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学術論文
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年度
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論文題目名
Title of the articles
共著区分
Collaboration
   Classification
NeoCILIUS
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掲載誌名 Journal name,出版機関名 Publishing organization,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.,発行年月(日) Date
2016  〈子どもコード〉の生成と展開―児童文学と特撮テレビ番組の分析―  単著  AA12516006 
アカデミア 人文・自然科学編  , 南山大学  , 第13号  , pp. 39-50  , 2017/01/31   

概要(Abstract) 従来の子ども文化の研究は、歴史と批評へと収斂してきたが、前者は子どもを歴史的にとらえることができず、後者は批評という場に開くことで分析的な作業を難しいものにしてしまった。本稿では、「子どもコード」という概念を提案し、それによって子ども文化の内実を記述することができることを示した。19世紀半ば以降から20世紀にかけての児童文学の分析により、コードの内側とその外部諸要素を仮説的に定式化した。これは、1960年代の日本の子ども向け特撮番組においても見られること、さらに「子どもだまし」という要素が加わっていることを明らかにした。そして、「過コード化」の概念を用い、子ども文化がより子どもらしいものへと収縮している現象についても取り上げた。最後に、コード理論の可能性として、青年文化と脱コード化・再コード化などとの関係について素描し、新たな課題として提起した。 

備考(Remarks)  

2018  医療化の衰退と物語作用―少年事件をめぐる言説の分析―  共著   
アカデミア 人文・自然科学編  , 南山大学  , 16  , 105-118  , 2018.6   

概要(Abstract) 「少年犯罪」と称されるようになった1997~2000年代前半の一連の少年事件と、2010年代における少年事件の報道を比較することで、前者に見られた逸脱の医療化の傾向が後者では衰退していることを、新聞・雑誌記事テクストとインタビューデータから明らかにする。これは、二つの次元で起きていることから説明される。第一に、空間的=実践的次元。加害少年に障害名を付与することは、同じ障害として診断される一般の児童・少年に対しても加害少年と同じラベルを適用することになる。これに対して、反対・批判・抵抗・異議申し立てなどの反作用が生じる。第二に、言説的=物語的次元である。マスメディア報道は物語構造をもつが、医療化は物語の解決を妨げる要素となっているため、言説平面上においても、物語構造は医療化を排除するように作用する。両者は次のように関係づけることができる。実践的空間内の関係を、言説平面上に投影した場合、それは物語の連辞的構造として把握されるのに対して、言説平面上の物語構造は、統辞的構造として把握される。 

備考(Remarks)  

2015  ポストモダン教育社会学の展開と隘路、そして生政治論的転換  単著  AN0005780X 
教育社会学研究  , 東洋館出版社  , 第94集  , pp. 5-24  , 2014/05/31   

概要(Abstract) 「ポストモダン」論によって影響を受けた1980年代後半の日本の教育社会学を「ポストモダン教育社会学」と呼ぶことにする。それは、「モダン」としての教育・学校制度の異化に向かったが、アリエス、ブルデューと並んでインスピレーションの供給源となったのが、『監獄の誕生』におけるフーコーの「規律訓練」の視点であった。しかし、1990年代以降の教育システムの変動によって、異化の手法で捉えられた教育・学校制度の理解は不十分なものとなり、ポストモダン教育社会学の訴求力も低下していく。他方、フーコー研究においては、2000年代以降、規律訓練の概念が「生政治」論の一部であることが明らかになるのだが、1990年代以降の教育システムは、まさにこの生政治論的視点からよりよく捉えうることをフーコー理論を概略しながら論じた。 

備考(Remarks)  

2016  デュルケムの〈分析-構築〉における道徳教育論  単著  AA12516006 
アカデミア 人文・自然科学編  , 南山大学  , 第12号  , pp. 23-36  , 2016/06/30   

概要(Abstract) 黙殺されるか、あるいは教育社会学的に扱われるかのどちらかだったデュルケム教育学は、デュルケム社会学と〈分析-構築〉というべき関係を有していることをまず論じた。この〈分析-構築〉が現代の社会学に重要な示唆を与える可能性を考察したうえで、〈構築〉の最たる著作である『道徳教育論』のテクスト構造を検討した。まず、〈分析-構築〉が『モンテスキューとルソー』に原型を持ち、〈分析〉の部分が「モンテスキュー論」と密接な関係をもつことをふまえたうえで、「ルソー論」と『道徳教育論』との関係を精査していくと、ルソーが実践の理論として、モンテスキューが分析の理論において得ていた位置とは異なる扱いを受けていたことが判った。デュルケムは、ルソーに由来する部分(「社会集団への愛着」)以外に、非ルソー的な「規律への精神」を新たに設け、道徳教育を論じていた。規律への精神が子どもの内部に確立されることは、フーコーのいう生権力の一つである「規律型権力」が行使されることとして考えられ、生政治の介入を見て取ることができた。このような介入ゆえに、デュルケムの〈分析-構築〉を、現代のグローバル社会におけるグローバルシティズンシップ教育へ写像する可能性に対しては、より広汎で深い考量が必要であることが示唆された。 

備考(Remarks)  

2013  生政治の〈介入〉とはいかなる事態か―フーコー『知の考古学』における権力作用の研究―  単著  AA12516006 
アカデミア 人文・自然科学編  , 南山大学  , 第7号  , pp. 1-14  , 2014/01/30   

概要(Abstract) ミシェル・フーコーが主張した生権力は、テクストへの介入という形態をとると考えられることから、生政治ないし生権力の行使のされ方についての検討が必要となった。その結果、諸思想家が生権力概念をさまざまなかたちで解釈し発展させているにもかかわらず、どの思想家も(1)生権力を、施行された政策・慣習が転化した制度・考案された様々な装置によってのみ執行されるものとして捉えている、(2)生政治・生権力が、フーコーの著作全体を貫くキー概念として積極的にとらえていないだけでなく、『知の考古学』との関連をほとんど考慮していない、(3)『知の考古学』を孤立した単独著作として捉える傾向があるだけではなく、フーコーの意図とは逆に、物質的実践ではない言説の分析に関わる研究として捉える傾向がある、ということがわかった。本稿では、言説が物質的実践であり、介入であることを『知の考古学』に即して示し、『知の考古学』が、生権力の〈介入〉の内実を分析する手立てとなる研究であることを主張した。 

備考(Remarks)  

2009  フロイトのテクストにおける生-政治の介入−「性欲論三篇」におけるヘゲモニー的リビドー体制−  単著  AN00132224  
アカデミア 自然科学・保健体育編  , 南山大学  , 第15巻  , pp. 17-28  , 2010/01/30   

概要(Abstract) フロイトの「性欲論三篇」のテクストの変容を検討し、それがフーコーの述べる「生-政治」の具体的な表出形態であることを主張した。「性欲論三篇」の1905年初版と1915年以降の追加修正とを比較すると、多形倒錯的なリビドーという初期の概念が、生殖に方向づけられたリビドー体制のもと再概念化されている。1905年版の「性欲論三篇」の第一論文においては、リビドーは「多形倒錯的」、すなわち対象との自由な結びつきを秘めるものと考えられた。そのなかでも、特に身体的発達に基盤を有する場合があり、それらは口唇体制・肛門体制・性器体制として語られている。1905年版において、リビドーは多様なあり方を承認されている。しかし、1915年以降「男根期」の概念が導入されることで、これらの体制は、ばらばらの「諸」体制ではなく、成人的なセクシュアリティへと方向づけられた「段階」として整序されることになる。「性的な活動」は「生殖活動」と言い換えられ、段階づけをはっきり示した一節が書き加えられる。これらの変更の結果として、第一論文が述べる多形倒錯的リビドーは、その叙述に変化はないものの、そうした段階からは外れた「変態」性欲として劣位なものへとその位置を変えることになってしまう。そして、生殖に方向づけられたリビドーが「正常なもの」として、優位に置かれる。本稿は、このようにして諸リビドー体制が序列化された全体体制を「ヘゲモニー的リビドー体制」と名づけたが、このような体制化こそが、フーコーの述べる「生−政治」の現出形態である。生−政治は、生、生殖、医療などに権力が浸透する状況を示す概念であるが、フロイトにおけるヘゲモニー的リビドー体制の成立は、生への社会的管理の一例であることが本稿で示された。 

備考(Remarks)  

2016  物語型権力と交渉的解読空間―教育世論の脱物語化にむけて―  共著  AA12516006 
アカデミア 人文・自然科学編  , 南山大学  , 第13号  , pp. 51-70  , 2017/01/31   

概要(Abstract) 教育報道がどのように教育物語を構成するか、概要をまとめたのちに、教育物語が集合的記憶として教育世論を形成していることを述べる。このような世論形成の仕方は、従来のように世論形成としてではなく、物語権力の作用として捉えるべきであり、それに対抗するためには、ホールの三つの解読の類型を参照しなければならない。一見、「対抗的解読」が有効な方法であるように思われるが、物語の否定として、物語の重力圏を脱することができない。解読のもう一つの類型である「交渉的解読」こそが、教育物語を脱物語化する有効な方法である。交渉的解読は、ヘゲモニックな解読を、ずらし異化しパロディ化するものである。そのようなメディアとして、インターネットの諸使用法が存在している。テレビの教育報道における物語が、ずらされて物語の体裁をとらなくなってしまった事例をいくつか取り上げ、交渉的解読空間としてのインターネットの脱物語化機能を論じる。インターネットに対して様々な批判はあるが、その空間は異質性をもった複数の「声」が存在する場であり、また情報の蓄積と参照が容易に行われる場である。脱物語化機能を十分に果たすためには、インターネットには交渉的解読が保証される空間としてのアーキテクチャが必要であることを論じる。 

備考(Remarks) 共著者 酒井真由子(上田女子短期大学)
加藤担当部分pp.51-55; 58-59; 67-70  

2016  擬似出来事の物語機能とその「外部」―テレビにおける教育報道の脱物語化―  共著  AA12516006 
アカデミア 人文・自然科学編  , 南山大学  , 第12号  , pp. 37-52  , 2016/06/30   

概要(Abstract) テレビが報道する出来事は、ノン・フィクションとして構築された出来事、擬似出来事である。それは、物語構造を有しており、視聴者はテレビによって視聴者として起動・参加させる装置の下で、物語に巻き込まれてしまう。こうした物語の中でも、教育出来事にかかわる物語は、読者を強く巻き込むことができる。しかし、他方、擬似出来事は多元的現実の一つとして、夢の特徴と共通した特徴を有している(想起と忘却)。しかし、他方で、テレビが提供するこうした擬似出来事は、電子ネットワークコミュニケーションの台頭によって大きく変貌している。電子ネットワークコミュニケーションが行う対抗的・交渉的解読によって、擬似出来事の物語性が露呈しやすくなると同時に、電子ネットワークコミュニケーションが公共性の空間としての可能性も有していることが指摘される。 

備考(Remarks) 共著者 紅林伸幸(常葉大学)、越智康詞(信州大学)、酒井真由子(上田女子短期大学)
加藤担当部分pp.37-38; 40-52  

2016  テレビと視聴者の物語共同体―少年事件報道のマルチモダリティ分析を通じて―  共著  AN00018852 
上田女子短期大学紀要  , 上田女子短期大学  , 40  , pp. 73-82  , 2017/01   

概要(Abstract) テレビの教育報道における視聴者の特別な位置を踏まえ、テレビがいかに視聴者と共同体的な関係を結ぼうとしているか、少年事件報道をもとに分析した。テレビが想起と忘却のメディアであることは、M・アルヴァクスの述べる「集合的記憶」を満たすものであり、それによってテレビは視聴者との「物語共同体」を構成している。忘却とはカタルシスの記憶であり、物語はそのような経験の形式を導く。他方、想起とは、カタルシスの記憶を呼び起こすことであり、テレビにおいてはいくつかの儀礼が行われる。本稿は、そうした儀礼に注目して、実際の教育報道のデータから類型とパタンを抽出した。 

備考(Remarks) 共著者 酒井真由子(上田女子短期大学)
加藤担当部分pp.73-76; 81-82  

2015  テレビのメディア・バイアスと教育世論の構成―教員報道/少年報道から見えてくるもの―  共著  AA12417605  
信州大学教育学部研究論集  , 信州大学  , No. 9  , pp. 27-47  , 2016/03   

概要(Abstract) テレビを媒介した「教育世論」の構成について、テレビのメディア特性に注目した理論枠組を検討しつつ、データの分析を行った。世論とは「他者の観察を観察可能にするメディア」であるが、それゆえ世論は自身を映しながら自身を観察する作業を可能にするテレビというメディアと最も親和的である。テレビが、「見る」ことに通じた現実構成をいかに行っているかを詳しく分析することにより、教育世論形成に果たすテレビの真の意義が明らかになる。このことについて、教育報道の録画データのマルチモダリティ分析を行って、報道の語りにおける視覚的仕掛け=ギミックを明らかにした。 

備考(Remarks) 酒井真由子、越智康詞、紅林伸幸、加藤隆雄 

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