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学術論文
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Collaboration
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NeoCILIUS
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掲載誌名 Journal name,出版機関名 Publishing organization,巻/号 Vol./no.,頁数 Page nos.,発行年月(日) Date
2020  1945年3月におけるファム・クインの首相辞任  単著   
『アカデミア』、人文・自然科学編  , 南山大学  , 第21号  , 69⁻86  , 2021/01   

概要(Abstract) 1945年3月9日、日本軍はいわゆる「仏印処理」によりフランス植民地機構を解体した。ファム・クインは首相として日本特使である横山正幸と交渉し、バオダイ帝の内閣を代表して横山ととともにバオダイによる「独立宣言」発布や行政事務を分担した。
 しかし、バオダイが親政に乗り出して、ファム・クインを罷免する方針を出したことにより、クインは辞任を余儀なくされた。その背景には、1930年代から宮廷で権力を独占し、また1917年から宮廷に入るまで『南風雑誌』主筆として植民地支配の枠内から言論活動を展開していたクインに対する民族主義者らの反感があった。
 以上の経緯を、クイン自身、バオダイ、横山正幸、バオダイの官房長官ファム・カク・ホエの回想録に基づき時系列的に整理して述べた。 

備考(Remarks)  

2018  東アジア女性の伝統的財産権の比較研究に関する論点整理と展望  単著   
アカデミア 人文・自然科学編   , 南山大学  , 16  , 93-104  , 2018/06   

概要(Abstract) 東アジア女性の伝統的財産権の比較研究の一環として、中国とベトナムの比較を試みた。対象とする時代はベトナムの阮朝期と中国の清朝期である。中国清代に関しては主に1990年代以降の欧米や中国の研究に依拠して、通説のように宋代と比べて清代には女性の財産権が制限されたと一概には言えないことを述べた。儒教的な規範と異なり、清代の中国では女性の財産権が維持されていた。特に注目すべきは婚姻の際に女性が婚家にもたらした持参財である。婚姻後も女性は持参財の所有権や管理権、処分権を失わず、その持参財はしばしば夫やその家族、或いは生家を援助するのに使われた。また、持参財は息子の嫁や孫の嫁に相続されることもあった。さらに、清代中国では儒教規範に反して壻が花嫁の家に入る妻方居住婚が頻繁に行われ、持参財が生家に留まる傾向があることを先行研究に依拠して指摘した。
 ベトナムとの比較では以下のことが言える。ベトナム女性の財産権に関しては、遺産相続に関する資料が遺されているのに対し、中国清代に関しては持参財に関する研究が主であり、これは両地域の女性の財産の形態が異なっていることの表れであろう。また、最近の中国法制史研究では、滋賀秀三の財産権と祭祀権を一体視する見解に異議が唱えられる傾向にあるが、中国女性の財産権と祭祀権の関係は先行研究を見てもよくわからない。一方、ベトナムでは女性の財産権(遺産相続)と祖先祭祀権(義務でもある)が密接に結びついている。
 最後に、宮沢自身がこれまであまり注目してこなかった家族戦略やポリティックスの点に注目することの重要性を指摘した。 

備考(Remarks)  

2016  前近代ベトナム女性の財産権に関する研究動向と展望―史料の状況に注目して  単著   
アルケイアー記録・情報・歴史ー  , 南山アーカイブズ  , 11号  , pp.117-138  , 2017/03   

概要(Abstract) ベトナム女性の財産権に関する研究動向と展望を史料の状況に注目して述べた。ベトナム女性研究は従来、植民地期以後、特に1954年のジュネーヴ協定以後の時期に関する研究が圧倒的に多かった。数少ない前近代時期に関する研究は、著名な女性作家、王族、軍事的ヒロインに関するものが中心であり、一般人女性の生活に焦点を当てたものはほとんどなかった。
 しかし、1986年以降のドイモイ政策開始後、従来、ベトナム現地の研究者や外国人に門戸を閉ざしていた文書館や公立の図書館などが漢字・チュノム文献を公開するようになり、一般人女性の日常生活、特に経済生活に関する研究が可能になった。
 筆者はここで特に財産権に関する研究に注目した。これらの研究はベトナム女性のエージェンシーを明らかにする意義がある。具体的な研究の動向としては、1.筆者も取り組んでいる、族譜や嘱書を分析して、男性との比較で女性の財産上の地位を考察する研究、2.碑文に記された村落共同体や寺院に対する土地や金銭の寄進に見られる女性の経済活動である。
 最後に、東アジアの比較研究への展望を示した。ベトナムにおける男女均分相続規範や男女の輪番による祖先祭祀の慣行は、中国よりも17世紀までの朝鮮半島に近く、両者の比較研究が重要であると指摘した。 

備考(Remarks)  

2015  前近代ベトナム女性の財産権と祭祀財産相続ー忌田を中心にー  単著   
アジア・アフリカ地域研究  , 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科  , 15/02  , pp.208-233  , 2016/03   

概要(Abstract) 前稿(Miyazawa 2016)を受けて、ベトナム女性の財産権と祖先祭祀財産、祖先祭祀義務について考察した。
1.ベトナム女性の祭祀財産相続については、従来、香火についてのみ研究されてきたが、忌田がより重要であることを示し、香火と忌田の違いを示した。
2.婚出した女性が父母の遺産を相続する代わりに生家の祖先祭祀義務を負う実際の事例を挙げた。ひとつの事例では婚出した娘が兄弟と平等に遺産を相続する代わりに、父の正妻、その父、夭折した父の姉妹、祖母、曾祖母の祭祀を義務付けられている。もうひとつの事例では、婚出した女子を含むキョウダイ全てが父の遺した忌田を輪番で耕作し、祖先祭祀の支出に充てる。このような習慣は中国には見られないものである。
3.男女の「平等」を実現する場合、必ずしもその時点で生存している子孫の間の平等が図られるのではないこともある。忌田を遺した祖先が死んだ55年後に、その男子・女子(すでにほぼ全員が死亡)に忌田が均等に再分配された事例がある。男子・女子が起点となった男支・女支が形成され、女子の子孫である異姓の子・孫も忌田を相続している。「支」は儒教の原則から言えば、男系の男子子孫をたどってのみ形成されるはずであるが、ベトナムでは女子も支の起点となるのである。男女の「平等」の実現のされ方は、財産分割や家族の具体的な状況によって異なる。
4.ベトナム女性の財産上の地位について人類学的に位置づけ、朝鮮半島との類似性を指摘し、東アジア全体との比較への展望を示した。 

備考(Remarks) 査読付論文 

2012  ベトナム起源の宗教の越境に関する覚え書き-カオダイ教のカンボジアへの広がり(1926-1934)  単著   
東南アジア大陸部における宗教の越境現象に関する研究  , 科学研究費補助金最終報告書  , 1-14  , 2013/03   

概要(Abstract) 1926年にフランス植民地下の南部ベトナムで成立したカオダイ教がどのようにカンボジアへ越境し、カンボジア人の間に広まったかを、1926年から、布教の対象がカンボジア人から在カンボジアのベトナム人、華人へと写ったと言われる1934年までに区切って、主にフランス人やカンボジア人の先行研究を中心にまとめ、その問題点と今後の研究の展望を示した。 

備考(Remarks) 掲載誌名と同様の課題名を持つ科学研究費補助金の最終報告書(代表者・片岡樹京都大学アジア・アフリカ地域研究科准教授)。片岡樹、玉置充子、芹澤知、速水洋子、村上忠良、長谷千代子、吉野晃、小島敬裕、小林知、吉本康子、武内房司、中西裕二らが執筆。 

2012  クオンデのファン・チュウ・チン宛書簡と「サンテ監獄事件」  単著   
東洋文化研究  , 学習院大学東洋文化研究所  , Vol.15  , 51-80  , 2013/03   

概要(Abstract) ベトナム亡命王族クオンデ候の独立運動の経歴のなかで、従来深く研究されてこなかった1913年秋から1914年前半の欧州滞在期の活動を明らかにすることを目的とする。クオンデは、それぞれ英語、フランス語、ドイツ語に堪能なベトナム人を従者としてまずドイツに向かった。「敵の敵は味方」として、フランスのライバルであるドイツに援助を求めたが、要人の誰にも会うことできず失敗に終わった。しかし、同時に祖国を植民地支配したフランスにも働きかけた。フランス滞在中のファン・チュウ・チンにフランスの要人を紹介して欲しい旨、手紙を出したのである。しかし、チンはこの手紙をフランス植民地省に提出し、これはチンはドイツとの通牒者であるとの嫌疑を受ける契機になり、第一次世界大戦勃発直後にチンは逮捕されるに至った。クオンデは前インドシナ総督サローにも手紙を書いている。しかし、この試みは何ら成果をもたらさず、クオンデは1913年末に英国にわたり、翌年中国にも渡るが、1915年、1909年に追放された日本に舞い戻った。クオンデは独立達成のためなら、当の支配国フランスや内心では警戒感を抱いていた中国とも手を結ぶ機会主義的行動を取った。

 

備考(Remarks)  

2010  Vai Trò Hội Nguoi Cao Tuoi Trong Su Nghiep Xay Dung Que Huong Tinh Bac Ninh. Tinh Tu Tri Lang Xa o Dong Bang Song Hong, Viet Nam  単著   
International Workshop on Village Monagement Culture in Ha Tinh Province  , Ha Tinh Culture, Sports and Tourism Department, Nanzan University and Institute of Vietnamse Studies and Development Scieneces  , 38-45  , 2011/03/15   

概要(Abstract)  

備考(Remarks)  

2010  ベトナムのアーカイブズ-国家文書保存局を訪問して-  単著   
アルケイア  , 南山大学史料室  , 5  , 113-128  , 2011/3   

概要(Abstract)  

備考(Remarks) ベトナムの国家文書保存局と傘下のアーカイブズ、またハノイ国家大学、人文社会大学事務管理及びアーカイブズ学科を訪問した際の見聞や、実際に研究者としてベトナムのアーカイブズを利用した経験をもとに、ベトナムのアーカイブズが作られてきた歴史的経緯、国家政策や制度の変遷、現状などにつき紹介した。 

2005  クオンデ侯と全亜細亜会議長崎大会  単著   
ベトナム 社会と文化  , 風響社  , 7  , 80-109  , 2006/03   

概要(Abstract) 1926年8月1日から、政友会代議士今里準太郎のもとで、全亜細亜民族大会第1回会議が長崎で開催された。アジアの被植民地の解放を訴える大会であったが、台湾、朝鮮など日本の植民地はどうするのかというジレンマを抱えた大会でもあった。クオンデは大会3日まで姿を見せなかったが、大会最終日突然登壇し、ベトナム人の信仰する儒教・仏教は、西洋の博愛、人類愛であること、フランスの横暴などを訴えた。かつての愚民観は演説内容には見られなくなっていた。 

備考(Remarks)  

2005  再来日後のベトナム東遊運動盟主クオンデ候をめぐる日仏植民地帝国の対応と取引  単著   
ベトナムの社会と文化5・6合併号  , 風響社  , 5・6合併  , 115ー150  , 2005/10   

概要(Abstract) 本稿は東遊運動盟主クオンデが仏の圧力で日本を退去した後、1915年ごろに再来日を果たし、(1)中国人と偽りながら、日本人に財政的援助を受けながら、学校に通ったり、側近と植民地ベトナムの苦境を訴える言論活動をしていたこと、(2)しかしその活動は、1925年の
日仏の秘密の協定で、日本外務・内務両省が詳細に調べ、フランス側に報告していたこと、(3)長崎で行われる予定の「全亜細亜民族会議に出席をよていしていたことを明らかにした。 

備考(Remarks)  

2003  ベトナム北部における“新郷約”「文化のむら建設規約」制定の過程と国家法との関係  単著   
ベトナムの社会と文化  , 風響社  , 4  , 244‐268  , 2003/03   

概要(Abstract) 1945年の革命以後、ベトナム北部村落が独自に制定していた郷約は
「封建的」社会関係を再編成するとして廃止され、農村では農業合作社の規約がそれに代わった。しかし、計画経済から市場原理を導入する過程で社会関係は、複雑化し、現状に合わなくなった。このような状況で、村落側は自発的に45年以前の郷約を実状に合わせて復活した。国家の側は、県、省レベルでシンポジウムを開催してそれを検証し、未整備である国家法の補助手段とすることを容認した。開放政策ドイモイに見られる農民側のイニシアチブを、国家が「社会主義市場経済」の枠内で容認するというパターンがここで行われたことを示し、きっかけになったむらの「新郷約」を訳出し開設を加えた。 

備考(Remarks)  

2002  ベトナム北部・紅河デルタ村落における村落運営とリーダー選出−農業合作社大会と主任及び管理班選挙  単著   
南方文化  , 天理大学南方文化研究会  , 29  , 21−42  , 2002/11   

概要(Abstract) ベトナム北部紅河デルタ農村では、集団耕作を放棄した後も、農業合作社が伝統的村落の枠組みを通じて、社会組織として、自前の財源で村落を運営している。2年に1度選ばれる合作社主任及び管理班選挙を人類学的に参与観察することにより、むらびとの意思が最優先され、共産党の政治的関与がそれに劣ることを明らかにした。 

備考(Remarks)  

2000  ベトナム南部諸宗教の人類学的研究に向けて  単著   
『ベトナムの社会と文化』  , 風響社  , 3号  , 80-101  , 2001/03   

概要(Abstract) 2001年3月と9月におこなったフィールド・ワークと資料収集をもとに,1975年のベトナム戦争終結以降長らく外国人の研究者に門戸を閉ざしてきたカオダイ教,ホアハオ教などの資料を紹介・解説し,人類学的研究の展望を示した。 

備考(Remarks) 単著 

1999  ベトナム北部の父系親族集団の一事例 儒教的規範と実体  単著   
『ベトナムの社会と文化』  , 風響社  , 1号  , 7-33  , 1999/06   

概要(Abstract)  

備考(Remarks) ベトナム北部の父系親族集団ゾンホの活動を考察した。ゾンホは儒教的な規範をもとに結合しているが,その活動は世代深度が深いものから浅いものまでさまざまであり,「情感」と呼ばれる感情が,しばしば規範を越える 

1999  ベトナム北部村落構造の歴史的変化  単著   
博士論文  , 234 pp.  , 1999/05   

概要(Abstract) ベトナム北部・紅河デルタの1村落を選び、王朝時代から、フランス植民地化、仏印進駐、抗仏戦、抗米戦、社会主義化、計画経済の破綻、市場原理の導入などの「ドイモイの時代」を経て、当該村落構造や農村生活が約100年にどのように変化してきたか、人類学的フィールド・ワークと文献資料の分析という2つの方法を組み合わせて明らかにした。 

備考(Remarks) 博士論文 

1997  革命以前の北部ベトナム村落における年齢階梯制と地位獲得競争  単著   
東洋文化  , 東京大学東洋文化研究所  , 78号  , 73-98  , 1998/03   

概要(Abstract)  

備考(Remarks)  

1995  ベトナム北部における女性の財産上の地位 19世紀から1920年代末まで  単著   
民族學研究  , 日本民族学会  , 60巻4号  , 330-341  , 1996/03   

概要(Abstract)  

備考(Remarks)  

1995  ベトナム北部・北中部の伝統構造とその変化  単著   
人類学から見たベトナム社会の基礎的研究  , 文部省科学研究補助金研究成果報告書  , 12-26  , 1996/03   

概要(Abstract)  

備考(Remarks)  

1993  フランス領インドシナに於けるゲティンソビエト運動をめぐる植民地主義と共産党  単著   
早稲田大学大学院法学研究科修士論文  , 学位番号第80号  , 1993/09   

概要(Abstract) 1930年のゲティンソビエト運動に際してのフランス植民地当局に対する共産党とそれを支持した村落の知識人や農民の運動の実態を、当時、共産党が発行した新聞やパンフレットを基に明らかした。また、共産党員や支持者たちが詠んだ詩文に見られる世界観を明らかにした。 

備考(Remarks)  

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