研究者詳細

著書
分割表示   全件表示 >>

15 件中 1 - 10 件目

年度
Year
著書名
Title of the books
著書形態
Form of Book
NeoCILIUS
   請求番号/資料ID
Request No
出版機関名 Publishing organization,判型 Book Size,頁数 No. of pp.,発行年月(日) Date
2023  西川寛生「戦時期ベトナム日記」1940年9月~1945年9月  共編著   
学習院大学東洋文化研究所叢書(風響社刊)  , B5  , 586p.  , 2024/03/15   

概要(Abstract) 満鉄東亜経済調査局附属研究所(通称・大川塾)を卒業し、北部仏印進駐に伴い当時のフランス領インドシナに渡った西川寛生氏の日記の全文の翻刻。1945年の日本軍によるフランス植民地機構解体(「仏印処理」)からベトナム民主共和国独立に至る時期に、ベトナム民族運動に関わった同氏の日記の全文に注釈や解説を付したもの。 

備考(Remarks) 武内房司学習院大学教授との共編。 

2021  東アジアにおける哲学の生成と発展 間文化の視点から  共著   
法政大学出版局  , A4  , 853+X  , 2022/02/22   

概要(Abstract) 担当執筆部分:第43章「フランス植民地期のベトナム知識人ファム・クインの「言語・文化ナショナリズム」と西洋哲学思想観」pp.801-821.
 ファム・クインは、雑誌『南風雑誌』(1917-1934)を創刊し、1932年まで主筆を務めたフランス植民地期のベトナム知識人である。彼は武力で植民地体制を打倒して独立を回復するのではなく、言語や文化の分野でベトナムのナショナリズムを発揚することを主張し、言論活動を繰り広げた。本稿では、ファム・クインの植民地時代のベトナム知識人としての特徴や彼の言論活動、特にその「言語・文化ナショナリズム」と西洋哲学思想観について述べた。
 クインは、フランス植民地期のベトナム知識人としては第2世代に当たる。この世代は、植民地支配によるフランス文明の流入に直面しながらも、伝統的な儒教教育を受けた者が多かった。しかし、彼は家庭の事情で幼くしてフランス式の「通訳学校」に学んで学位を得ており、科挙を受けたことも無く、漢文や儒教の知識も卒業後に「フランス極東学院」に職を得てから「自学自習」したという点で、異色の存在だった。
 『南風雑誌』の主筆になってからは、フランスの文学・哲学・思想を紹介する一方、「ことばがあれば、国がある」として、植民地体制の打倒よりも、ベトナム語表記による文体を整備しベトナム独自の「国粋」「国学」を確立することを主張した。
 西洋哲学に関しては、ルソーの革命思想よりも、ラテン語ではなくフランス語で文学や哲学・思想を著したラブレーやデカルトを重視した。自らを、ベトナムにおいて類似の事業に取り組む存在と自負していた。また、1920年代後半には植民地体制下での立憲制を主張した。
 1932年に皇帝バオダイに招かれて宮廷に入って首相を務め、1945年の八月革命の際に革命勢力に処刑されたが、21世紀に入って著作集が復刻されるなど、ベトナム国内でも本格的な再評価が始まった。
 

備考(Remarks)  

2019  近現代世界における文明化の作用   単著   
行路社  , A4  , 196p. 133-154  , 2020年3月31日   

概要(Abstract)  執筆担当部分:第6章「植民地期ベトナム知識人にとっての「文明」と「国学」」
『南風雑誌』主筆ファム・クイン(1892ー1945)は中国文明や西洋文明の影響を受けないベトナム独自の「国学」を確立しようと主張して言論活動を行った。その際、中国文明や西洋文明を否定するのではなく、中国文明の精神的な価値を重視しながら、西洋文明の利便性や批判的な考究方法を用い、両者を「調和」させることが肝要であることを提唱した。
 このようなクインの態度は、政治的には植民地支配を容認する立場を採ることとなり、彼は1930年代にバオダイ帝の側近になった。1945年にホー・チ・ミンがベトナム民主共和国を建国すると、クインは「越奸」として処刑され、民主共和国、社会主義共和国の下ではその著作は長く人々の目に触れることはなかった。しかしドイモイ政策で経済発展が追及され、伝統文化の役割が重視されるようになると、東西文明を調和させようとした彼の功績は再評価され、21世紀に入ると著書が復刊され、民間の財団から表彰されることになった。 

備考(Remarks) 大澤正晃、高岡祐介、中村督、服部寛、宮原佳昭、吉田早悠里と共著。南山大学地域研究センター共同研究シリーズ12 

2015  Weaving Women's Spheres in Vietnam- The Agency of Family, Religion and Community.  共著   
Brill  , 未設定  , 2016/01   

概要(Abstract) Rethinking Vietnamese Women's Property Rights and the Role of Ancestor Worship in Premodern Society: Beyond the Dichotomies.pp.57-80
ベトナムの王朝時代の女性の財産上の地位については、20世紀以降の学術的研究では、遺産相続分の男女均分が規範で、男女平等であるとされてきた。しかし21世紀に入り、男女均分規範はフランス人がつくり出した「神話」にすぎないとの説が出された。本稿では漢文で書かれた遺産相続文書や財産分割文書などを実際に分析することによってこの問題に対し再考を加えた。
 その際、従来のように単に男女間の相続分を比較するのではなく、族譜等を用いて、祖先祭祀義務の有無や婚姻の状態なども考慮に入れた。その結果、女子の相続分を男子と均等とする文書が多く残されており、婚出した女性も異族である夫や子孫とともに生家の祖先に対する祭祀義務を負うこと、両親が娘の婚家の子孫による祭祀の継続を願い、実際に半世紀近く祭祀が継続する例があることがわかった。これらの特徴は儒教の男子優先の原理から逸脱しており、王朝期の中国には見られないものである。男女均分規範は必ずしもすべての場合に実行されるわけではないが、フランス人による「神話」とは言えないことを明らかにした。 

備考(Remarks) Kato Atsufumi(editor), Hy V. Luong, Tran Thi Minh Thi,Ito Miho, Ito Mariko, Kirsten W.Endres, Thien-Huong T. Ninhと共著。 

2014  『西川寛生「サイゴン日記」一九五五年九月~一九五七年六月』  共編著   
風響社  , A5  , 369p  , 2015/2/20   

概要(Abstract) 西川寛生(本名捨三郎 1921-2006)は大川周明が設立した、「大東亜解放」の人材養成を目指す「東亜経済調査局附属研究所」(通称大川塾)を卒業して、1940年日本の仏印進駐に際しベトナムに渡った。1945年の敗戦まで、仏印進駐の西原監視団や山根機関、大南公司で働きながら、ベトナムの民族運動に関わった。1955年9月に大南公司がサイゴンに支店再開を許されると再びベトナムに渡り、社長松下光弘、日本工営社長久保田豊らと日本政府のベトナム賠償で建設されたダニムダムの調査、設計、建設作業に関わるなど、終生ベトナムにその一生を捧げた。本書はご遺族から利用を許された生前氏がつけていた日記を1955年9月から1957年6月まで採録した。ベトナム共和国の大統領となったゴー・ディン・ジエム政権成立時期に日本との賠償交渉の進展や政治・経済・国際関係の展開、民衆の暮らしなどを、豊富なベトナム体験から深い洞察力で綴ったものである。また、当時のベトナムの状況について読者の理解を促進するため、客注、60ページに渡る補注を施した。さらに宮沢が「西川捨三郎とその日記」を執筆した。 

備考(Remarks) 武内房司と共編。協力者は高津茂、北澤直宏。 

2011  『ことばと国家のインターフェイス』  共著   
南山大学地域研究センター  , A4  , 373p  , 2012/03   

概要(Abstract) 南山大学地域研究センター共同研究プロジェクトの成果報告書。宮沢担当部分は第4章「戦間期の植民地ベトナムにおける言語ナショナリズム序論」(75-100)。19世紀のベトナムの口語文学作品である『キム・ヴァン・キエウ伝』がベトナムの国粋・国華を表すものであるかという、1920年代の植民地下におけるベトナム知識人の論争から、「国が植民地化されても、ことばが残れば、民族や国は維持できる」という主張が生まれたことを示し、同時にそれへの反論など論争の具体的な経緯を負いながら、「ことばと国家のインターフェイス」という点から分析した。 

備考(Remarks) 加藤隆浩編著。笠原政治、松田京子、紙村徹、アントニサーミ・サガヤラージ、奥田博子、ムンシロジェヴァンジラ、鈴木建、牛田千鶴他17名執筆。 

2008  『社会変動と宗教の<再選択> ポスト・コロニアル期の人類学研究』(南山大学人類学研究叢書8)  共編著   
風響社  , A5  , 300  , 2009/03   

概要(Abstract) 南山大学人類学研究所第8期長期研究プロジェクト(2006-2007年度)の成果報告書。植民地期から第二次世界大戦後の「独立」「開発」の時代にも、「文明化の使命」などの植民地的発想が持続している点に特に注目し、そのような情況のなかで、宗教の「再選択」が行われていることを、論じた。
「序論」:趣旨説明と各論者の論文の位置づけの紹介。
「ベトナム南部メコン・デルタのカオダイ教の政治化と軍事化」:1920年代に、フランス直轄植民地であったベトナム南部のメコン・デルタに生まれたカオダイ教は、フランス植民地当局に恭順、未組織的反乱、反抗、協力、半独立化とめまぐるしく態度を変えた。信徒は、ベトナム人地主、小作人、下級官吏、クメール人農民、華人と幅広く、また教義も、儒教、道教を中心に、仏教、キリスト教も取り入れたシンクレティックなものであった。また、共産党に対しても、1930年の蜂起では、共産党のシンボルである鎌と槌を掲げながら、同時にカオダイ教の護符を身につけるなど、柔軟な態度を取っていた。信徒は共産党の運動が弾圧を受けると、カオダイ教に改宗するなどして、「宗教」と「革命」の選択・再選択を柔軟に行っていた。しかし、1945年の独立運動期には、当初、共産党に協力していたものの、一部を除いて、フランスに投降した。 

備考(Remarks) 森部一、坂井信三、川田牧人、吉田竹也、石原美奈子、河邊真次
pp.11-32「序論」を担当。
pp.255-287「ベトナム南部メコン・デルタのカオダイ教の政治化と軍事化」を担当。 

2007  『変化する医療と儀礼』(バクニン省ヴィエムサー村に見る富の再分配機構としてのむら−農村生産合作社を中心に  共著   
春風社  , B5  , 239p.(pp31−60)  , 2008/03   

概要(Abstract) バクニン省ヴィエムサー村では、国家の経済政策が市場原理を導入して変化した後も、その経済的社会的変化に即興的に
呼応しながらも、「国家によるバオカップ制度(通常「丸抱え制度」と翻訳される)」を「むらを単位としたバオカップ制度」に読み替えて、独自の社会政策を実行し、むら(=村)単位で形成されている農業生産合作社を通じて富の再分配を行った。そのことは国家が土地や農地を商品化する政策を導入する方向へ政策転換しても変化するきざしを見せなかった。このような事例からベトナムの政治体制は、一党制下の全体主義という観点からのみ理解することはできず、「対話型」という性格を持つというカークフリートの見解に賛意を表した。 

備考(Remarks) 板垣明美、末成道男、武内房司、樫永真佐夫と共著 

2004  『アジアの文化と経済ー流通・交換をめぐる学際的まなざし』(ベトナム北部・紅河デルタ村落における文化と経済発展の関係)  共著   
風響社  , B5  , 242p(pp183-209)  , 2005/03   

概要(Abstract) ベトナム北部では厳格な「社会主義計画経済」が1970年代後半に頓挫し、市場原理を取り入れた「社会主義市場経済」制度へ移行した。従来の国家による採算を度外視した補助金制度(バオカップ)は廃止された。ところが、農村部では、農民に長期使用権を認めた耕地が分給され、農民の収穫物の最終処分権が拡大する一方で、従来計画経済的農業を担ってきた農業合作社が、国家補助金(バオカップ)制を、合作社によるバオカップと読み換えて、国家の社会福祉政策の補完や、村内のインフラ建設、水利費、農地使用税の農民からの減免と合作社財政からの代納を行う所が出てきた。そして、生産関係や取引関係の複雑化に伴い、1945年の革命以前に、多くのむらが持っていた「郷約」を現代風に改めて施行するところも現われ、この動きは「法治国家」を目指すベトナム政府の国家的政策に取り入れられることになった。また従来の社会主義イデオロギーでは統制の対象になっていたむらの神社や宗教施設も復興され、国から文化財の認定を受けるところが増えた。ベトナム国家は文化を経済の上部構造としてのみ認識する唯物論を修正した。村落建設のこのような自主的動きと、ベトナム国家がこうし 

備考(Remarks) 宮沢千尋編著、中西久枝、クネヒト・ペトロ、原不二夫、坂井信三、森部一、中裕史、吉田竹也 

2004  『アジアの文化と市場ー流通・交換をめぐる学際的まなざし』(序論)  共著   
風響社  , A4  , 242(11-31)  , 2005/03   

概要(Abstract) 高度資本主義がグローバルな規模で全世界席巻する勢いを見せた1997年のアジア経済危機は、米国流エコノミストが主張するように、東南アジア諸国のクローニー資本主義が腐敗したために起こったのではなく、投機を目的とした外国資本の行動に端を発しているという立場に立ち、IMFのコンディショナリティを拒否して経済再生を図ったマレーシア、市場経済の発展に伴ってNGOも発展するという西欧流開発理論が通用しないイランの財団、仏教が過剰な市場化を抑制する仏教運動が行われているタイ、日本人というグローバルな人間が、経済的利益ではなく「自分の居場所」を求めて小規模商いを行うバリ、ロシア、中国、日本という経済大国にはさまれながら、名誉と友情を基盤とする交易を第2次大戦後まで続けたエベンギとロシア・コサック人、「社会主義市場経済下」の中国とベトナム、西アフリカの宝貝の交易から通人類学的な貨幣論を展開するなどの事例を解説し、グローバリズムを「飼い馴らす」ローカルな人々の動きを展望した。 

備考(Remarks) 宮沢千尋編著 中西久枝、原不二夫、坂井信三、森部一、中裕史、クネヒト・ペトロ、吉田竹也 

Page: [<<PREV] [1] [2] [NEXT>>]