , 第100号  , pp.1-34  , 2016/6   

概要(Abstract) 中国宋代の詩人蘇軾の以下の作品について注解を施したもの。括弧内の数字は東北大学中国文学研究室作成『蘇東坡詩作品表』による通し番号。洞庭の春色 幷びに引(一八三七)、路都曹を送る 幷びに引(一八三八)、陳履常が雪中に次韻す(一八三九)、二鮮于君 詩文を以て寄せらる。詩を作りて謝を為す(一八四〇)、趙徳麟が雪中に梅を惜しみ、且つ柑酒を餉るに次韻す(一八四一~四三)、陳伝道が「雪中の観燈」に和す(一八四四)、閲世堂の詩、任仲微に贈る(一八四五)、新渡寺に任仲微を送る(一八四六)
 

備考(Remarks)  

2015  「蘇軾詩注解(十八)」  共著   
『アカデミア』文学・語学編  , 南山大学  , 第99号  , pp.25-55  , 2016/1   

概要(Abstract) 中国宋代の詩人蘇軾の以下の作品について注解を施したもの(括弧内の数字は東北大学中国文学研究室作成『蘇東坡詩作品表』による通し番号)。西湖に小飲して欧陽叔弼兄弟を懐いて、趙景貺・陳履常に贈る(一八三〇)、蠟梅一首 趙景貺に贈る(一八三一)、王竦朝散が闕に赴くを送る(一八三二)、致政張朝奉に次韻し、仍りて招きて晩飲せしむ(一八三三)、閻立本の職貢図(一八三四)、王滁州が寄せらるるに次韻す(一八三五)、趙景貺詩を以て東斎の榜銘を求む。昨日都下より酒を寄せて来たると聞き、戯れに其の韻に和す。一壷を分かちて潤筆と作さんことを求むるなり(一八三六) 

備考(Remarks)  

2015  『蘇軾詩注解(十七)』  共著   
『アカデミア』文学・語学編  , 南山大学  , 第98号  , pp.1-28.  , 2015/6   

概要(Abstract) 中国宋代の詩人蘇軾の以下の作品について注解を施したもの(括弧内の数字は東北大学中国文学研究室作成『蘇東坡詩作品表』による通し番号)。劉景文が贈らるるに和す(一八二三)、劉景文が「雪」に和す(一八二四)、前韻を次ぎて劉景文を送る(一八二五)、屛山を以て欧陽叔弼に贈る(一八二六)、新渡寺の席上、趙景貺・陳履常が韻に次し、欧陽叔弼を送る。比來諸君唱和するに、叔弼但だ手を袖にして旁睨するのみ。別るるに臨んで、忽ち一篇を出だす。頗る淵明の風致有り。坐 皆な驚嘆す(一八二七)、趙景貺が「春思」に次韻し、且つ呉越の山水を懐う(一八二八)、陳履常が張公の龍潭に次韻す(一八二九) 

備考(Remarks)  

2015  「臨安の陸游 ‐都城の孤独‐」  単著   
『中国文學報』  , 京都大学中国文学会  , 第86冊  , pp.1-18  , 2015/10   

概要(Abstract) 南宋の陸游が当時の都である臨安において詠じた詩について論じたもの。臨安において彼が詠じた詩は、一部の例外を除けば、広く知られているものは比較的少ない。都城という場とそこに在るさまざまな事物に関して、彼の態度は総じて好意的ではなく、故郷山陰や蜀中における作に比べれば、臨安での諸作には総じて孤独感が漂っている。だがそうした諸作というのは、世に対する彼の認識の仕方を陰画のようなかたちで語っているともいえるのであり、更に仔細に見てみると、その時々に応じて都に対する認識自体も微妙に変化している。その軌跡を辿ることにより、世間から孤立することの多かった詩人の心情についての一つの理解を示した。 

備考(Remarks)  

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